爆音でかかり続けてるよヒット曲#7『筋肉少女帯』(ハシノイチロウ)

LL教室のハシノです。
ここ最近、90年代から活躍するアーティストについて書くことが多いこの連載ですが、今回も、今年メジャーデビュー30周年を迎えた筋肉少女帯についてお話ししたい。
 
大槻ケンヂという人のことをテレビや著書などで知っているという人は多いけれど、それに比べて彼が率いる筋肉少女帯(筋少)というバンドのことは、ファン以外にはあまり知られていないのではないだろうか。
 
自分も最初はそうで、1990年にオールナイトニッポンの月曜1部を大槻ケンヂがやっていたのを聴いて認識したクチ。そこから筋肉少女帯というバンドを知って、聴いてみたっていう順番だった。
 
ただ、当時の自分は洋楽のメタルにどっぷりハマっていたので、筋少の音楽性もどストライクだった。
「オーケンのエッセイは好きだけど音楽はあまり好みじゃない」なんて女子は多かったけど、そんなやつらよりもオレのほうがオーケンを深く理解してる!みたいな謎の選民意識を抱いたものだった。
 
おりしも当時はバンドブーム。いろんなかっこいいバンドがたくさん活動しており、中学生だった自分もユニコーンや米米CLUBやブルーハーツやバービーボーイズやジッタリンジンなどをよく聴いていた。
他にも音楽がおもしろいバンドはたくさんいたけれど、ただ自意識をこじらせたひねくれた中学生の自分にとって、そういったバンドのほとんどは、かっこいい大人すぎて親近感を抱くのは難しかったのも確か。
 
そんな中、筋肉少女帯の、猟奇的で孤高で、それでいて脱力感のある笑いに満ちた世界はすごくぴったりきた。自分のような人間のための音楽だと思えたもんだった。
 
 
筋肉少女帯は、もともとケラ率いるナゴムレコードにいて、のちに電気グルーヴとなる人生などと一緒の界隈の出身。ナゴム時代の筋少は80年代の過激なインディーズシーンの流れをくんでおり、ハードコアパンクやノイズの影響と、同時にじゃがたらのようなファンクにも憧れがあったという。そこに超絶テクニックのピアニスト三柴江戸蔵が加わって弾きまくるっていう、なんだかよくわからない音楽性だった。
 
「やりたいこと」と「やれること」と「一緒にいるメンバーの特性」と「トレンド」がちぐはぐなままちりあえず全部ぶちこんでみました、っていう、若さゆえのいびつさが逆にすごくオリジナルで魅力的だったんだよね。
 
でも、筋少に限らずそれこそがバンドの醍醐味なんじゃないだろうか。
 
たとえば映画「ボヘミアン・ラプソディ」でも、ソロアルバムじゃなくバンドの力関係においてこそあの名曲群が生まれたんだと明確に描かれている。フレディ・マーキュリーという天才をもってしても、すべてを好きなようにコントロールできる環境よりも、制御できない要素が多いほうがクリエイティビティを発揮できるっていう。
全バンドマン号泣ものですよね。
 
筋肉少女帯においても、大槻ケンヂという、カリスマ詩人ではあるもののミュージシャンとしては自他ともに認めるポンコツなフロントマンと、それを音楽面でがっちり支える凄腕ミュージシャンたち、という構図で捉えるとわかりやすい。
 
ナゴム時代もそうだったし、メジャーデビュー後しばらくして大幅なメンバーチェンジにより音楽性がかなりメタル寄りになった後もこの構図は維持された。
 
バンドブームの勢いと、オールナイトニッポン以外にもテレビやラジオや雑誌で大槻ケンヂのおもしろサブカルな露出が増えたことなどが重なり、ついに武道館でのライブを成功させた筋肉少女帯。そして1991年の大名盤「月光蟲」が生まれる。
 
たぶんこのあたりが第一次黄金時代。
 
その後、あのヒットメーカー佐久間正英をプロデューサーに迎えてアルバムを2枚リリースしたり、レコード会社を移籍したり、セルフプロデュース体制になったりしながらコンスタントにアルバムをリリースして活動を続けていく。
 
メタルを軸足にしつつ、メンバーそれぞれのポップセンスが開花したバラエティ豊かな楽曲が増えていく90年代後半。コアなファンの評価は分かれるところだけど、個人的には好きな曲もたくさんある。
 
しかし、この頃から大槻ケンヂとメンバーの関係がどんどんこじれていき、1998年になんと中心人物でる大槻ケンヂ自身が脱退するという事態に陥る。
ハラハラしながら見守っていた往年のファンたちも、さすがに「だめだこりゃ」な気分だった。
 
そしてそこから10年ほど、バンドとしての筋肉少女帯は活動を凍結。メンバーはそれぞれソロ活動に入る。
大槻ケンヂは新バンド特撮や、小説「グミ・チョコレート・パイン」の人として認知されるようになり、筋肉少女帯のことは忘れ去られようとしていた。
 
ところが2007年、その名も「仲直りのテーマ」なる曲で筋少は奇跡の復活を遂げる。ドラム以外は90年代のメンバーが全員戻ってきて、さらにその前に脱退した三柴江戸蔵がサポートメンバーとして参加するという、往年のファンからすると感涙モノの復活だった。
復活後も精力的にアルバムのリリースやライブツアーを重ね、現在に至る。
 
それにしても、精力的に活動しているとはいえ、全盛期は90年代だったわけで、いまだに20代~30代前半の若い音楽好きから大槻ケンヂや筋肉少女帯の名前を耳にすることが多いのはすごい。
 
バンドブーム当時はマイノリティだった、ひねくれていて厭世的でっていう価値観、いじめられっ子側からの視点なんかは、今となってはむしろポップカルチャーの気分としてはど真ん中だったりするわけで、大槻ケンヂに時代が追いついてきたって言っても過言ではないだろう。
 
特にアニメだったりゲームだったりのオタクカルチャーとの親和性が高いのはほんとおもしろいと思う。現代のカルチャー最前線の担い手が少なからず筋肉少女帯の影響下にあっていうこの状況、1990年頃にマイノリティ気分に浸っていた中学生の自分が聞いたらびっくりするだろう。
(初出・2019.5.27)

【ハシノイチロウ】
1976年、大阪生まれ。会社員であり、DJ・レコードコレクター。
2015年、批評家の矢野利裕、構成作家の森野誠一と音楽批評ユニット『LL教室』を結成。
11月10日(日)に荻窪velvetsunでイベント開催。
http://www.velvetsun.jp/new-events/2019/11/10
・ハシノイチロウblog 森の掟
http://guatarro.hatenablog.com

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