すべらない話

すべらない話が好きだ。

絵を描いてる時や、やりたくない作業をする時、
部屋の掃除をする時に聞く時もあるし、
部屋の暗さや静けさに飲み込まれそうな時
誰かの話し声や笑い声を求め、ただ音として
活用してる時もある。

小藪さんの話が好きだ。
ちょっと斜に構えるというか、
捻くれてるというか、なんだろう。
自分独自の視点があって、社会や人間を斜めに
見てるところが、自分と重なるのかもしれない。
私はそういう自分が好きではないが、
捻くれた性格を笑いに昇華しているのを見ると
心が軽くなる。
「長すぎる、他の人の尺を取ってる」と言われることもあるが、長尺がゆえの間や入りの説明が
すごく心地いい。
私は生粋のお笑いファンでも、芸人でもないので
笑いというものに関しては完全なる素人だが、
小藪さんの話が面白くなるにはそれなりの尺が
必要だとも思う。

小藪さんの話だけではなく、宮川大輔さんも好きだし、ジュニアさんもほっしゃんさんも好きだ。
日常に溢れてる事が、どうしてあんなにも
面白くなるんだろうと不思議に思う。
私の毎日を丸ごと預けて、私の日常をネタに
話をしてもらいたい。
芸人さんってすごい、素敵な仕事だ

すべらない話の魅力の一つに、タイトルの付け方があると思う。
「熱帯魚」「オカンのオッパイ」「巻き寿司」
「たっくん」「テレビ局の警備員」「おねしょ」
「しばくぞおじさん」「スノーボード」など
例を挙げればきりがないが、共通するのは
ただの名詞、もしくは名詞の羅列。

話そのものには沢山の笑いがあり、文脈があり
背景があり、語り手の興奮や感情や話し方がある。
それら全てが合わさって、はじめて"すべらない"
話として成立するのに、タイトルはただ一言。
初見の人は、タイトルを見ただけでは
それがどんな話なのか、どのくらい面白いのか
分からないだろう。
しかし一度聞いたことある人は、
タイトルを見ただけで、どういう話だったか
思い出す事ができるだろう。

本であれ、YouTubeであれ、noteでもそうだが、
数多くのコンテンツの中から多くの人の目に留まり
読んでもらえるように、人は様々な工夫を
タイトルに施している。
奇抜なものにしたり、わざと違和感を感じさせる
ものにしたり、誇張したり、過激な言葉を使ったり
だから「サムネ・タイトル詐欺」や
「タイトルで選んだ本・映画が面白くなかった」
といったことになる

でもそれはもはや当たり前で、
タイトル詐欺を受け入れて私たちは生きてるのに
すべらない話のタイトルは至って簡潔だ

初見の人にオチがバレないようにするため、とか
話の始めから終わりまでの美しい"笑い"の過程に
介入しないようにするため、邪魔しないように
するため、とか。何か意図があるのかもしれない。

ただ私はその潔さが好きだ、清々しいと思う
変に媚びる必要がないというか、硬派というか
尖ってるというか、どのタイトルを選んでも絶対
面白い自信があるというか.......。かっこいい。

私はそんなタイトルに憧れて
自分のnoteでもシンプルに簡潔に、一言で
タイトルをつけようと心がけてる
ただ、そんなタイトルの付け方をするには
話自体すごく精密で巧妙で、人を惹きつける力が
ないといけないわけで、そう思って自分の
文章を読み返してみると、うーんまだまだ未熟だ。

でもやっぱり私は誰かに文章それ自体を
評価してもらいたい、楽しんでもらいたい。
タイトルに頼ったり、写真を添付したりせずとも
文章だけで誰かの心の奥にある大事な部分に
触れられたらなあ〜と思う。
修行!

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