高貴なるお方の日常

大理石の床の冷たさと騒々しい卑下た笑い声で目を覚ます。ここはどこ?私は一体…。
立ち上がろうとするが両足首と両手首が鉄枷で拘束され、身動きが出来ない事を知る。
何…これ。
ズキリと痛む頭を押さえながら辺りを確認する。
石造りの吹き抜けの真っ赤な絨毯がひかれた大食堂。
縦長の豪勢なテーブルに置かれているのは食べ物ではなくほぼ裸の人間達。
異様な光景に思わず声が漏れそうになるが強く唇を噛んで堪える。
訳が分からない…。私は満月が綺麗な夜道を散歩していて…。頭が脈打ち、痛む。
触って確認するが外傷は無さそうだ。
卑下た笑いの主は黒のマーメイドドレスに身を包み、ワイングラスを揺らす金髪の女と身に纏う燕尾服がはち切れそうな程にがたいの良い褐色の青髪の大男。そして、テーブルに組んだ足を乗せた小柄で横柄そうな目付きの悪い黒髪の整った顔立ちの赤マントの男。二人の態度を見るにリーダーだと思われる赤マントの男はテーブルの上の女の腰をやらしく撫でてから首筋に噛み付く。
女は恍惚とした表情を浮かべながら干からびていく。
干からびた人間だった塊を雑に投げ捨て、口を拭う。
ニヤリと笑った口から見える人のものとは到底思えない牙。
私は眼前の光景を見て理解した。ここは吸血鬼の根城。どういった経緯でここに居るのかは分からないけれどこのままだとあの女のように血を吸われて死ぬだけだ。
でも、抵抗する手段はない。私はただの小娘なのだから。
尋常でない光景から少しでも逃れる為に立てた膝に顔を埋めて震える。
どさり、どさりと塊を放り投げる音は聞こえても悲鳴は聞こえない。
怖くないの?目の前で人が死んでるんだよ?
上目だけでテーブルの上を眺める。
人間達は我こそはとばかりに身を乗りだし、顔を紅潮させている。
こんなの正気じゃない。
私は死にたくない。死にたくない。
「アッハッハッハ!良い夜だ。堪らねぇ!俺様の王国征服記念を祝うような最高の夜!明日はどの国を滅ぼしてやろうかねぇ。ククククククッ。」
「ヒト、ウマイ、オオゼイクエル、シアワセ。」
「そうだろ?ぜーんぶ俺様の実力よ。ほら褒めろよ。ヌール。」
「ゼロウ、ツヨイ、ゼロウ、カシコイ。」
「クククッ、いい気分だ。そこのブロンドくれてやるよ。」
「ウレシイ。」
ヌールと呼ばれた大男は顎で指された通りにブロンドの女に噛み付く。
「ゼロウ、アタイは南のこの国欲しいわぁ。良くない?笑顔の国だって。嗚呼、絶望に染めたくなる響き…♪ウフフ。」
「ほぉ…良いねぇ。ムイレイ。お前の為にこの国取ってきてやるよ。プレゼントだ。」
「ありがとう!ゼロウ!愛しているわ!」
ゼロウとムイレイはねっとりとディープキスを重ねる。
吐き気がする。また人が大勢死ぬの?
人の命を玩具みたいに弄んで楽しんでるなんて理解できない。
化け物。化け物…!
