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「死の恐怖」との付き合い方(1)

さらにラッセルのエッセイからの続きの引用です。
今回はちょっと長目になるので2パラグラフsに分けますね。

齢老いた人たちの中には死の恐怖にさいなまれる者もいる。まだ若いうちなら、そういう感情を抱くのも分からないではない。例えば戦争に駆り出されて殺されることを恐れる若者たちにしてみれば、これから人生に待ち受けている様々な最高のものを得るチャンスを騙し取られることを無念に思うのも宜なるかなである。しかし、人としての喜びや悲しみを知り、自分のなすべき仕事をやり遂げてきた老人ともなれば、死への恐怖に苛まれるなどというのは、いかにも浅ましく恥ずべきことであろう。

バートランド・ラッセル「いかに齢を重ねるべきか」 景丸 Jr. 訳


要するに、いい歳こいて死を怖がってるご老人たちには、それまでも十分生きてきたという満足感や充実感がないんだよね⋯⋯ってことかな。

ほら、「トリアージュ」って言葉(というかコンセプト)、ある時期から日本でも広く一般にも知られるようになったよね。
元々は緊急医療分野の専門用語で、大事故や大災害などで多数の被害者や被災者が出た時に、応急処置や手当ての緊急度に従って、助ける人たちに優先順位をつけること。

そういう状況に被害者として遭遇したある高齢者が、救急隊員に「私はもういいから、若い人を先に助けてあげてください」と言って亡くなったという話を聞いたことがある。
実際のところ、状況としてかなりギリギリの状態だったんだろうね、周囲もご本人も⋯⋯。

にしても、「私はもういいから」という言葉はこの場合とても深く響く。
ただ単に利他的な行為だとか、博愛主義だというだけではないような気がしてならない。

それよりも何よりも、
私はもう十分生きてきたし、自分の人生に満足しているから
という意味だったんじゃないかと思う。

だとすれば、すごい輝いているし、かっこいいし、尊敬できる⋯⋯と感じるのは拙者だけだろうか。

今の身共にそういうことが言えるだろうか?
今のあなたにそういうことが言えるだろうか?

シーン。。。という沈黙の声が内外から聞こえるような気がしますが、

とりあえず、ここまで前半の原文は以下の通り。

Some old people are oppressed by the fear of death. In the young there is a justification for this feeling. Young men who have reason to fear that they will be killed in battle may justifiably feel bitter in the thought that they have been cheated of the best things that life has to offer. But in an old man who has known human joys and sorrows, and has achieved whatever work it was in him to do, the fear of death is somewhat abject and ignoble.

Bertrand Russell "HOW TO GROW OLD"

To be continued

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