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お金の先に愛


 今回はとても大きなテーマについて書き綴りたい。
永遠に決着がつかないであろう価値観、“愛とお金、どちらが大事か?”について。

個人的な結論は、自分自身で安定した経済力(お金)を持つことができた上で愛を大切にすることができる、ということ。
何を持って“安定”と言うかはまた人それぞれであるけれども。

お金の先に愛。

どちらが一方的に大切かというよりは、人の成長段階で変わっていくのではないかと私は考える。

 まず、お金とは何か。

 お金とは、色々な物や体験、または時間などと交換することができる便利な「道具」である。

 時代を遡ると、お金というものが無くとも自給自足の生活や自分の欲しいものと他人の欲しいものを交渉し合い、物々交換をして生活をしていた歴史もあるという。
生まれた瞬間から物質としての“お金”に触れてきた私達にとってはイメージし難いかもしれないが、個人的な見解ではお金の本質は、
「自分の欲しいものと交換できる道具」
というもの。

あくまでも「道具」なのだ。

ただ、私達が生きていく中で切っても切り離せないものだということが現実であり、世の中の物に対して平等に価値をつけるための計りともいえる。
人の幸せを作ることができる道具であり、人の争いの種にもなり得る道具である。
「お金」を作るためにも「お金」がかかるし、どれほど持ち合わせているかによって、人の努力値として表されることもある。


 次に愛とは何か。

 愛とは、無償で他人に与えるもの。そこに金銭の取引は生じない。対象は人に限らず動物に対してもあり得る。
また、ネット上の辞書では

「いとおしいと思う気持ち」
「対象を気に入って楽しむ」
「大事なものを手放したくないと思う」

など、様々な定義が書かれていた。

 お金より愛が大切だ。

と、漢気のある言葉を言い放ちたいけれども、この言葉の根底には安定したお金が土台としてあることがミソであり、安定した「愛」を持つためにはまず「お金」を持っておいたほうが良い。

 このような考えをしているとドライすぎる人間だと思われるかもしれないけれども、誰かを(何かを)長く愛するためには自分自身に安定したお金が必要だと私は考えている。

 お金は自分の心を保つためにも重要なものだからだ。

 やはり人は欲深い生き物で、それは避けては通れない習性であるが自分の心に余裕を維持して持っておくために、このような心掛けはしておきたい。

お金が無ければ今ある愛も時間が経つにつれ、保つことが困難になるけれど、お金があれば今ある愛を保つことができる可能性が高い。
ただ、お金の有無と幸福度は、一定の値までは比例するかもしれないがどこかの基準を超えると比例しなくなるらしい。

 しかし、お金が無い人で幸せそうな人に出会ったことがあるだろうか。

そう、自分に問いかけて考えてみると確かにまだ出会ったことは無かった。

 でも、そうやって確固とした意志を持とうとすると反比例のように柔軟性が無くなっていくのが難儀な部分でもある。
世の中の価値観はほとんどが天秤でバランスを取るようなものばかりなのかもなあ。

 現実を見ているが故にお金を優先すると愛が薄れていくだろうし、愛にしがみついてばかりいると自立した安定には程遠くなる。
どちらが良い悪いとかではなく、人それぞれがどちらを優先したいかという価値観であり、生き方。

 今思い付いたけれども、自分の好きを突き詰めてお金にした人もいるよなあ、と。
ただの“好き”だけでは無いのだろうけれども。
その場合は結局、お金より愛になるのだろうか。
愛の先にお金ということもあり得るな。

ここまで考えると、どちらが大事!というような順位をつけるようなものでは無く、タイミングによってグラデーションのように移り変わっていく価値観のようだとも感じられる。
自分の中での答えは“お金の先に愛”になったけれども他の答えは無数にある。

自分の答えだけではなく他人の答えにも寛容に、そして広い視野を持ち続けられるような人間でありたいな。

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