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【映画「母なる証明」】母の愛はどこまでが美しいのか。考えるほどにゾクゾクする。

映画「パラサイト」がアカデミー賞で作品賞を含む4部門を受賞した。これを機に、ポン・ジュノ作品を観てみようという方は多いのではないだろうか。

そうです、その一人が私です。(ニワカ万歳。)

何からでも良かったし、ソン・ガンホ出演作ももちろん観たいのだが、まずは、と手を伸ばしたのが「母なる証明(2009)」。パラサイトの10年前の作品である。

この映画、感想を書くにあたり分析や評価をいくつか読んだが、評価が本当に真っ二つに割れている作品だ。悪い評価の気持ちもわかる。スカッとはしないし、結末は最初に予測した展開とは全く異なる。そういう意味では、気味が良いほどの後味の悪さは、パラサイトにも引き継がれているとも言える。ポン・ジュノ作品の味なのかもしれない。

※古い作品なので、結末のネタバレ部分にも触れた上での感想になります。ご注意ください。

あらすじ ※ネタバレあり

事件なんて滅多に起こらない田舎町で、母と二人で暮らす青年、トジュン。彼は、見た目は立派な成人男性だが、精神的に未発達な部分もあると推測される純粋無垢な子供のような青年で、母はそんな息子を心配してか溺愛している。
そんなある日、町で女子高生が殺害されるという凄惨な殺人事件が発生。現場近くでトジュンを見たという証言と、彼の持っていたゴルフボールが発見されたという理由で、トジュンは逮捕されてしまう。
トジュンの無実を確信する母は、あの手この手を使ってトジュンの無実を証明しようと金を積み、体を張って真犯人を探し出そうとする。事件を追ううちに、目撃者にたどり着くが、そこでトジュンが本当に犯人だったことを知る。トジュンは「バカ」と罵られると脊髄反射で攻撃してしまう性質があり、被害者の女子高生に罵られたことから咄嗟に石を投げ返し、殺してしまったのだった。気の動転と息子を思う気持ちから、母はその目撃者を殺害してしまった。
一方で、警察は独自に再捜査を進め、「真犯人」としてジョンパルという別の男を逮捕し、トジュンは釈放されることになる。母は、冤罪を着せられたジョンパルを前に、罪悪感で泣き崩れながらも、息子の罪も、自分の罪も隠したまま、記憶に蓋をして生きることを決める。(※この辺はざっくり私の解釈です。他の解釈もあると思います。)

母親の愛の行方を追うストーリー展開。ただし美しくはない。

全編を通して、一貫してトジュンを溺愛する母の目線で描かれており、息子の冤罪を晴らそうとする母親の愛の行方を追うストーリー展開となっている。
息子が逮捕された後の献身的な母の愛は美しいし、息子の悪友であるジンテにけしかけられ、真犯人を探すシーンは引き込まれる展開で、被害者の女子高生の携帯電話が見つかるシーンは、「これでようやく真犯人が見つかる!」というカタルシスを得られる。
ただし、そこまでは題名からしても、予告編を見ていても、想像がつくのだが、その後の「母親の愛」の行方が、「殺人」に「隠蔽」と、予想を裏切ってひたすら悪い方、悪い方に転がっていくところが、この映画の見所であり、一部嫌われる所以でもある。ある意味、人情味があるというか、歪んだ「母親の愛」として、人間の一番汚い部分を追っていったらこうなります、と言われているような展開が、個人的には一周回って気持ちが良かった。

そこかしこに散りばめられた描写が秀逸

映像描写としても、そこかしこに伏線や心理描写が散りばめられていて、反芻すればするほど見つかる。
特に好きだったのが、母親の隠蔽体質とも取れる性格の描写で、最初に息子の立ち小便の後を隠すところや、過去の親子心中の記憶を思い出した息子に鍼を打って忘れさせようとするところ。この描写から、終盤の殺害後の血の海が広がっていく場面では、「あ、この人絶対隠蔽するな」と思わせる。母親の愛を追ったストーリーではあるが、それがひたすら悪い方、汚い方に転がっていったのは、愛でもなんでもなくて、彼女の性質のせいだ。彼女は最後のシーンでも、自分自身に鍼を打つことで記憶に蓋をし、全てをなかったことにして前に進むことを決めている。きっとこれまでの人生すべてそうしてきたんだろうな、と思うし、親子心中を息子が思い出した時のように、今後また自身の罪と向き合わなかったことによって、自らの首を絞められる出来事があるだろうと思う。
その他にも、道端で立ち小便をしてしまう息子の男性器を凝視するシーンは強烈だった。ここについては近親相姦とか、母親の女としての面とか、そういった考察もあったが、私は、5歳児のような無垢な内面を持った息子が、体は立派な成人男性であるというチグハグな現実を受け入れられない母親の葛藤を表していたのではないかと思う。(息子に精力がつくものを食べさせて、鼻で笑ってたし。)

何よりもリアルな世間との温度差。観ていて痛々しいほど。

結末としては、母親としての歪んだ愛と自身の性格で、ひたすら(人として)間違った方向に進んでいくというストーリーだったが、息子の冤罪を信じて(まだ観客も信じている段階で)事件の真相を追っていく場面では、周りと少し違う上に殺人犯のレッテルを貼られた息子を持つ母親と、世間との温度差の描写も痛々しいほどリアリティがあった。母親は、まず馴染みの警官に口利きを頼み「事件はもう終わった(現実を受け入れろ)」と言われ、弁護士に金を積んでも、普通と少し違うトジュンを見てすぐに匙を投げられる。遺族にはもちろん加害者家族として罵られる。結果的には有罪だったので何も言えないが、これが冤罪だったらと思うとそれはそれでゾッとするし、実際に犯罪者レッテルを貼られた人とその家族に対する世間からの風当たりは、どこの国でも同じだろう。この辺りの描写も、まだ真相を知らないからこそ母親に同情できたし、社会派映画としても秀逸だったと思う。

原題に込められた意味

最後に、邦題が「母なる証明」のこの映画だが、原題は「마더」(ハングルでマザー=母)である。通常、韓国語で母は、「어머니(オモニ)」。しかし、原題では同じ意味でも英語の「マザー」の意味になる「마더(マド)」を選択している。(この「마더」は「マザー・テレサ」の「マザー」とかに使われるそう。)あえてこの「母」を使用したのは「mother」と発音の似ている「murder(殺人)」を掛けているから、らしい。知れば知るほどゾクゾクする映画だ。もう一回見たらまた何か見つけてしまうかもしれない。

すぐにもう一度見るのも良いが、とりあえず、ポン・ジュノワールドに足を踏み入れてしまったので、まずは他の作品に進んでみようと思う。ニワカ万歳(2回目)。


*Photo by "coji_coji_ac" from Photo AC
※この写真は元の写真を大きくトリミングして使用させて頂いています。

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