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Vol.18 フランスのマダムに諭されて自分の謝り癖に気がついた話

bonjour! 毎週金曜日に更新しているフランス滞在記🇫🇷
今日は、印象に残っているある日のフランスマダムとのやり取りについてお話しします。

2019年11月某日、私がまだフランスへ来たばかりの頃のこと。
滞在先のグルノーブルは研究都市で、様々な国から来た人が多く行き交う国際的な街でした。それまで暮らしていた日本の里山とは大きく違い、どこへいっても人にぶつかる。なおかつ、お互いにぶつかってもあまり気にせずみんな進む、というような雰囲気で、ぶつかってもさらっとライトに「Pardon!(おっと失礼!)」みたいな感じで切り抜けていくのです。

ここまでは日本でも良く体験することだし特別なこともないけれど、フランスで暮らしながら新鮮に感じたのは日本人の発する「ごめんなさい」や「失礼しました」などの言葉に含まれる「ご迷惑をかけて申し訳ありません・・」という、場に対する謝罪みたいな重さを感じない、ということでした。

ある日、混雑するトラムの中へ当時3歳の娘を連れて乗った時のことです。
トラムが無骨に揺れるたびに興奮して喋りまくる娘をいなしながら「あぁ早く目的地につかないだろうか」と物憂げにしていると、

「madam?」

近くにいたキリッとしてとても綺麗な50代くらいのフランス人マダムが、私の肩を叩いてきたのです。

・・あぁ、怒られる。フランス人はマナーに厳しいって聞くし。それにこの方「わたしは育ちがいいのですよ」という雰囲気が存在から滲み出ている。あぁどうしよう・・。

私は結構動揺しながらそのフランス人マダムの顔を恐る恐るのぞいた。
すると、ものすごいスピードでこちらにフランス語で話しかけてきたのです。
ますます動揺を深める私。

マダムはひとしきりフランス語でお話すると、私がフランス語を理解できないとわかったのか今度は英語で「No problem!Don’t worry!」と私の目を見ながら繰り返してきた。そしておそらく「あなたは大事なことをしているのだからそんなに謝ってはいけません」みたいなことを力説され、娘のことをとても「smart」だと言って笑っていた。

よかった、怒られているわけではなくどうやら私は慰められているらしい、ということがわかってほっとした。

それにしても、私ってそんなに謝っているのかしら・・・?

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マダムに挨拶してトラムを降りると、自分の言動一つ一つに注意を向けた。
すると、事あるごとに無意識的に「Sorry、Sorry」と謝罪を繰り広げている自分にびっくりしてしまった。

こんなに謝っているのか、私は。
はて。私はいつからこんなに謝り癖がついたのだろう?

そもそも私って、そんなに謝らなくてはならないことをしているのだろうか?


周囲に振りまかれていた意識が急に自分に戻され、いろんな思いが去来し始めるとともに、先程のフランス人マダムが自分に心を向けてくれた意図や意味がじわりじわりと身にしみわたり胸の芯がホッと暖かくなった。キュッと険しく結んでいた眉間は緩んで、自然と「ありがとう」を言葉にしたくなっていた。

同時に、普段自分がどれほど「場」の同調圧力と子どもの好奇心との間でに板挟みになっていたのか気づきはっとした。

私は自分の子供に対して、できるだけ「社会」のなかに漂う空気を読まずに自分の衝動をそのまま表現してほしい、と願っていた。
しかし、一歩家から外へ出て社会というものに触れた時、子どものありのままの衝動は社会という場を「乱すもの」や「迷惑をかけるもの」として映ることも多い。ことさら日本においてはそれを場という集団で裁く風潮が強いのは辛い。

フランスにももちろんそういった場の同調圧力はあるだろうけれど、日本的な湿り気の強い圧力からは解放される。
そうしたら、〝社会と子ども両者の間に挟まってひたすら謝り続けることでなんとか調和を保っていた私〟という自分が無意識的に演じていた母親像が実にクリアに浮かび上がってきたのでした。

私のようにちょっと潔癖で、神経質なお母さんに対してはぜひフランスで数ヶ月育児を、とお勧めしたいけれど、ここで私が言いたいのはそういうことではありません。また、同調圧力がかかりやすい日本の風土を批判して、個を重んじる西欧文化が素晴らしいと言いたいわけでもない。

ただ、長らく住み慣れた土地では「当たり前」が山積してきて無意識的に苦しくなっていることがある。そんな時には、住み慣れた土地の「当たり前」が特に意味を持たないような文化に触れてみるのはすごく自分を解放にしてくれる。
一旦今までの当たり前を自分の外に取り出して眺めてみると、一つの自由が得られ、自分という存在を立体的に見られるのはとても楽しい。

そして何より再び「当たり前」へ戻っていった時が楽しい。以前では認識できなかった側面に気づくことで雑味や不要な重みみたいなものが自然と程よく禊がれていき、なんとも言えない清々しさを覚える。

トラムで出会ったフランス人マダムのことを思い出すと「当たり前」が覆される時の爽快感と、いつでもそこから自由になって生活していけるという清々しい感覚が返ってくるのです。


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