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感染症に感染するかもしれないという恐怖と、人の抱く「安心」の多様な思い。われわれはどのように、折り合いをつけていけるのか。

 先日のピーチアビエーションに続き、北海道エアシステムでも、マスクの着用を拒否した乗客が降機を促される事件がありました。
マスク拒否の男性下ろす HAC「安全阻害行為にあたる」 北海道奥尻函館(STV NEWS)
 ピーチアビエーションの件にしても、北海道エアシステムの件にしても、キャビンアテンダントやグランドスタッフ等の航空会社のスタッフと、乗客との間のコミュニケーションに大きな問題があるように思います。

 航空会社では「マスクの着用を拒否する乗客がいる」という当然の前提に対し、どういう対応を取るべく準備し、ルールを定め、スタッフに周知徹底していたのでしょうか?マスクの着用を拒否する理由として、病気その他のきわめてセンシティブな理由に基づくことが多いことに、果たしてどこまで配慮をしていたのでしょう?
 多くの企業において、顧客とのコミュニケーションが不足していることをさまざまな局面で目の当たりにします。中には最初からコミュニケーションを拒絶するような対応を取っている企業もあります。哀しいことです。
 もう一度、経営の基本に立ち返ってほしいですね。

 しかし、マスクの着用を拒否した乗客に降機を促したこれらの事件には、もっと大きな問題があるように思います。
 それは「マスクの着用は善、マスクを着用しないのは悪」という不文律が当然のごとくに広まっていることです。
 新型コロナウイルス感染症の対策として「ここまでで十分」、あるいは「最低限、ここまでしないと心配」、と感じる安全に対する心の境界線は、人それぞれ異なります
 そのために、みんなに安心してもらうためには、一番厳格な感染症対策を取らざるを得なくなります。
 しかし、必ずしも一番厳格な感染症対策を一律に求められない場合だってあります。その時、人々はどういう対応をするのでしょうか?
 今回の事件についていろいろな方の話を聞き、テレビの報道やSNSなどの投稿を見ていると、「一億総自粛警察」と化してしまっているようで、不安を覚えます。
 「新型コロナウイルス感染症に感染するかもしれないという恐怖」と「人の抱く安心に対する多様な思い」。withコロナ/afterコロナの時代、われわれはどのように、折り合いをつけていけるのでしょうか。

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