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フェキル:リバプール移籍破談や自身の経験について

2018年夏のリバプール移籍破談やチャリティ、そして自身の経験について、フェキルが Times のインタビューにて話しています。

元記事は下記のリンクから。リンクの下からが本文です。

ワールドカップに注目が集まっているが、優勝を経験すると人はどう変わるのだろうか。2018年、ナビル・フェキルはフランス代表としてトロフィーを掲げ、その記憶は輝いている。

素晴らしい経験だったけど、謙虚でいることが大切だ。

フェキルは語る。

現在ではレアル・ベティスのストライカーはディディエ・デシャンの代表チームから外れてラ・リーガの再開とセルティックとのヨーロッパリーグでの対戦に向けて集中しているが、モスクワでの決勝戦を含めたロシアでの6試合は常に特別な記憶となっている。

プレシーズンにセント・ジョージズ・パークで会ったとき、彼はたくさんのことを思い返していた。2018年にリヨンからリバプールへの移籍が失敗に終わったことへのフラストレーションがあり、まずは不明瞭になっていることを明らかにしたいと考える。

移籍が頓挫したのは膝の古傷のせいとされたことだ。

嫌な時期だった。たくさんの嘘を見た。膝の問題がリバプール行きを止めたと言われるが真実ではない。クレールフォンテーヌでメディカルチェックを行い、膝に問題は無かった。私は代理人らと問題を抱えた。移籍が成立しなかった責任は彼らにある。成立しなかった理由を見つける必要に駆られた彼らは膝の問題だと非難した。

フェキルの元代理人ジャン=ピエール・ベルネス氏は膝の問題と別の代理人が関わったことが破談の理由と主張。

膝はただの言い訳だ。

破断した翌シーズンはリヨンで37試合に出場、その後はベティスで74試合に出場、そして言うまでもなくフランス代表にも選出されていることが膝に問題は無いと表している。

もちろんリバプールに行けず失望した。リバプールは最高のクラブだからとても失望した。クロップとも会って、うまくいっていた。彼に会ったあとは更にリバプールに行きたくなった。彼は良い人だ。本当にリバプールに行きたかったから受け入れるのが難しかったし、簡単ではなかった。


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画像:Goal.comより引用


だが、この年にはロシアでの喜びがあった。

ワールドカップを勝ち取るチャンスというのは、素晴らしい経験だった、とんでもない経験だった。世界チャンピオンになっても変わらない。私は私のままで、違いはトロフィーを持っていることだけ。変わらずに謙虚なまま。謙虚でいることは大切なことだ。

同じくフランス代表のエンゴロ・カンテのように。フェキルは笑みを浮かべながら語る。

カンテはピッチ上で見たままの人物だ。とても謙虚で控えめで自分の仕事に専念する。ポグバはもう少し華がある。良いやつだし、もう少しスター性がある。ヴァランは素晴らしいDFだ。バランスが取れていて、空中戦も地上戦も強く、パスも上手くてゴールも決める完璧な選手だ。人としてはとても素直で、誰とでも仲良くなる。

フェキル、ポグバ、カンテといったムスリムにとって、ワールドカップへの準備は大会前日まで続いたラマダン期間の断食によって難しいものとなった。

難しい選手もいるが、私にとっては習慣であり適応していた。暗くなってからベッドに入る前に食事をする。夏になると日が長くなるから難しくなる。ワールドカップ前の少しの間だけだったし問題はなかった。特別な1ヶ月だったからね。

ポグバとカンテは、フェキルが妻のナディアと一緒に運営しているチャリティ団体 Seed に参加している。 Seed はモロッコの孤児院のスポーツ施設やマリの学校の建設など、アフリカ各地のプロジェクトに資金を提供している。

このプロジェクトには妻の存在が重要だ。

フェキルはそう強調する。

妻が全てを取り仕切っている。私の仕事を利用して、困難な状況にある人々を助ける機会を得た。フットボーラーはお金をたくさん持っていても、良い心も持っている。 Seedのようなプロジェクトで困難な状況にある人々を助けたい。我々はフットボーラーとしてソーシャルメディアに多くのフォロワーがいる。ポジティブな行動で人々を助け、この機会を利用してフットボーラーはお金や車が大事というイメージを変えたい。

フェキルは何度も笑顔を見せるが、苦しい経験もした。14歳の頃、故郷のクラブであるリヨンからリリースされた。

でも、自分を疑ったことはなかった。考えたのはピッチ上で楽しむことと友人とプレーすること。それが功を奏したのか私は今世界チャンピオンだ。両親は人生で成功するためにはリスペクトすることと常に努力することが最も大切と教えてくれた。前向きに、控えめに、そして謙虚にいれば全てがうまくいく。

彼はリヨンに間違いを犯したと見せることを決意し、地元のアマチュアクラブでの優秀なプレーはリヨンに再契約を促した。2015年に膝の靱帯の怪我から立ち直ったときも彼の決意があった。

長い間離脱していた。6ヶ月間だ。強くいることは難しかった。難しいことばかり考えてしまい、心を強くすることで乗り越えなければならなかった。


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画像:Telegraphより引用


2017年にはダービーでゴールを挙げた後にユニフォームを脱いで見せつけ、ライバルのサンテティエンヌのファンを挑発したことで試合は40分間も中断した。フェキルはその記憶を笑い飛ばす。

そうだ、そうだった。リヨンとサンテティエンヌの間には大きなライバル関係がある。私がユニフォームを脱ぐ前からね。その関係は常にある。それがフットボールだ。

リバプール移籍破談についても同じような心の平穏を見つけようと試み、ベティスに楽しみを見つけた。

リバプールのことは悲しかったけど、もう大丈夫。ベティスは家族みたいなクラブだ。私も家族もとても良く出迎えてもらった。快適に過ごせるように全てを整理してくれるし、たくさんの歴史があり、たくさんのファンがいるクラブだ。
とても良いフットボールをする。バックラインからのテクニカルな私が愛するフットボールだ。ラ・リーガのテクニカルな面が好きだし、リーグ・アンよりもテクニカルだ。ペジェグリーニは常に選手のベストを引き出す方法を知っている素晴らしい監督だ。彼は選手たちを楽にさせてくれる。

セルティックとの対戦が決まる前に話をしたが、フェキルの目標は明確だった。

ゴールを決めること、創造すること、キラーパスを出すこと、そして全力を尽くすことだ。

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