降り積もりゆくのは雪なのか
寒さで人が亡くなる季節になった。遠い国ではクリスマスでも銃声が止まなかったらしい。
命の軽さを思い知らされる。
だけど今回はそんな重たい話では無いので、軽い気持ちでご一読いただければ
今年の冬は厳しくなりそう、そんな予想は聞かなかった。どちらかというと、暖かいままですねとか、雪は年明けからだろうねとか人々は話してた。それが12月に入ってしばらくした頃に、ふと思い出したように大寒波が来て、北の方では大雪を降らせた。私が住むこの九州の田舎でも降ってきて、猫が窓越しに鑑賞するくらいには積もっていった。
面倒くさくて見ぬふりをしていた家の掃除、いくらこなしても片付かない仕事の案件や、ほったらかして宙ぶらりんになっていた人間関係も、雪は全てを飲み込んで積もって、そして次の日の朝には溶けて消えていった。
新しい朝が来ると、もう昨日の雪なんか忘れたみたいにして太陽がふわりふわりと浮かんできて、この冬の日の朝はまるで綿毛のように柔らかいんだと知った。
ふわりふわりと浮かんできた太陽をぼうっと見てると頭が痛くなってきて、目をそらす。
目をそらした先では猫がしっかりと目をつむって太陽の陽を浴びていて、白い毛の1本1本が光って見えた。これもやはり綿毛のようだ。ただ太陽フレアのように抜け毛がふわりふわりと舞うので、部屋にちらかっては困るとブラシで背中や頭の上を梳いてやった。
ちらりとこちらを見て、当然のように腹を見せてくる。礼は言わない。腹を見せるしか能がないのか、そんな悪態をつきながら逆毛をたててやると気持ちよさそうに喉を鳴らす。
ゴロゴロという音にもう1匹が寄ってきて、次よろしくお願いしますねと言わんばかりにすり寄ってくる。猫は懐かないと昔言われていたらしいが、そんなことはない。彼ら彼女らはきちんと人を見極めているだけで、腹を満たして、毛繕いをしてくれる人間のことはきちんと下僕として認めてくれる。実に、ありがたい話である。
うちの猫は戦争なんて知らない。いや正確には生まれて1日で親と引き離されているので、戦争よりも過酷な環境を味わっている。だけど今はふくふくとした巨体をストーブの前に敷いたホットカーペットに横たえて眠るという巨万の富よりも幸せと言える環境をその手中ならぬ肉球におさめた。
私はこの猫たちの親なので、猫たちが幸せならばそれ以上のことはない。
ただ光を見れば影を見つけることができるのが人間の性だ。外ですれ違う野良猫や、もっと遠く戦争の起きている国や地域に住む動物たちのことも考えてしまう。
人間はいい。昨今のような状況に置かれて産まれてくるところも生きていくところも選べなかったとして、それでも起きている状況を理解することはできる。動物たちは人間の都合に振り回されて、今日も明日も瓦礫の上を歩くしかない。綿毛のような陽の光がさすこともない国や地域の空に浮かぶ厚い雪雲と、見渡す限り積み重なっていく憂いを思うのだ。どうか、平和と自由が、積雪よりも丈夫で分厚く、温かなものとなりますよう。
冬になると春を切望するけど、春になるとそれはそれで気が散って、ちょっと気分が浮かれて、あまり良いことはない。
もう少しだけ、地層のように降り積もりゆく雪の中に身を置いて、冬に蝕まれていけばいい。
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