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孤高の天才ミュージシャンに震える マイク・オールドフィールドの登場

 1974年のロック界の「事件」として、このアルバムのことはどうしても語らないといけないですよね。

 といって、本当はこのアルバムが英米で発売されたのは1973年の5月なのです。(やっぱりプログレの超当たり年、73年!)その後ずーっとイギリスのアルバムチャートにランクインして、74年の秋に全英チャート1位になります。そんな感じだったので、73年〜74年前半頃の日本にはまだあまり情報は無かったと思うんですよ。あっても当時の中学生には引っかかってないんですね。結局日本で、このアルバムが話題になったのは、やはり映画「エクソシスト」の影響が大きかったのだと思います。

Tubular Bells(1973)

 映画「エクソシスト」、キリスト教国とは言えない日本でも当時ものすごく話題になりましたね。調べたところ、日本の封切りは74年の7月13日(土)だったのでした。確かこの土曜日は学校が休みで、この封切日に友達と二人で渋谷か銀座の映画館にのこのこ出かけたら、とんでもない激混みで、炎天下のなかで3時間以上並んで映画を見たという記憶があるんです。

 で、この映画、たしかに強烈なインパクトありました。こういうホラー映画を見たのなんて、人生初ですからね。映像は本当にショッキングでした。(多分、キリスト教を社会のベースとしている国では、もっともっと衝撃が強かったのではないかと思いますが)そこで使われていた音楽も、まあ何というか、けっこうホラー映画の劇伴としては良かったんではなかったかと思いますが、正直音楽については、そんなに印象に残らなかったと思うんです。

 ところが、これが後からじわじわと話題になってくるわけなんです。

  • エクソシストのテーマ曲は、イギリスの新人ミュージシャンのアルバムの冒頭3分だけが使われている。

  • そのアルバムは、A面、B面の曲がつながっていて、合計48分の曲がアルバムに1曲しか入ってない。

みたいな情報が耳に入ってくるのですね。当時「1曲が長い」というのは、プログレの証みたいなイメージが強くて、「え、あの曲ってプログレだったの?」と思うのですが、映画で使われてるところしか知らないと、まるでプログレには聞こえないのですよね。

 ところが、当時のビッグネームのロックバンドと違い、全くの新人のファーストアルバムだし、PFMのようにEL&Pのような有名どころがプッシュしたというようなこともなかったので、さすがに、ロックマニアがけっこういた周囲の友達も、いきなりこれに飛びついて買うような奴はいなかったわけです。

 そんなとき、ぼくらの味方だったのはFMラジオでした。当時FMラジオでは、新譜のLPレコードを最初から最後まで全部放送してしまうことがときどき行われていたのです。それも、FM放送をテープで録音してるリスナーへのサービスだったと思うのですが、曲にアナウンスを全く被さないで放送してくれるのです。こうして、リスナーはカセットテープにアルバムを1枚丸ごと録音することができたのですね。

 このとき、わたしはFM放送で、このTubular Bellsを録音することができたのです。当時土曜日の午後3時から、NHK-FMの地方放送局が2時間くらい洋楽リクエストアワーをやっていました。これは、東北出身のわたしのカミさんも昔聴いていたという話をきいていますので、おそらく日本全国地方のNHK-FM局がそれぞれでやっていたのではないかと思うのです。東京の南のはずれに住んでいたわたしは、土曜日の午後はNHK横浜放送局のリクエストアワーを、いつもラジカセ抱えて聴いていたわけなんです。そしてこの番組が、あるときTubular Bellsを全曲放送したのですよね。これも、当時かなり話題になっていたので、「来週Tubular Bellsを全曲放送します」って予告があったと思うのですよ。なので、その日は60分のカセットテープを用意してラジカセの前で待ち構えてエアチェックしたのでした。

 こうして初めて聴いたマイク・オールドフィールドの音世界は、これがまた経験したことがない凄いものでした。オンエアで初めて聴いたときは、なんか情報量が多すぎて、いまいちピンとこなかったのですが、テープに録音したそれを、繰り返し聞いているうちに、すっかりその世界に魅せられてしまったのです。当時は、これもプログレのひとつとして、そのまま受け入れていましたし、「すべての楽器を一人で演奏して、数千回のオーバーダビングを重ねて作り上げた」等のテクニカルな面にも相当なインパクトを受けていたのですが、今にして感じるのは、この音楽はプログレなんてものを完全に超越して、なんか人間の根源に訴えかけてくるような不思議な土着性を感じるんですよね。とにかく、これこそ一生聞き続けても飽きない音楽なんだと思います。