心の中で悪態をつきながら震える。
鉄枷の冷たさが痛みに変わるほどに冷える。
それもそうだ、ゼロウの背後の窓が破られ凍てつく様な風が吹き込んでくる。
「んだよ。人が気持ちよく宴を楽しんでるのを邪魔する馬鹿はどいつだ。」
「オレ、チガウ。」
「ヌール、お前には言ってない。」
「ヨカッタ。」
ゼロウは怪訝そうにはするが動く気配はない。
ヌールは大きな足音を立てながら大食堂を見て回る。
その間にムイレイが人差し指を左右に降って氷魔法で窓を塞ぐ。
「誰も侵入してないわねぇ。何なのよ。冷めるわ。」
「オレ、チガウ。」
「分かってるわよ。ヌール。あんたは良い子。誰だか知らないけどイタズラなら他所でやりなさいよ。全く。」
「ホメラレタ。ウレシイ。」
腕を組んで溜め息をつき、何事もなかったかの様にゼロウといちゃつくムイレイと緩んだ顔で頬を掻くヌール。
吸血鬼達の馴れ合いが不快で耐えられず膝に爪を立てる。
誰かコイツらを懲らしめて…。
「良いだろう。一族の品格を下げる下賎な吸血鬼など必要ない。消してやる。」
冷徹な声が背後から囁く。
驚いて首を左右に振る。誰もいない。
第一、背後は壁。いる訳がない。何なの…?
「ゼロウ、ムスメ、オキタ。」
視界を遮る巨体。ヌールに気が付かれた。血の気が引いていく。
「お目覚めかい、お嬢さん。こっちこいよ。たーっぷり可愛がってやるからよぉ。ヒヒッ。怖かない。優しくするぜ?」
ヌールはゼロウの連れてこいというハンドサインに従い、私を右手で抱え上げる。目一杯の悲鳴を上げて、暴れて見せるが怯みすらしない。
「チッポケ、ヨワイ。」
嫌!嫌!嫌っ!助けて!助けて!!
全てから逃れる為に目を瞑る。
すると顔面に生暖かく鉄の香りのする何かが飛散して覆う。
数秒後には地面に落下して全身に鉄の香りと冷たい液体が纏わりつく。
血…?
「ンァ?ウデ、ナイ。ナンデ?」
「誰だ!隠れてないで出てこい!ビビってんのか!?」
「あ、あ、あ…。何これ…寒い。寒くて堪らないの。ゼロウ。寒いわ。寒いの!」
「落ち着け、俺様がいるだろ。クソが。何が起きてやがる!?」
顔面の血を拭って、状況を視覚で認識する。
ヌールは血が吹き出す右肩を押さえて右往左往し
ムイレイはゼロウに必死に抱き付いて小動物の様に震え
ゼロウは両手を鋭く巨大な異形に変えて辺りを見渡している。
「低脳な吸血鬼の腕がなくなった程度で喚くな。」
一同は天井を見上げる。声の主はシャンデリアの上で全てを冷酷に見下していた。
「何だてめぇ!俺様を見下すんじゃねぇ!引きずり下ろしてやるよぉ!」
「駄目!あれは…。」
ムイレイが何かを伝える前にその首が宙を舞っていた。
「正体を明かすのはまだ早い。黙っていろ。」
ゼロウが飛び掛かるが爪は虚しく黒い影を切る。
黒フードのそれはテーブルの上に移動しており、群がる人間を蹴り飛ばしながら私に冷たい視線を向ける。
「無視すんじゃねぇ!ぶっ殺す!」
ゼロウの目では捉えきらない程のスピードの斬擊が豪雨の如く降り注ぐ。
細かな砂利と砂と化した床を見て、ゼロウは嗤う。
「あれぇ?やり過ぎちゃって跡形も残らなかったなぁ。偉そうな口振りの割には大した事ないねぇ。ケヒャヒャ!ムイレイ!ヌール!くっ付けるから待ってろ!」
「ゼロウ、ウシロ。」
