「土」by長塚 節、の感想みたいなもの

仕事。毎日追い立てられるように、生活が立ち行かなくなるのを恐れて、ひたすら手を動かし、時間を惜しみ右往左往する仕事。

スターバックスで休憩時間にパソコン開いてフェイスブックをチェックする、なんてもってのほか。

暇つぶしなんてものはなくて、やらねばならないことを次から次へとこなしていき、そのやらねばならぬことの中に日常の喜びや美しさを見いだして、つかの間の休息にほっと息をつく。夕日で金色に染まる空を頭上に認めた時や、箪笥の引き出しをあさっているときに見つけた美しい着物の色彩、すこんと切った大根のあまりの白さ。

余裕が人を詩人にする。余裕がなければ、ただ生活のためにやるべきことをやり、美の意識は行動に並走する。美しさすら、活動するのだ。「これは」と手に取って眺めて言葉を紡いでいるような余裕のなきものは、「ああ、きれいだなあ」とここで体を一気に楽にし休息をとる。水に浸された葉野菜のように、彼らは美しさに浸されて、つかの間のしゃっきりとした気分を得るのだ。

ただ生活のために往復をした道端の垣根の様子や、物の在りかが考えずとも手を動かして探り当てられるほどになじんだ台所の、流し台へ反射する窓からの光加減などは、人生の血となり肉となる。

行きつ戻りつした道にあった、たんぽぽの群れがいつのまにかなくなっていたとおもえば、幼いころと自分の背の高さや目線が違っていたことを、詩人ではない彼らはそっくりそのまま「ああ」と思い胸にしまう。

「ああ」、そして、無言の仕事の繰り返しで、労働者たちは年を取っていく。

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