 これはわたしの以前からの勝手な考えなのですが、ミュージシャンというのは、天才と、努力型秀才に分けられるのではないか、と思っているのですが、このマイク・オールドフィールドこそ、間違いなく天才ではないかと思うのです。わずか19歳にして、たったひとりでそれまで誰もやったことが無い音世界を創造して、それを大ヒットさせてしまうし、その後もおいそれとフォロワーが出てこないという、まさに孤高の存在のミュージシャンだと思います。こんな人は、他に思いつかないですよね。こういうミュージシャンの登場を、ほぼリアルタイムに経験できたというのも、今もって得がたい体験だったなあと思うのです。

 そんなマイク・オールドフィールドですが、チューブラ・ベルズが売れたために、あと2枚のアルバムを立て続けにリリースすることになるわけです。それが、

Hergest Ridge(1974)

Ommadawn(1975)

ですね。これがマイク・オールドフィールドの初期三部作といわれる作品です。ここまでは本当に熱心に聴きました。1作目が大ヒットしてしまったので、急がされて作ったのでしょうか、音の密度というか楽器のバリエーション、曲の展開頻度などはTubular Bellsには及ばなくなるのですが、それでも彼の音世界を存分に楽しめる続編です。2作目のHergest Ridgeは、リリース時は地味でTubular Bellsに遠く及ばないという印象を受けたのですが、今聞き返すとやっぱりオールドフィールド節が全開で沁みまくります(これはリマスターの影響もあるのかもしれませんが)。また3作目のOmmadawnのメロディは当時からずっとすばらしいと思ってます。Tubular Bellsの次に好きです(笑)

 それにしても、毎年こんなアルバムを1枚、たったひとりで製作するって、どれだけ過酷な作業だったのでしょうか….。結果マイク・オールドフィールドは、しばらく休養することになってしまうのですね。そして、1978年の Incantations(邦題:呪文)で復活するわけなのですが、この辺からあまり彼のことはウォッチしなくなってしまったのです。

 というのも、78年4月にわたしは地方の大学に入学したために、周囲にプログレどころか、洋楽を聞く友人がほぼ皆無になってしまったのでした。これは、正直カルチャーショックでした。それまで、若者は洋楽ロックを聴くもんだと思い込んでいたわけなので、自分が突然音楽的マイノリティになってしまったのです。それでも、ジェネシスとそのファミリーだけは何とかひとりで頑張って追い続けていたのですが、それ以外は流行に乗って、フュージョンとかジャズとか、サザンオールスターズなどを聞くようになっていたのです。だって、レコード貸してくれる友人は極端に減ったし、たまに友人から貸してもらえるのは、そういうのばっかりだったですからね。この頃には、貸しレコード屋というお店が結構出始めたのですが、プログレのレコードなんてまず置いてませんでしたので。

 そんなわけで、その後のマイク・オールドフィールドを聞くようになったのは、社会人になってからなのです。

 初期三部作以降の彼はTubular Bellsと同じ系統の、長尺ものの1人演奏楽曲だけでなく、キャッチーな短い曲も結構書くようになり、それらも案外好みでした。短い曲になっても、やっぱり、マイク・オールドフィールド節みたいなものを感じるんですよね、何か。

Moonlight Shadow (1983)

1983年リリースのCrises収録曲。ヨーロッパでは大ヒットしたそうです。動画で歌ってるシンガーは、オリジナルとは別の人ですね。

Sailing (2013)

こちらは、2013年リリースのMan On The Rocksの冒頭曲。このPV初めて見たときは、一瞬驚愕しましたが、でも良い曲です(^^)。それに、ここまで来ると、かつてのEL&PのLove Beachのような衝撃も受けず(笑)、何でも受け入れてしまい、天才マイク・オールドフィールドの今は幸せそうで良いよねえと思えたのでした。

 一方、ダンス系のような作品もいくつかあるのですが、そっちはわたしには刺さりませんでした。もともとダンスミュージックはあまり得意で無かったところに、聴いてもマイク・オールドフィールドらしさを感じることができず、あまりよく分からなかったんです。また、Tubular Bellsのセルフリメイクを何度もリリースしていますが、まあそれはそれで横目で見ながらも、結局いつも付き合ってるという感じなのです。彼は現時点(2022年7月)でまだ70歳になっていませんので、まだあと数枚はなにかリリースしてくれるんじゃないかと思って期待しているのです。


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