少し気だるい夕焼け空に想いを馳せて、新緑
この数年でいろいろなものを手放した。
親代わりだった祖父母、そして思い出の詰まった家
忘れたくても頭から離れなかった父親のこと
普通に子供を持つこと
ずっと連れ添うと信じてやまなかった結婚生活
長年かけて本気で愛した人
そして身軽になって、
人にも生きることにもますます無頓着になっていく。
歳を重ね、出来ることは増えて
知識も知恵もついた。
そのうえほとんど削ぎ落とされた今の私に、
怖いものなど、もう殆ど無いのだ。
何か大きな感情が欠落した感覚がある。
閉じ込めたのかもしれないし、
消し去ったのかもしれない。
この数年は、前の傷が癒えぬうちに
どんどん新しい傷がついていった。
今の心情は、穏やかな風の吹く、焼け野原である。
虚無と安堵の中に、確実に研ぎ澄まされていく感性がある。
そんな中でのたった一つの救いは
うちなる自分を文字や色彩にぶつけることだ。
一方、考え事は好きなのに、他人に自分の思考を話すことが得意ではない。こうして生きていると日頃アウトプットできる場所があまりにも少なく、インプットだけが増えていく。これでは頭でっかちになってしまう。
いつだって思考は軽やかであるほうが、削ぎ落とされた感情や感性とは相性が良い。
五感どれかの感性を奮い立たせアウトプットをしていくことにより、頭の中を整理して、より自分の本質にフォーカスする。
言うならば、私にとってアウトプットする時間は、将来と仕事の質への投資である。
感性は経験でしか育まれない部分があるが、理性は思考することで育めると信じているから、そう思う。
感性と理性を突き詰めた先には何があるのか。どんな景色が見えるのか。
いつも何かに問うている。
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