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072. ふと思い出す、コロナ禍の子どものつぶやき

bonsoir!🇫🇷 毎週金曜日更新のフランス滞在記をお届けします。
つい一昨日はわたしのお誕生だったのですが、この日が来ると2020年にフランスで迎えたお誕生日を思い出してしまう。お誕生日プレゼントはまさかのマクロン大統領からのロックダウン宣言だった。着物を着てフレンチを・・という楽しい計画はまんまと崩れ去りアルプス山脈をのぞむ平原にて寒空の下、水筒に入れたコーヒーとブーランジェリーで買った小さなケーキでお祝いした2年前のあの日のことを・・。

あれから2年経って、住み慣れた里山から少し都市部に戻り、片時も離れることなくいつも足元にくっついていた娘は幼稚園に入り、わたしは仕事復帰をした。日本にいながらどんどん変わりゆく私生活に身を任せているうちにフランスに滞在していた頃の記憶は遥か遠くへ消え去っていく。

しかし、ここ最近の世界情勢によって図らずもまたフランスを身近に感じるようになってしまった。フランスはじめ欧米のニュースをよく見るようになったし、この世界が混沌に飲み込まれていく過程が、あの未曾有の感染症とそれによる社会の大きな変化に引っ掻き回されていたあの頃を彷彿とさせるのかもしれない。

2年前のお誕生日、人間のゴタゴタをまるで知らないかのように凛とそびえる山々と青く澄んだ空を見ながら、人間が築き上げてきた(と思い込んできた)平和ってものはなんて儚く脆いんだろうな、と思った。あの時の感じを今こんな形でありありと思い出しているだなんて、なんと切ないのだろう。


こういう時、ふっと記憶の奥底に潜んでいた何気ない瞬間の出来事が湧いてきやすい。フランスでとった写真を眺めながら今日書く記事のネタを探していると、娘とフランスのリビングルームで遊びながら作った爪楊枝の作品に目がとまった。

わたしと娘はいつもその場で即興的なやりとりを通じて二人で何か一つの作品を作っていくという遊びをする。あの時は爪楊枝とビーズと羊のおもちゃで即興劇をはじめたらお家が出来上がったのだが、その時娘が言った。

「みんなおうちに帰れてよかったね」

あの時はふーんとただ流していたけれど、こうやって思い出すということは無意識的に心に留めていたのでしょう。そして、ふとした瞬間にポンとその印象が強調された形で返ってくる。子育てをしているとたまにこういうことがある。

あぁそうだよね。本当に。
おうちに帰れてよかった。本当にそうだよね。
そういえば、わたしも幼い頃から不思議に思っていた。

どうして、おうちに人が居ないのだろう、と。そもそもどうして大人になると当たり前に仕事をしに外に出るのだろう。人の一生のうち家族と過ごすよりも会社の人とか、学校の人とか、外の人と過ごす時間の方がトータルで長いのはなぜなんだろう。じゃあ、一体なんのために家族っているのだろう。ただ寝に帰ってくる家を共有している存在なのだろうか。それって家族じゃなきゃいけないの?血のつながりがなくてはいけないの?と。

あれから、STAY HOMEという単語が一般的に、半ば強制力のある言葉として使われるようになったのがとても不思議だった。家にいるのがどうしてこんなに苦痛を伴うのだろう?私たちの居場所は社会であり、家ではなかったのかしら。社会に求められる形で、「おうちにかえる」こととなって、それによって、今まで家が空っぽだったという事実と、家ってそもそもなんなのだろうという疑問を突きつけられてきた。そんな2年間だったなぁ。

だから今、時を寝かせて「みんなおうちに帰れてよかったね」という彼女のとても素直に発せられた言葉に衝撃を受けている。わたしが子ども時代に置いてきてしまった忘れ物を目の前に差し出されたようで。

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