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【実録】地元の文化とオカルトのはなし

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地元のちょっと変わった文化とオカルト話を編纂しました。
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『一統』という集落のシステム

私の地元に『一統』と呼ばれる集落のシステムがあります。 これは【一】の2『一つにまとまった全体』という意味だと思います。見聞きした情報で、くわしいことはあまり分かりませんが。 『一統』は必ずしも親戚ではない佐藤さんなら佐藤一統、田中さんなら田中一統、山田さんなら山田一統というように使い、近所に住む同じ姓のグループのようなものです。父曰く、『一族と同義語』だそうです。でも血縁関係はあまりありません。 私の地元は田舎なので近所に同じ姓をした家庭がいくつもありますが、同じ姓だか

背後に気配を感じる観音堂

免許の更新のために車で市街に出たことがあった。 免許の更新が終わったのは午後3時ごろ。 市街は街の中央あたりに山があり、頂上には山城が建っていて、天守閣が展望台になっている。 免許更新で近くまで車で行くし、久しぶりなので展望台駐車場に車を停めて、天守閣から街を一望した。 そろそろ帰ろうと思って下山していたところ、途中で『この先ドライブウェイ』の看板が見えた。 その山には数kmのちょっとしたドライブウェイが通っていた。 ドライブウェイは夜間は通行不可で、通れるのは日中だけだ

幽霊が出るというお店で働いていた。

大学生の時に働いていた飲食店は、駅から徒歩5分くらいに建つショッピングモールの地下にあった。 近くに繁華街があったからか、金曜の夜と土曜日が常に忙しく、ホストやキャバクラ嬢の同伴だろうお客様も多かった。 チェーン店だったが、ほぼ家族経営に近い雰囲気の飲食店で、私はそこで大学4年間お世話になった。 私が通っていた土地は第二次大戦時に空襲があり、一帯が焼け野原になった場所だった。 防空壕は地下や半地下につくられ、トーチカが残っているところもあった。 だからなのか、ショッピングセ

幽霊の寿命は400年らしい。

地元近辺の小学校の林間学校は、大抵関ヶ原に行くことになっていた。 そして大抵、誰かしらが落ち武者を目撃したり、鎧の音を聞いたりして帰って来るのだった。 私は実際に見聞きすることはなかったが、友人は「深夜、先生の目を盗んで外に出たら金属を引きずる音がしたから、怖くて戻った」と言っていた。 今から20年以上も前、ちょうど、落ち武者の目撃例が下火になってきたあたりの話だ。 そもそも関ヶ原古戦場は心霊スポットだと言われていたが、関ヶ原は結構広い街で、古戦場も広い。 田園に囲まれた決

花嫁が実家で菓子を撒く。

花嫁が実家で菓子を撒く「花嫁菓子」という文化がある。 現在では結婚式場で参列者に菓子を撒くという演出のひとつになっているらしい。 私は一度だけ、地元で見たことがある。 幼い頃、近所のひとが結婚するからと、花嫁の実家まで親と一緒に出向いた。 いまではあまり見かけないが、自宅で婚礼衣装に着替え、車で式場に向かう花嫁だった。 白無垢に身を包み、綿帽子(角隠しだったかもしれない)を被り、自宅の庭に集まった近所のひとに、二階から菓子を撒いた。 菓子を撒き終わると、花嫁は近所のひとに

簡略化される前の文化が地元で生きていた。

『名披露目』または『名披露』という文化がある。 私の地元では名披露と言ったので、ここでは名披露(なびろう)と呼ぶ。 私の地元では、花嫁の名で染め抜いた風呂敷で包まれた丸盆持って、近所を回っていた。 丸盆は「丸く収まる」という言葉の意味合いから選ばれていたらしい。 2018年頃に実家の裏のひとが結婚をしたそうで、名披露を受け取ったと帰省した時に聞いた。 その話を父から聞いた時、おもしろい話だなと思って友人に話したら「そんな文化は知らない」と言われた。 「嘘だろ」と思ってTw

