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大寒 -だいかん- 認識の限界(エッジ)に挑んで内なる強さを磨く


二十四節気通信。

2021年1月20日〜2月2日までは大寒です。

最も寒い大寒の季節は、耐え忍ぶ冬の強さが最も育まれる時です。それは、内なる強さであり、やがては次の一年をはじめる芽吹きのエネルギーへと変容をとげていきます。


大寒とは

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冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也
-暦便覧より-


大寒とは一年中で寒さが最も厳しくなるころ、という意味。
小寒から節分までの約1ヶ月間を『寒の内』といいますが、大寒はその真ん中にあたります。一年の最低気温が観測されるのもこの頃です。

また、大寒とは二十四節気の終点。いわば、立春から始まる一年の大晦日のような時期です。


厳しい寒さは内なる強さを育てる

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武道の世界では、この時期、寒さの中で精神を鍛えることを目的として寒中稽古が行われます。また、寒中水泳(アイススイミング)が行われるのもこの時期です。面白いことに、寒中水泳は日本だけでなく、ロシア、カナダ、中国、北欧各国など様々な国で行われています。

こんな寒いときにわざわざやらなくても・・と寒がりな私は感じてしまいますが(笑)、一年で最も寒いこの時期に行われる行事には、通底するエッセンスを感じます。

たとえば、寒中水泳をする文化を持つフィンランドには、SISU(シス)という言葉がありますが、その語義は「内側」
フィンランド人の国民性・精神性を表す言葉なので日本語に直訳しにくいらしいのですが、その意味をあえて表すとすれば、

SISUとは、「困難に立ち向かう勇敢さ・忍耐・内に秘めた強さ」「どんなときも折れずに前に進み続ける強さ、勇敢であり続ける態度の源を内側に持つ」ということ。


寒中稽古も寒中水泳も、一見クレイジーな行事と感じられますし、医学的にみたらかなり危険です。正直、私はやりたいとは思えません(笑)。
けれど、そこに通底するものは何かと考えてみると、SISUに表現されるような内に秘めた強さというエッセンスを見出すことができます。
寒中稽古や寒中水泳そのものはできなくても、このエッセンスを、自分なりの形で体験することはできそうですよね。


認識の限界 「エッジ」 の上に立つ門番との対話を通じて内なる強さを磨く

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ユング派心理学者でプロセス指向心理学の創始者、アーノルド・ミンデルは、頭で認識できる領域の限界を「エッジ」と呼びました。

エッジとは端っこ、という意味。エッジの上にはこれまでの人生経験で培ってきた「観念」という門番が立ちはだかり、そこから先へ行こうとすると「なんで行くの?行く必要あるの?これ以上先に行くのは危険だよ?死ぬかもしれないよ?はやく元の場所に戻りなさい」などと説得をしてきます。
時には、門番が家族だったり、恋人だったり、友人だったり、と現実の人として、形を伴って現れてくることもあるでしょう。しかし、この門番の囲む範囲にいる限り、その人は自分の可能性を広げることができません。

寒中稽古や寒中水泳は、身体的な可能性の限界、つまり、身体のエッジに挑む行為であると私には感じられます。

ただ、ここで注意しないといけないのは、「門番を倒して無理やり通ろうとしてはいけない」ということ。だって、「精神は肉体に勝るんだ!」と身体の状態を無視して、なんの準備もなしに氷が張る湖の中へ飛び込んだら死んでしまいますよね。(実際にそういう事故もあるそうです)。

時には、清水の舞台から飛び降りるような覚悟も必要です。
だけど、きちんと門番とコミュニケーションを取って、お互い合意の上で(身体と精神が一体となって)一緒にエッジという門をくぐる、ということがとても大切です。

大寒の時期はそんなエッジとの対話を通して、内なる強さを磨いていく時期と言えるでしょう。


「すごく嫌だけど実はすごくやってみたいこと」に取り組み始める

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エッジの外には何があるのかというと、「すごく嫌だけど実はやってみたいこと」です。やりたい、とは思うけれど、「でもね・・」「だってね・・」と経験や既知の中からやらない理由を求めている時は、エッジに立つ門番との対話が始まっている時です。

私のすごく嫌だけど実はやってみたいこと、それは「声で伝えること」。
私は自分の声があんまり好きではないし、コンプレックスの一つでもあります。つまり、「声で伝えること」は私にとってのエッジです。

でもね。よくよく考えたら、日々、一番近くで頻繁に耳にするには自分の声なわけで、その嫌いだという声を、家族はじめ身の回りの人は毎日毎日聞かされているのですよね。
そう考えたら、ごく当たり前になんの抵抗もなく受け入れてきた「わたしは自分の声が嫌い」という状況って、実はとても悲しいことだなと思いました。
そして、もし自分の声を好きになれたら、特別なことは何もなくても毎日とても幸せに過ごせるんじゃないかとも思ったのです。

まずは手始めに、聴くことから始めています。
話す、ではなくてね。

耳で話している自分の声をよくよく聴くのです。
頭ではなくてね。

なんだか聴けば聴くほど母の声にそっくりで、途中から嫌になったりこそばゆくなったりするのですが(笑)、その奥にあるものすごく懐かしい何かを感じています。

冬の冷たさの奥に、ほんのちょっとだけ、春の温かさを覚えます。
目には見えないし、まだ肌では感じられないけれど、春は確実にこちらへ向かって歩みをすすめています。

大寒に寄せて✉️

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