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091. 子育て十牛図|第十図 『入鄽垂手』 にってんすいしゅ|MatsbaLab.で花咲かじじい活動を家庭から

一日一描。

今日は子育て十牛図の第十図を描きます。

十牛図(じゅうぎゅうず)は、悟りにいたる10の段階を10枚の図と詩で表したもの。子育て十牛図とは、それを子育ての段階に当てはめて描いてみたものです。

詳しく読みたいかたはこちらからどうぞ。

第十図『入鄽垂手』 にってんすいしゅ

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(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)

胸を露にし足を跣にして鄽に入り来る
土を抹し灰を塗って笑い腮に満つ
神仙真秘の訣を用いず
直に枯れ木をして花を放って開かしむ

(訳)
足は裸足で、胸ははだけ、私は世間の人々と交わる
服はぼろぼろで埃まみれでも、私は常に至福に満ちている
私の寿命を伸ばす魔術など用いない
いまや、私の目の前で、樹々は息を吹き返す

第八図で自分であることの全てを否定し忘れ、第九図では再び現世に戻ってきて全てを肯定して受け入れていきます。
そして、第十図ではいよいよ社会へ出て人々を導いていきます。ただし、何かの教えを広めようとか、救済しようという義務感は持ってはいません。

悟りを目的としていた十牛図ですが、この最後の図ではその「悟り」という目的すら忘れてしまいます。

入鄽垂手(にってんすいしゅ)とは、手をだらりと延ばすという意味。
まるで枝葉を豊かにつけた樹々のように、あるがまま、リラックスして生きるその様が周りに笑いと救いをもたらしていくのです。

周りや世の中に影響を与えようと力まなくても、その存在感により自分の身の回りを朗らかに、明るく照らしていきます。その力は枯れ木にすら花を咲かせます。まるで花咲じじいのようですね。

私の第十図『MatsubaLabで花咲じじい活動を家庭から』

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一日一描に、夫が初登場です。

そして、娘が大きくなっている。もしかしたら未来図なのかもしれません。

今まで社会へ出るって、家の外で活動するということを連想していました。その方が目に見える評価も得られ、楽しいし、仕事で嫌なことがあっても帰ってきて憂さを晴らせばいいから都合が良い。
心がもやもやしてきたら、ストレスコーピングのためにひとりでカフェに篭るなり図書館で内省するなり、ぶらりと入った小洒落たお店でちょっと心ときめくものを買ってみたり、夜更かししてお菓子を食べながら映画を観たりしたらよかった。

しかし、子供が生まれてそんな風にできなくなった今、ようやく家庭と外のいわゆる社会生活は相似形であるはずなんだと改めて気がついたのでした。

そしてもう一つ気がついたことは、社会活動の方法は双方向だということ。

外で仕事をしてその成果物(お金だったりスキルだったり教養だったり)を生活に取り込む、というのも社会活動だけれど、逆に、家庭で育んだものを社会に対し溢れ出させていく、というのも社会活動だなと気づきました。

そのような感じで、我が家では『MatsubaLab.』というおうち実験室的なものを遊びで作ってみようかなと思っています。おうち実験室と言っても何も特別なプロジェクトを走らせるわけではなくて、毎日自由研究をしているような普段の私たちの生活を、何かしらの形にしていったら面白いなと考えています。

娘の大人の意表をつくような質問にウンウン言いながら父と母で答える様子とか、キッチンで遊びながら色水の実験が始まってしまったりとか、そんな日常。

私はよくわからないまま始めて、走りながら考えて作るタイプなので、とりあえずnoteにマガジンを作ってみようと思います。
これが花咲じじい的なものかどうかはよくわからないけれど、でもやってみます。楽しそうだから^^

娘のアナ雪と十牛図 

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前はエルサだけでアートハランへ行っていたけど、今度はアナとオラフも一緒に連れて行くようです。最近はクレヨンでがっつり書くのがブームらしいので、書いた後はフキサチーフ(パステルとか鉛筆、クレヨンなどが紙に固定されるように吹きかけるスプレー)をシュッとしてベランダで休憩。

なんだか構図が日に日に洗練されてきています。

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