片言でも震えているのが伝わるヌールの声でゼロウは振り向く。
「この程度で死ぬ奴がいるのか。脆弱な。程度の低い輩が減るのは助かるがな。」
「てめぇ…!」
攻撃を仕掛ける前に両腕を捕まれ、明後日の方向へねじ曲げ折られる。
「お前は最後だ。低脳を始末して、そこそこの女に俺の正体を暴いてもらおうか。勘の良い女を持っても主が単細胞では塵と同等だ。」
痛みで涎を垂らして醜く顔を歪めて悶えるゼロウに視線を合わせる事なく黒フードはヌールにゆっくりと歩み寄る。
「どうした?その図体は飾りか?」
「ウウッ…オマエ…ナンダ。」
ヌールは黒フードが近付く度に後退る。自身の血で濡れた顔に冷や汗が浮かんでいる。最終的に壁に追い詰められ首を左右に振る事しか出来なくなっていた。
「虚勢の塊が。」
黒フードが指を鳴らすと天井から棘だらけの鉄板が落下してくる。ヌールは片手でそれを押さえて堪えるが体制が崩れて段々と地に伏せていく。
「アガガ…グギギ…イタイ。」
「散れ。」
黒フードはヌールに背を向け、再び指を鳴らす。肥大化した鉄板の重さに耐えられず、ぐしゃりという音を立て、辺りに血と肉片が飛び散る。
何事もなかった様にムイレイの頭に近寄る黒フード。ムイレイの頭は涙で化粧が崩れてお世辞にも美人とは言えない顔になり、酸素の足りていない金魚の様に口をパクパクさせている。黒フードは乱暴に髪を掴んで頭を持ち、胴体へと歩み寄り頭を元に戻す。
「ヒィッ…お許しください。純血様!私達が間違っていました!」
治癒が間に合わず落ちそうになる不安定な頭を押さえながらムイレイは酷く慌てて跪く。
純血?何それ?態度を見るに相当偉そうだけど派閥争いでもしているの?
「純血…?純血だと…?吸血鬼殺しの吸血鬼か…?あんなの都市伝説だろ…?居る筈が…。」
ゼロウは肩を激しく上下させながらムイレイに近付く。
「ほう、その程度の認識か。無能だな。まあいい。」
黒フードを脱いで現れたのは長く揺らめく銀髪に整った顔立ちのモスグリーンの瞳の男。その美しさで目を離せなくなる程の美男子。こんな状況なのに惚けてしまったが冷たい視線を感じて我に帰る。
「純血様…お許しください。純血様…。」
ムイレイはか細い声で必死に命乞いをするがモスグリーンの瞳は冷酷に見下してくるだけだ。
「吸血鬼殺しの吸血鬼。俺の事を貴様の男はそう言った。ならば、やる事は一つ。」
ムイレイの背後にアイアンメイデンが現れ、扉が開く。そして、伸びてきた細い糸がムイレイを絡めとる。標的を中に引き摺り込むと無慈悲にその扉は閉じられた。血が地面に伝っていく。
「てめぇ…殺りやがったな…。ムイレイ…ヌール…よくも…!」
ゼロウは飛び蹴りを食らわせようとするが純血は眼前を飛び回る目障りな虫を掴むが如きの最低限の動きで脚を掴んで地面に叩き付ける。ゼロウは血反吐を吐いて呻く。
「零細な己が野望を抱いて果てろ。下劣な吸血鬼。」
人差し指を上に振るとゼロウに向かって数多の棘が突き出し、全身を串刺しにする。串刺し公を連想させるその光景に震えが止まらない。圧倒的強者の風格。恐ろしい…。
「さて、一部始終を見ていたのはお前だけだ。どうしてやろうか。」
冷淡な言葉にハッとして顔を上げる。いつの間にか狂喜していた人間は消え去り、灰が積もっている。生き物は私と純血しか居なかった。人間は何処へ?
