女が階段を上がる時~川崎アラビアンナイトの思い出~
ソープランドが好きだった、
川崎に置いてきた青春のようなもの。
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はじめまして、もしくはお久しぶりです。コロナ禍以前にアラビアンナイトに数年間在籍していた、当時の源氏名でニーナと申します。本来自分で言うようなことでは無いけどランキングにも通算3年半は入っていたらしいです、このパネルに見覚えあったりしません?
あってもなくても今回文章を書く仕事を正式に依頼されたいわゆるアラビアンナイトOGってやつです。現役当時の私は写真の通りビジュアルは凡庸、おっぱいもDカップ。ソープ未経験だった新人時代は仕事も覚えきっておらず、ブランディングも下手の極み。
「ニーナちゃんは前の店のお客さまが来てくれるから何とかなってるけど、アラビで新規の顧客を掴むのが下手だねー」なんて当時の店長に言われる始末。
トゥルースで働く以前の私は辞めた今だからこそ話せるけど、横浜の店舗型ヘルスでそこそこ予約困難なナンバー嬢をやっていまして。けれども「この業界で一番気合いの入ったマジメな店で働きたい」と思いを募らせ、神奈川を地元とするお客様たちの「川崎で本気出すならあの系列一択だよ!」なんてアツい勧めもあり、ネットの殺人予告・レイプ予告のストレスで5kg痩せたタイミングで、トゥルースグループの門を叩きました。
「まず金瓶梅から面倒を受けてみてね。キャラやビジュアル、ソープ歴的にもアラビアンナイト在籍になると思うけど」という当時の友人の助言通り、アラビアンナイトでの採用がなんとか決まりました。多分ギリギリ合格でした。
「ソープ未経験ねえ…金瓶梅なら3日で通用しなくなるよ」なんて、当時の面接官に言われた台詞を奥歯で噛み締めたのは今でも忘れません。
トゥルースに憧れ面接を受けた経緯があったし、前の店では予約困難嬢だった小さなプライドなんかもあり、何としてでもこの店で通用したかった当時の私。
無い脳ミソをひねり、絞り、とにかく突き抜ける手段の一つとして当時は店の誰よりもブログに力を入れていました。
まだX(旧Twitter)をやる人間なんて皆無で、ブログを一つも書かないお姉さんが過半数を占めてた時代。一つの記事に2~3時間かけることもザラで、でも書くのは結構楽しくて。
そんな生活を続けていたら「ブログが良かったから指名してみたよー」「いつもは他の子指名だけど、ニーナちゃんのブログを実は何年も読んでて…」なんて理由で来店してくれるお客様がいつの間にか過半数を占めるようになりました。
「泡姫というより文姫だね!」と言い残したお客様の後ろ姿は今でも覚えてます。悔しくて、仕事もちゃんと覚えようと心に決め、百戦錬磨の強くて美しいトゥルース専属講習員の方々に頼み込んで何度も手ほどきをして貰いました。
あの当時のお客さま、私、ちゃんとお仕事出来てましたか?少しでも楽しんで帰って貰えてましたか?
今の私はトゥルースともお風呂屋さんとも全く関係の無い生活を送っています。でもどこかに文章を書きたいなあなんて気持ちだけは抱えていて。なので執筆依頼が正式に来た時は嬉しさもあったけどそれ以上に心配な気持ちが勝りました。
王道人気の鉄板ランカーでは無く、文姫気質のブロガーランカーだった私が、なんか偉そうに書いたり過去を振り返ったりするなんて大丈夫なのか、と。
そんな一抹の不安を抱えたままこの記事の打ち合わせのため数年ぶりにアラビアンナイトの敷居をまたぐことになったのですから、人生は数奇だし、あの時ブログをアホみたいに更新していて良かったなあ、なんて思いながら車窓を流れる景色を眺めていたら、東海道線はあっという間にJR川崎駅。
現役の頃と比べ随分乗らなくなったタクシーに乗り込み、稲毛通りの突き当たりで降ろしてもらい、当時のように自販機でお茶を一つ買います。
初夏の太陽を睨みながら店頭で私を待ってくれていたスタッフの案内のもと数年ぶりに足を踏み入れたアラビアンナイト、ほのかな石鹸の匂いが鼻腔をかすめます。
現役の頃は週4日前後お店に通っていたから日常すぎて気付かなかったし、当時のお客さまに言われてもピンと来なかったけど、本当に石鹸の匂いがしてちょっと妙な気持ちになりました、マジで石鹸の土地じゃんって。
高度経済成長やバブル期の日本の勢いを感じさせる豪勢な店内装飾や、あの象徴的な螺旋階段、総じゅうたん敷きの店内。やっぱりどこか異空間で異質で、おとぎ話と現実の境目に居るような、異国の王様の宮殿に迷い込んだかのような気持ちになります。
舞浜の遊園地なみに、建物から制服に至るまでコンセプトが徹底しているお風呂屋さんは全国的に見てもかなり稀だとお客様方は口を揃えて言うのですが、
