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『連赤に問う 1972-2022』

地方・小出版流通センター情報誌【アクセス】(2023年01月号発行分)
新刊ダイジェストより

連赤に問う1972-2022』上毛新聞社編

 日本中を震撼させた連合赤軍事件からもう半世紀になる。半世紀という時間は長く、事件は風化し、連合赤軍という名すら知らない人たちも多いことだろう。連合赤軍は全共闘運動が行き詰りつつあった1971 年12月、先鋭化した共産主義者同盟赤軍派と日本共産党革命左派神奈川県委員会が、群馬県榛名山のアジトで組織合同して結成されたものだ。そのアジトで構成員12人を集団リンチの末に殺害し、凍り付いた山中に埋める凄惨な事件が起きた。それより前、革命左派は同志2名を殺害している。翌2月、最高幹部は妙義山で逮捕され、逃れた残党は長野県軽井沢の山荘に管理人の妻を人質に取って籠城した。人質は無事解放され、構成員全員が逮捕されて連合赤軍は壊滅するが、機動隊員2名と民間人1 名が犠牲になった。それだけでは終わらず。5年後、赤軍派の海外組である日本赤軍がダッカ日航機ハイジャック事件を起こし、元構成員らの釈放を要求した。

 本書は地元群馬県の『上毛新聞』が、この事件を戦後史のどこに位置づけるべきか、どう捉えたらよいのかとの問題意識を出発点に、元構成員、構成員と関りのあった学生運動家、事件を裁いた判事と弁護士、警察官、山狩りに参加した土地の人々や発掘された遺体を仮安置した寺の住職、ハイジャック犯の要求受入れの決断をした首相遺族など同時代の関係者、また、文学者、心理学者、宗教家、環境問題に関心を持つ群馬県内の高校生らに取材し、2021 年11 月から22年5月まで多角的な視点で連載した記事を基にしたものである。取材・執筆・撮影に当たった10人の記者・カメラマンは、いずれも事件後世代である。下部構成員5人を審理した前橋地裁裁判長の水野正男は、イデオロギーと暴力を当然とする人間性の解体の関係について思索し続け、出所後の構成員とも交流して、「自覚の抑圧を失ってその肉体的本能のみが、主導する自己実現として犯罪を犯し、人を殺すのである」との結論に至る。心理学者の河合隼雄は、そうした状況が生まれたのは、当時の日本社会に、母親が子が膝元から勝手に離れることを許さない、いわば「母性の原理」が強く働いていたためと分析する。

 一方、刑務所の独房で元幹部の死刑囚と隣り合わせた作家の佐藤優は、ハイジャック事件での釈放を拒否して獄中生活を送る元幹部の人間性を伝えるとともに、新左翼運動の時代背景と、路線の違う組織合流が破局への導線になったことを述べる。ジャーナリストの大谷昭宏は、連合赤軍が方法論を取り違えて間違った結果を生み、市民社会で育つはずの社会変革を求める芽を摘んでしまったと厳しく批判し、その後に起きたオウム真理教とロシアの強権化に触れ、メディアが真実をしっかりと伝えず、彼らを忘れたら、風化して愚かな風評が入り込み、また同じ過ちが起きるかもしれない、「ただし、社会を変革させることは禁忌ではない」と結ぶ。これが本書の意義である。(飯澤文夫)

◆1500円・四六判・192頁・上毛新聞社・群馬・202209刊・ISBN9784863523173


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