「喰らった。俺も吸血鬼。それぐらいする。救う選択肢など無い。吸血鬼に魅了された人間なぞ生きているだけ無駄だ。」
私も死ぬのかと尋ねた。純血は首を縦に振り、耳元で囁く。
「お前は自分を人間だと思っていたな?違う。吸血鬼だ。故にここでお前も仕舞いだ。」
その言葉で全部思い出した。月を眺めながら獲物を探して歩いていたんだ。そこであの三人に絡まれて仲間になる事を拒否したら魅了の魔法をかけられて…。ずっと頭が痛かったのは魅了に抗っていたから。手を見つめる。異様に伸びた鋭い爪、骨張った人とは思えない血管の浮き出た手。吸血鬼…。私も同類…。
そんな事をぼんやりと思っていると
体温の無い細くてしなやかな手が顎を掴み、私の視界が180度回転していた。

「お疲れ様です、創生主様。」
ボサボサ茶髪の瞳のあるべき場所と両手に包帯を巻いた濃い紫ローブの少女が大食堂の扉から現れ、主に向かって一礼する。
「ログリッチ、普段通り屍からログを生成しておけ。後で全て確認する。」
「了承しました。」
ログリッチと呼ばれた少女は胸の前で両手を合わせ、頭を下げる。
「ヴァラド派は相も変わらず吸血鬼の粗製乱造機。反吐が出る。」
純血はテーブルの上の灰を払って、腰掛ける。ログリッチの行動を見る目は変わらず冷たいが吸血鬼達を見る目とは違った。
「ログ生成が終了致しました。帰投しますか?」
「無論だ。長居すれば体が穢れる。」
「了承しました。ヴァラド派に滅びを。純血に繁栄を。」
「屍が余計な事を覚えたな、リッチ。お前の呪言などなどなくとも純血は繁栄する。黙って死者の足跡、ログを読ませろ。」
「でしゃばり過ぎました。申し訳ありません。帰投中に完璧な形にして献上致します。」
「それで良い。」
純血はフードを被り直し、扉を眺める。ログリッチは早く帰らないのかとばかりに裾を掴んで引っ張る。
「用があるなら聞いてやろう。ヴァンパイアハンター。」
勢いよく蹴破られた扉から飛び込んできた青のコートを身に纏った銀のレイピアを構えた男は怒声混じりに問い掛ける。
「貴様がこの国を滅ぼした吸血鬼か!?」
「遅かったな。そいつなら串刺しにしてやった。他の二匹も見ての通りだ。」
ヴァンパイアハンターは惨状を見て唖然とする。
「何だこれは…。」
足元に倒れ込んできた拘束された吸血鬼の屍を見て事の異常さを再認識する。
「何なんだ貴様は!?何がしたい!?」
純血はヴァンパイアハンターを横目で睨み付ける。
「俺は吸血鬼だが純血だ。コイツらとは違う。何がしたいか?吸血鬼という崇高な種族を穢すダニを駆除し、誇り高く在り続けるまで。」
「吸血鬼が吸血鬼を殺すだと…?理解出来ない…。」
純血はログリッチを天へ放り投げて、地を思い切り蹴って飛び掛かり、瞬く間に距離を詰める。ヴァンパイアハンターのレイピアを蹴り上げ、怯ませる。
「理解など求めていない。愚かな人間。」
ヴァンパイアハンターは数本折れたであろう手を抑えて歯を食い縛る。
「人間は…同族を守る…。殺して喰らったり…しない。」
「ふん、青いな。人間だって他を殺して食らう。同族を殺すのも普通だ。吸血鬼は食らう対象が人間なだけで何も変わりはない。」
「同じにするな!!吸血鬼っ!!人間は誇り高い種族だ!」
左手で銀のナイフを投げるがあっさりと掴まれて折られてしまう。
「浅くて青い。話にならん。だが、貴様は純血の存在を強める生き証人として生かしてやる。」
落ちてきたログリッチを抱えて、耳元で何かを囁く。
「了承しました。」
ログリッチは両手の包帯を伸ばして、ヴァンパイアハンターの両足に巻き付け転ばせる。切って脱出を図ろうとするが締め付けの方が早くメキッという音と共に両足は折れる。
「両足があるだけ十分でしょう。名医に治してもらってくださいね。」
包帯を元通りに巻き直したログリッチは雑に縫われた断面が見える醜い膝から下の無い脚を見せる。ヴァンパイアハンターは息も絶え絶えに恨み言を吐きながら呻く事しか出来ない。
「行くぞ、ログリッチ。」
「はい、創生主様。」
純血は背から蝙蝠の翼を生やして飛び立つ。
その後、周辺諸国は滅んだ国の話題よりも純血の話題で持ちきりだった。

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