ここで「桃花」や「おしん」や「蔵王」の出前を取ったり、タオルをえんえん畳み続けたり、二輪車をキッカケに仲良くなった子と世間話をしたりして日々を過ごしていると、なんか日常になってきて忘れちゃうんですよね、その異質さを。
久々に店内に足を踏み入れ、「こんなにエンタメ色の強い店だったんだ」と思い直せたのは今回の訪問の中ではかなり大きな発見でした。現役の時に気付いてたらもっと接客に取り入れていたかもしれません。
お客様と対面する一階階段下の少し広いスペースに立ってみると、支払いに追われてた訳でもないのにとにかく必死に働いてたあの数年間の、ピリピリした空気感さえ蘇ってきます。
月末になると本指名(リピーター)の数をかぞえ順位はいくつになるだろうとか、せめて3位、絶対5位には入りたいとか、選んでくれたお客様には楽しんで帰って欲しいなとか、ルールを守らない無粋なお客さまならクレームにならないギリギリまで手を抜くとか、時間が押して他の女の子にかける迷惑を最小限にしなきゃとか、時計を見なくても110分が体感で分かるように時間感覚を叩き込もうとか、終電に乗る気力体力が無くなり同僚と川崎のホテルに泊まってお酒を囲み、散々笑ってから気絶するように眠ったこととか、接客と接客の短いインターバル中にタオルと氷の入った桶を抱え小走りに廊下を駆けたこととか、その時着ていた制服の金や銀の刺繍が店内照明を反射してきらめいていたこととか。
限りなく青春に近いようなあの日々を、刻み付けるように駆け抜けたあの頃の記憶が、何だか走馬灯の様に蘇る気がして。何だか背筋が伸びるような心持ちになります。やっぱりすごく強い磁場のある店だなあと。
私が在籍してた頃より更に改装が進んだ店内を引き続き案内してもらうため、制服のロングスカートの裾を持ち上げ何度も駆け上がったあの螺旋階段を、スタッフの案内のもと一段一段のぼり始めました。
螺旋階段をのぼりきったあたりで息が切れ始め、否が応でも月日の流れを感じずにはいられません。
トゥルースはおそらく、マットを推奨しない他店と比べれば体育会系ノリが強く、私もそういう傾向があったので、当時はこの螺旋階段を元気に駆け上がっていました。
お客さまが110分間ベッドやマットで完全に寝転がったままでも楽しめるような接客を心掛ける先輩が多かったので、それに習い、当たり前にそれが出来るようになるまで悔しさで半泣きになったことは一度や二度では無かったし、
休日や仕事終わりには必ず指圧や鍼灸の予約を入れていました。腕の良い整体師さんがいたら控え室の仲の良いもの同士で共有する風景なんかも日常でした。
さて、三階建てのアラビアンナイトの二階部分に着きました。ニーナという源氏名を降りてから5年近く経ったはずだけど、いい意味で特に目新しい景色はなく、その事実が私を安堵させます。
梅雨時期の週アタマの真昼間でもほとんどの部屋が稼働しており、この活気もわたしが見知った景色そのままです。
「一番新しい改装したての部屋がもう少しで見学出来るはずだから、少し待っていてくださいね」とスタッフに促され、コンパニオンの私物が置いてあるバックヤードや、控え室に戻る体力が無くなり時々突っ伏していた廊下の奥のちょっとしたスペースなんかを覗いたりして時間をつぶしました。吉原なんかに比べるととにかくお店が大きいので、売れっ子コンパニオンは控え室ではなく店の隙間で待機するのはよくある光景でした。ネットの誹謗中傷を避ける目的もあったと思います。
疫病、それに伴う世の中の変化、風の時代と呼ばれて何年経ったでしょう。
たった数年で目まぐるしく移り変わる世の中や街の景色に流されながら少々疲労困憊気味だった私にとって、改装でかなり綺麗になってはいるけれどそこに流れる雰囲気はほとんど何も変わらない、川崎のこの建物や内装の雰囲気が、なんだか実家のような感傷さえ呼び起こしてきます。
日本のビデオデッキの普及が早かったのは他でもない、アダルトビデオを家庭で見るために世のお父さんたちが買い漁った話は有名ですが、
人間さながらの出来栄えで男性の恋愛感情や生理的劣情さえ優しく全身で受け止める、女性の姿をしたアンドロイドなんてもうそう遠くない未来に庶民が手にするところだろうし、
AI美女だけのキャバクラが夜の街を盛り上げる時代が到来するのも近いと私は思っているんですが。
その頃には、「昼は淑女、夜は娼婦」を様式美にまで昇華したとも言える、アラビアンナイトの入店講習で習うような老舗ソープランド独特の接遇や所作が、昭和の無形文化遺産として残されていて欲しいですし、
建物や内装そのものは有形文化財として保存される未来が地続きの現実として起こり得るんじゃないか、なんて思っています、わりと本気で。国や自治体じゃなく民間レベルかもしれないですが。
内装職人さんが楽しんで作ったのが伝わってくるような、タイル張りのお客様用お手洗にも取材目線で久々に入ってみます。
