見出し画像

【映画】天気の子『天気なんて狂ったままでいいんだ!』

家出し、離島から東京へやってきた高1の少年・帆高。見知らぬ土地でやっとのことで、怪しげなオカルト雑誌のライターという仕事を見つける。しかし、彼のこれからを示唆するかのように、連日雨が降り続ける。そんなある日、帆高は陽菜という少女と出会う。ある事情を抱え、弟と2人で明るくたくましく生きる少女には不思議な能力があった。

MOVIE WALKER


新海誠作品の中の傑作


悲しいことに、この映画を鑑賞する前に、この映画に対する悪い評価を色々と耳にしてしまっていた。
だからこの映画はきっとつまらない、そう決めつけて見始めた。けれど、全くそんなことはなく、むしろ新海誠作品の中で一番傑作なのではと思うくらい素晴らしい作品だった。見始めたあとに思わず考察や、もう一度感動を味わいたくて三周もしてしまったし、見終わった後に暫く余韻が止まない作品でした。


対比が際立たせた美しい描写

新海誠作品には欠かせない、美しい東京の描写が際立っていると感じた今作。それは晴れの日と雨の日の対比によって、美しさが更に引き立っているように感じられた。
ジメジメとした東京の雨、晴れを願う虚な人々、立ち並ぶ雑居ビル
眩い晴れの東京、晴れた空を喜ぶ人々、光が乱反射する街中

太陽が照りつけていく東京の描写に思わず涙がツーっと流れてしまうほどだった。


帆高というキャラクターの魅力

この映画の評価の中に、「主人公に共感できない」や「銃まで持ち出す意味が分からない」というのが多くあった。
私は逆に、この映画が魅力的に感じるのは帆高というキャラクターを考察させる面があるからだと思った。

何故、家出をしてきたのか。
何故、田舎で息苦しく感じていたのか。
何故、彼はこんなにも正しさを顧ず、衝動的なのか。

この理由については映画の中では多くは語られない。しかし映画の中でそのヒントになる描写は散りばめられている。

映画冒頭で、カップヌードルの上に置かれている本は、村上春樹訳の『ライ麦畑でつかまえて』。そのシーンを見た瞬間から、帆高の背景について考え始めた。思春期にライ麦畑でつかまえてを読みながらカップヌードルを啜る、そんな子供は、世の中の常識から逸脱したい、反抗したい、そんな思想を持った子供がきっと多いんじゃないかなと思う。

また、映画に登場する大人のキャラクター達は、社会的な規範に従って生きていることが多く描写される。
ルールを重視し、子供の主張に耳を貸さない警察官、
現実主義的な判断を帆高に促す須賀。

帆高の衝動的で真っすぐで、世の中の常識を顧みない行動をより対比させるための描写であり、この作品においてのテーマでもあるように感じた。

その点に気付いてからは、帆高が家を飛び出したとこから、世界を揺るがす結末に至ったこと全てに合点がいった。



ハッピーエンドで終わらない、しかし世界は続いていく

帆高は陽菜を選ぶ代わりに、世界を狂わす選択を選んだ。
ヒロインを救って、なんだかんだハッピーエンドで終わることも出来た筈だが、今作はそこで終わらなかった。

連日雨は降りやまず、東京は少しずつ沈んて行き、喘息持ちの須賀の娘にとっても不幸な世界に変わっていったことだろう。
そんな世界に変えてしまった帆高を励ますように、須賀や瀧君のおばあちゃんは「世界なんて元から狂っているんだよ」と語り掛ける。

「違った、そうじゃなかった。世界は最初から狂っていたわけじゃない。僕たちが変えたんだ。
陽菜に声をかける前の帆高のモノローグ。
帆高は自分の下した行動に罪の意識を持ったことが伺える。
そして陽菜もまた、人柱という悲惨な目にあったにも関わらず、祈りを続けいることから、帆高の気持ちと同じように世界を変えたことへの重い責任を抱えているように見える。

そして最後に「大丈夫だ」という言葉と音楽で締めくくられるが、この先僕たちがした行動に対して、罪の意識を感じているが、二人でいるならきっと大丈夫だ、そんな終わり方のように感じた。


この結末を見たときに思い出したのが、「卒業」のラストシーン。世の中の規範と違った決断を下した、ハッピーエンドではないけれど日常は続いていく、そんな有名なラストシーンがある映画だ。

ただハッピーエンドで終わらない、そんな結末に心が響いた「天気の子」という映画でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?