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経験を活かすとかなんとか

社会人になり損ね、バイトと引きこもりの日々。
これまで生きてきた経験を活かせればと精神科の看護師を目指し資格を取得。夜勤で心身ぶっ壊してまたニートに戻ってしまった。

また出来損ないに戻ってしまったわけだけれど、今でもふと病棟での日々を思い出す。鮮明に。

ナース服というのは半袖なので、無数のケロイドと傷跡の左腕が剥き出しに。
長袖でも隠しきれない場所に…もう少し考えなさい…とあの頃の自分に言いたい。
同僚はその道のプロたちだから当然気づいていただろう。
多感な時期の患者たちももちろん

ぴよちゃん(10代)が保護室に入りたくないと暴れ、穏やかな病棟が一変したある日。
例に漏れず家庭環境の複雑な子で、何度も入退院を繰り返していたぴよちゃん。
保護室に入っていた時期もある。
あの陰気で広すぎる空間が怖かったのだ。
自傷他害のリスクが上がったために一時的に保護室へという指示が出たのだが、それを全身で、文字通り全力で拒んでいた。

誰にも声が届かないような、この星でたった一人取り残されたかのような錯覚に陥る部屋。
時間もわからない。布団とトイレだけの部屋。
誰だって怖い。
でも時に、あらゆる刺激を遮断してくれるその部屋は、抑制されれば自分自身への攻撃からも守ってくれる。
その代わりに、自分の内なる声や姿と嫌でも対峙しなければいけない。薬の力で朦朧としなければやってられないような、思い出したくない過去や現実、考えたくない未来のことまで思い巡らせる…ことしかできない。
そして、惨めで情けない気持ちになり、なぜ生きているのか益々わからなくなる。

古い病院だったので、老朽化したその部屋は本当に怖かった。(廃墟ファンの私には何とも言えないときめきを与えてくれたが)
やっと落ち着き、素直に入室したぴよちゃんも夜が怖い…とよく怯えていた。

保護室から少しずつ出られるようになった日、私は、戻りたくないと静かに泣き出すぴよちゃんの隣に座っていた。
関係性がある程度できていたので、ぴよちゃんもぽつりぽつりと喋ってくれた。

「ねぇ、えるみーさんの腕、自分でやったんでしょ」

左腕に視線を落とし、少し緊張気味にそう言われた。

あぁ、これね、そうだよ
今はもうしてないよ

「どうやって治したの?」

色んな方法があるよ
周りの人のおかげかな

「ふーん…私も治るかな」

大丈夫、治るよ
ぴよちゃん頑張ってるもん、大丈夫

そんなことしか言えなかった私。
ぴよちゃんは涙をぽろぽろ零して、がんばると頷いてくれた。
「あなたみたいになりたい」そう言ってくれた。


私は家族や友人にとても恵まれていた。
精神的に病んでしまったのは母親との関係性と自分の気質、人間関係が原因だったけれど、それを修復できたのもまた家族のおかげだった。
あの時母親が私を見捨てていたら、こんな風に幸せを噛み締めて生きてはいない。

入院している人のほとんどが児相絡みで、劣悪な家庭環境にあった。
彼らに、私ができる助言などなかった。
愛してくれる家族がいない。そんな絶望の中、彼らは懸命に生きていた。
自分ではどうすることもできない葛藤を正当にぶつけていい(反抗期)相手もおらず、むしろ大人のストレスの標的にされ、ぐっと堪え必死に生きてきたのだ。


そんな彼らに、
私の経験などゴミ屑だった。


(写真のコレ、観葉植物じゃないよ。豆苗だよ。
背景とかいろんなアレで様になるのね。)

つづく。

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