「広いのは高級ホテルみたいで好きだけど、なんで便座の奥が鏡張りなんだよ!自分の男性器と向き合えってこと!?」と、大笑いしながら楽しそうに感想を伝えてくるお客さま達の姿が脳裏に蘇ります。きっと今もそうなんでしょう。
男の遊園地と例えられることが多いソープランドですが、この店は制服や内装などの世界観の作り込み、そして女の子個々人が持ち込む私物や接客における演出なども含め、徹底した非日常がやっぱり強みです。
昨今一番多い業種はデリバリーヘルスと言われていますが、あちらはホテルや自宅に私服の女性を呼ぶシステムなのであくまで現実と地続き。
社会や仕事や家庭にしばられ、日々の生活に追われ、趣味を楽しむ元気さえ最近は無くなり…そんな辛い状況でさえ弱音を吐けない昔気質な男性にこそ、一度このお店を体感して欲しいと私は願います。
屋号を「アラビアンナイト」とした創業者のセンスが私は好きだし、ここで一夜の夢を見て現実を忘れ英気を養う場所であるように…、なんて思いを込めたんじゃないかな。
会ったことは無くともその信念が店を通して伝わってくるような気さえする先代社長に思いを馳せていたら、最近改装が済んだばかりの一号室が空いたとのこと。もう出入り業者のような身分ですが図々しくも中に入れさせて貰いました。
この店は神奈川でおそらく一番と言っていいほど広い部屋が多く豪奢なのが特徴ですが、一号室は他の部屋と比べるとかなりこじんまりとした作り。スピーカーや間接照明など10キロ近い私物を持ち込み部屋を作り込むタイプだった私にとっては、何気に一番使いやすくて好きな部屋でした。
デザインと動線が好きだったのはブルー系統でまとめられた3号室。6号室の静けさも好きでした。
改装前の部屋はいかにもな昭和のソープランドといった風情で、どの部屋の作りも鮮明に覚えています。今ならきっとネオ昭和ブームの一端として再評価されてたんじゃないかな、保存する方がむしろ大変だったのかな…。
「ニーナちゃんは横浜のヘルスだと子どもっぽい雰囲気だったけど、やっぱりこれだけ豪勢なお店を背景にすると映えるね。心なしか美人に見えるよ」と、普段はお世辞をほとんど言わない昔馴染みのお客様がポツリと放った台詞。
一号室とたまたまそこにいらしたコンパニオンさんのきらきら光る制服姿を見て、なんだか急にそれを思い出しました。
接客の合間にも関わらず快く見学を許してくださって、本当にありがとうございました。
案内役のスタッフに別れを告げ、お店を後にしました。もう顔馴染みのボーイもほとん居なくなったなあ…と、堀之内の奥まった一角から旧東海道の細道を抜けて川崎駅方面へ。なんとなく感傷的な気分で歩きはじめます。
暖簾がかかっていたので堀之内の出前では昔から定番の「増田屋」へ。店舗で食べるのは初めてです。以前、店長が全員分の出前を奢ってくれるというからみんなでワイワイ食べた冷やし中華はまだ始まってなかったので、なめこおろしトッピングの山菜蕎麦を頼み、この記事を書き始めながら待ちます。
アラビアンナイトと金瓶梅が同時に二店舗オープンした1980年頃から2024年に至るまで、一時的な仕事だからと言って手を抜く方向性には行かず、むしろ気合を入れ直し明るく前向きに仕事をしてきた女性たちの壮大なバトンパスにより形作られ継承されてきたものたち。
それが今もこの土地で生き、根付き、お客さまを癒したり元気付けたり、むしろお店そのものが生き字引となっている今。私自身もここでの経験が間違いなく人生の糧となっています。
業界を辞めキレイさっぱり足を洗ったとしても、日々の生活に追われもう思い返すことも無くなり記憶の中でホコリをかぶったとしても、この店で錬磨した日々はきっと、誰かに話すことは二度と無かったとしても心の奥底にひっそりと残り続ける何かキラキラしたもの。そんなようなものだと私は思います。
勿論そうじゃない女性もいたでしょうし、堀之内に辿り着くには多かれ少なかれ何か理由があるわけだから一概にこの仕事を肯定するわけではありません、推奨もしません。
けれども、「どうせ同じことをするなら一流の店で、本質に近いかたちで、一等を目指して」と志すことのどこが悪なんでしょう?そういう女の子が集まり切磋琢磨し、時には泣いたり笑ったり、時には強い絆の仲間になったりしながら、お互い励ましあい助け合ってここでの日々を過ごす。
店を辞めると決めたらひとたび、そこに居たのかさえ定かでは無いような身軽さで、ふわりと現実世界に帰ってゆく、まるで砂漠の蜃気楼のように跡形もなく。
そんな女の子が多かったな。
私はもう少し、あとほんの少しだけ、こうして文章だけの姿ですがニーナとしてアラビアンナイトの幻想の中に存在しようかと思います。
もし気が向いたら、
またお付き合いください。
かつての同僚たちを思い出しながら。
2024年6月、堀之内の蕎麦屋にて。
いただいたお金は酒…仕事の備品を買います。