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【世襲を禁止しろ!】世襲議員について語るために東京裁判まで遡ってみた

当ブログでお伝えしたいことは、私たちの住んでいる国は、国家としてとらえることも大切なのですが、本来は私たちの住んでいる「この町」「この地域」の集まりである、ということがもっと大事だということです。私たちが幸せに暮らすために、国が住みよい土地になるためには、住民として住んでいる「地方」こそが住みよく、豊かな町であってほしい、そういう願いで綴ります。

今回は、前回の当ブログ「増税クソメガネは令和の自由民権運動だ!」の番外編とも言える内容です。

ここで触れた戦後の「新自由民権運動」の調査中、私の脳裏には始終、愛するドキュメンタリー映画『東京裁判』の映像がザワザワと浮かんでは消えていたのでした。

東京裁判の行われていた当時は社会党の片山哲が首相になるといった非常に混乱した様相を呈していました。なぜ社会党政権だったのかというと、新憲法施行直前の1947年の総選挙において社会党が衆議院で143議席を獲得したからです。当時を想像するだけで興奮して心臓がバクバクするのを止めることができません。笑

戦後、政治犯として収容されていた共産党員など政治犯とされていた人が釈放され、政治の表舞台に出てきました。東京裁判に触発され、村長や地主などに対して「人民裁判」として汚職、不正の追及が行われることが各地で見られました。このような動きも社会党躍進の底力となっていると思います。

1947年の総選挙では旧憲法下で組閣された吉田茂内閣の正当性を問う選挙と言われましたが、みごと日本自由党率いる吉田政権は国民から否認されたのでした。吉田は自由民権運動の志士、板垣退助につながる系譜を持つ政治家でした。しかし日本国民の多くが、天皇制含め藩閥政治の影響下にある日本の政治には嫌気がさしていたのでしょう。

映画『東京裁判』では、こんなシーンがあります。

清瀬一郎(進歩党)
「天皇制反対論者の話を聞くと天皇制ではなく、官僚制、軍閥政治の弊害を捉えて天皇制の弊害のあるかの如く履き違えておられます。」
徳田球一(共産党)
「(天皇制と言っても天皇ばかりではなく、軍閥も官僚も警察も村役場もすべてくるめたからくりであります。)天皇のあの莫大な財産は天皇が働いて儲かったのではなくって、あれは人民の懐から奪い取ったものであります。」

映画「東京裁判」

この映像自体は1945年11月30日のNHK「日本ニュース」第262号の「天皇制を論ず」から再編集されたものですが、清瀬も徳田も「悪しき」天皇制を官僚制と見ていることは間違いありません。()内は「日本ニュース」の映像から補足しました。

官僚制とは何でしょう。これは当時すでに丸山眞男も東京裁判の進捗を見ながら「軍国支配者の精神形態」という論文で記しています。引用するとわかりにくくなるので、かつて内閣・省庁改革本部参事官でもあった岡本全勝さんのブログから引用させていただきます。

丸山先生は、東京裁判(極東軍事裁判)で被告人(太平洋戦争の指導者)の発言を分析し、首相や大臣など戦争指導者の指導力と責任意識の欠如について、「無責任の体系」と名付けました。
それは、「既成事実への屈服」と「権限への逃避」によって、成り立っています。前者は、「既に始まってしまったことだから仕方ない」といって、既成事実に流されることです。これは、方向転換できない官僚制の欠点と、同じと言っていいでしょう。
後者は、「法規上の権限はありません」「法規上困難でした」といって、専門官僚に逃げ込むことです。官僚制あるいは官僚的行動が無責任に陥った、最大の実例です。
そこではまた、国策の最高方針を決定する御前会議や最高戦争指導会議などの、討議の空虚さも指摘されています。そこでの討議内容は、あらかじめ部下である軍人官僚によって、用意されているのです。
もっとも、この事例は官僚制の欠点ではなく、政治家と軍人が官僚的に行動したものです。

岡本全勝「官僚論」官僚制、無責任の体系

このような無責任の体系の中で政治家及び官僚は生きています。これがまさに「ムラ社会」日本を象徴していると思うのです。いかにも誰かが決めたのだけれど、誰が決めたかはっきりしない。ただ「そう決まっている」ことに従う、これが日本人の多くの決定方法だと思います。

では、この決定方法に従うことができるのはなぜか、それは決定権の数を握っている人たちの立場が、家父長制をまねた「縁故資本主義」の論理によって保障されているからです。現代の政治で言えば「世襲」政治です。

立憲民主党の岡田克也氏が「政治資金の相続・贈与禁止で世襲を抑制」とういことを表明したそうです。これが実現したら日本が大きく変わると思います。日本の政治がなぜ変わらないか? それはまさしく世襲政治により支配構造が変われないからです。

岡田克也氏はジャスコ創業者の息子であり実業家の家柄ですが、言ってみれば、自己資本をもともと持っており、政治家を辞めたからと言って食うに困らないわけです。国会議員は貴族が良いというのは実は当たっていて「政治家を辞めたらどうやって食っていけば良いんだ」という人が政治をやると、どうしても長く議員でいることにしがみつきたくなります。

実は世襲議員をはじめ、国会議員、県・市議会議員にはこういう人が多いのです。実業で財を成したのではなく、政治家の家柄だから資産をもっているというのはおかしな話。裏返せば、私たちの納めた血税をしこたまため込んでいた一族ということに他ならないのです。

現在、国会議員の3人に1人が世襲議員。自民党に限っては4割。首相に限ってはなんと7割だそうです。海外先進国はどこも5%程度。世界ランキングではタイ、フィリピン、アイスランドに続き4位が日本。世襲議員がいかに多いかがわかります。

国会議員になると、世界最高峰と言われる報酬に加え、税金が原資の政党交付金が手に入ります。それと個人や企業からの献金や政治資金パーティ。それら政治資金は非課税であり、親から子へ相続しても贈与税、相続税がかからず、莫大な資産を合法的に相続することができます。
冒頭で紹介した徳田球一の言葉を借りるなら「世襲政治家のあの莫大な財産は世襲政治家が働いて儲かったのではなくって、あれは人民の懐から奪い取ったものであります」と言っても言い過ぎではないでしょう。国民からの収奪の結果、世襲議員が蔓延っているのが我が国の国会の現状とは悲しくなります。今の自民党には血税を継承した「自分で稼いでいない」世襲議員が多く、地バン、看バンを引き継いで地元で非常に大きな影響力を持っています。

2大政党制など政権交代をしやすくするためには世襲による資金の承継を断つのが一番だと思います。立憲民主党にはぜひ、政治家の相続、贈与について禁止し、世襲議員根絶に力を注いでほしいと思います。そして「縁故資本主義に基づいたムラ社会」をぶっ壊してほしいと思います。

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