夏に生まれた子を一度捨てる風習があった。

私の地元には、夏に生まれた子を一度捨てて、他人に拾ってもらうという風習があった。 捨てると言っても捨てる振りをして、予めお願いしていた近所のひとや友人に拾ってもらうという、形だけのものだ。 親は「昔は夏に死んでしまう子が多かったからじゃないの」と言っていた。 「拾い子は長生きするから」というのが風習の理由らしい。 豊臣秀吉の子、秀頼もそうであったようだ。 なぜ拾い子が丈夫に育つのかは分からないが、昔から続く願掛けのようなものなんだろうと思う。 私の妹は夏生まれだったので

縁切り神社に行ったら会社と縁が切れた。

当時、私が勤めていた会社はブラックとは言えないが、ホワイトではない会社だった。 週休二日制で、正月や盆などで長期休暇が重なると、その週の土曜日が出勤日になる会社だった。 もちろん祝日は出勤日である。 残業代は出るものの、手取りは平均15万程度だった。 地方で一人暮らしをしている身だったので、そこまで生活は苦しくなかったが、転職するのが面倒で甘んじて受け入れてしまっていた。 ある時、友人と京都に行った折、安井金比羅宮に参拝した。 安井金比羅宮は縁切り神社という名で親しまれ、

危機察知能力に長けた猫を飼っていた。

就職してから数年、私は妹と一緒に住んでいた。 古い2DKのアパートの2階に、妹と、妹が飼い始めた猫一匹と暮らしていた。 妹の猫は私に全く懐かなかった。 触ろうとして逃げられ、撫でようとして引っかかれた。 餌の用意くらいはしたが、それ以外は飼い主である妹が管理しており、いつしか私は猫のことを「いないもの」として生活をしていた。 おそらく猫も私のことを「いないもの」として認識していただろう。 ある日、私は寝坊して仕事に遅刻しそうになって焦っていた。 そんな時に限って、猫は珍し

高校に鏡が全て取り外されていた手洗い場があった。

私が通っていた高校には、合宿用の施設棟があった。 一階には台所、食堂、風呂、トイレ、手洗い場があり、二階には寝泊まりできる座敷があった。 よく夏休みになると野球部などのスポーツ部が合宿で使用していた。 私も合宿で使用したことがあったが、全体的に薄暗く、古い棟だった。 その棟には鏡がなかった。 トイレにも風呂にも、一枚もなかった。 手洗い場には当初は取り付けられていただろう金具はあったが、どうやら取り外されたようだった。 噂によると鏡に写った姿が、自分と違う表情とするだとか、

高校のトイレがとても古かった。

通っていた高校のトイレがすごく古かった。 古いだけではなく、珍しかった。 通っていた高校は生徒用と教員用の棟が分かれているタイプの校舎で、教員用トイレはリフォームをしたのか、すごく綺麗だった。 電気は自動点灯式で、洋式で、どこにでもあるごくごく普通のトイレだった。 音姫もあった。 問題は生徒用のトイレだった。 タイル張りの薄暗いトイレは和式で、トイレタンクは高い位置に取り付けてあるハイタンク式と呼ばれるものだった。 そのタンクから紐が垂れ下がっていた。 その紐を引っ張るこ

修学旅行でディズニーランドが禁止されていた。

私が中学生だった頃の修学旅行は、ディズニーランドへ行くことが禁止されていた。 当時の母校の修学旅行は東京で防災について学ぶ研修だった。 晴れてディズニーランドが解禁になったのは、私の世代よりも数年後の世代からだった。 時が経ち、私は地元から遠く離れた大学に通っていた。 学部の大半はその土地以外の出身者で、地元の思い出について話すことはあまりなかった。 ある時、地元近くの出身の学生に出会った。 思い出話に花を咲かせ、修学旅行の話になった。 「ディズニーランドに行けなかったんだ