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静岡県浜松市天竜区にある奥領家の由来

いつもGoogle Mapを眺めていて、気になる地名があったので、調べてみました。その地名「奥領家」は静岡県、長野県、愛知県の県境あたりにある地名で、ここの場所はまさに秘境という場所で、そんな中、「奥領家」という由緒正しそうな名前が気になったのがはじまりでした。

言の場で「領家」のつく地名を調べると、
中世の荘園制支配に由来する地名」とのこと。
ということは、昔誰かが、この場所を治めてた人がいるのでは?

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で、実際に調べてみました。

由来が詳しく載っていましたね。

奥山郷がいつの時代、信州から分かれて遠州に編入されたのか、その時期は定かではないが和名抄に元慶5(881)年に山香郡が設置されたときには、山香郡奥山村になったことが記されている。
山香郡に含まれていたのは、大岑(大峯)、興利(杉村)、岐階(熊切)、気多(気田領家)の四地域で、大岑と呼ばれた辺りが建武年代(南朝・1334~1336)から奥山郷と呼ばれるようになった。奥山郷に含まれていた村々は、相月村、領家村、地頭村、大井村、佐久間村の五ケ村で、水窪はこの中の村に含まれていた。
地名を見ると領家、地頭方などと荘園に関係あるものが少なくない。
これは鎌倉時代、ここに山香庄が置かれていたからで、北遠の豪族奥山氏の先祖は、この荘園の管理に当たった公文(くもん)であったと考えられるという。
水窪町という地名になったのは大正14年で、それまの地名奥山村は豪族奥山氏からとったとも言われている。
戦国の昔、水窪には地頭方に久頭郷城があり、佐久間には水巻城があり、相月には若子城が築かれ、それらの城主たちはいずれも奥山氏一族に名を連ねる武者たちであった。
このように北遠地方における奥山氏の勢力は想像以上に絶大なものであった。
その奥山氏が滅び去ったということは、いかに戦国乱世の時代の権力争いが凄まじいものであったかをうかがうことができる。

奥山氏という豪族が治めていたので、「奥領家」なのですね。
近くに「地頭」の地名もありますし、由来って規則性が結構あるのですね。

実際に現地に行って、奥山氏の山城の「高根城」に行ってきました。

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水窪町奥領家の地域を一望できますね。

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地名の由来にこういった戦国の歴史がみられるのも感慨深いですね。

奥山氏の歴史もこちらに載ってたので、リンクを貼っておきます。

また他の地名も調べていこう。


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