1984年のプログレ的風景:何をやっても売れるフィル・コリンズに、ポップ化したマイク・オールドフィールド、そしてキング・クリムゾン二度目の活動停止
この年のトップバッターは、またしてもフィル・コリンズです。ただ、このときはソロアルバムの曲ではなく、映画のサウンドトラックでした。Against All Odds(邦題:カリブの熱い夜)という映画のテーマソングだったのですが、これが大ヒット。フィル・コリンズ初の全米No.1ソング(全英2位)となるわけです。この映画、前年にヒットしたフラッシュダンスのように、サウンドトラックにわりとたくさんのミュージシャンが参加するスタイルで、メインはラリー・カールトンだったのですがその他、フリートウッド・マックのスティーヴィー・ニックス、ピーター・ガブリエル、マイク・ラザフォードなんかも参加しているというなかなか通な人選だったのです。まあメインテーマソングとして起用されたフィル・コリンズの曲が、めでたく初の全米No.1となる大ヒットになったわけですが、ひとつの映画のサントラにジェネシス関係者が3名も関わるという、まあ珍しいことが起きたということで、わたしもこのサントラは全力で買いました(^^)
Against All Odds / Phil Collins
Walk Through The Fire / Peter Gabriel
Making A Big Mistake / Mike Rutherford
ちなみに、1984年というと、インディー・ジョーンズ魔宮の伝説とか、ビバリーヒルズ・コップ、ゴーストバスターズ、グレムリン、ネバーエンディング・ストーリー、ベスト・キッド、ポリスアカデミー、フットルース等などと、まさに蒼々たる映画のヒット作が目白押しだった年なんですね。この映画は、この年の興行成績ランキング48位に入ってますので、まあそこそこヒットした映画という認識で良いのだと思います(わたしはいまだに見てませんがw)
そして3月に再結成キング・クリムゾンの3rdアルバムがリリースされます。正直に言うと、わたしはこのとき、このアルバムが発売されたことすら認知していませんでした。思い返せば、もうこの頃はほとんど音楽雑誌を読まなくなっており、いつの間にか洋楽情報はほとんどが小林克也のベスト・ヒット・USAばっかりという状態になっていたような気がします。こうして、すっかり体からプログレ成分が抜けてしまったようだったのです。
Three Of A Perfect Pair / King Crimson
結局その後CDを買うこともなく、キング・クリムゾンがストリーミングで配信されるようになったのも、2023年になってからだったわけで、わたしがこの作品を聴いたのは、本当につい先日のことなのです。誠に申し訳ございません。というわけで、わたしにはこのアルバムについて語る資格など全く無いのですが、今改めて聴くと、エイドリアン・ブリューにほんの少し時代の雰囲気を感じるような印象がある一方、フリップ御大の方は相変わらずでして、正直かなり厳しい印象しかありませんでした。曲の途中に延々とストレスためるようなパートを入れて、その蓄積を一気に開放するという「プログレの王道」的展開というのは、そもそもロバート・フリップの発明だったのではないかと思うのですが、このアルバムでは、Industryなんて7分超える曲でも、一度も開放してくれずにそのまま終わってしまうんですよね….。もはやわたしのようにポップスに堕落したプログレファンには難解すぎて理解出来ないシロモノになっているわけなのです。そしてこういう内容が大衆に受けるわけもなく…。結局このアルバムで、ロバート・フリップは、二度目のBible Blackな状況になってしまったのか、再結成キング・クリムゾンは、3枚目のこのアルバムを最後に、再び解散状態に戻ってしまうわけです。
実はこの年、Till We Have Facesというスティーブ・ハケットの新譜も出ていたのですね。ところがマイナーレーベル所属になってしまった悲しさか、あれだけジェネシス関連に突っ込んでいたわたしですら、このとき新譜がリリースされたことをキャッチできておらず、スティーブ・ハケットについては、この後スティーブ・ハウと組んだGTRでもう一度脚光を浴びるまでは、忘れてしまっていたような状態になっていたんです。その間は、フィル・コリンズばっかりという状況になっていたわけでして…(^^;)
一方、前作でポップ路線を取り入れたマイク・オールドフィールドでしたが、それでヨーロッパ中心にヒット曲が生まれたためでしょうか、前作よりもさらにポップ路線の新作がリリースされました。プログレ成分が随分体から抜けてしまったのは、わたしだけでなかったようで…(笑)
Discovery / Mike Oldfield
To France / Mike Oldfield
このアルバム、エンディングにはいつものマイク・オールドフィールドっぽい長尺曲(といっても12分ちょいですから、以前の半分以下)があるのですが、それ以外は冒頭から全部歌ものの3〜4分台の曲で占められており、明らかに前作のヒット曲路線を踏襲してきたアルバムだったのですね。でも、ここからシングルカットされたTo Franceは、全英48位と、先のMoonlight Shadow(全英4位)には及ばなかったのでした。
さて、84年の最後は、またしてもフィル・コリンズなのです。今度は自身のソロではなく、フリーダに続くプロデュース作品第2弾で、アース、ウィンド&ファイアのボーカリスト、フィリップ・ベイリーのソロアルバムです。
Chinese Wall / Phillip Bailey
フィル・コリンズは、1stソロアルバムから、アース、ウィンド&ファイアのホーンセクションであるフェニックス・ホーンズを起用していましたので、その関係でフィリップ・ベイリーをプロデュースすることになったようです。余談ですが、彼の自伝に、こんなくだりがあります。イギリス人である彼自身も驚いたそうですが、80年代になってもまだ、アメリカの音楽市場では、黒人の音楽と白人の音楽とは厳然と線が引かれていたような状況だったのですね。
ところが、こんな状況でも、フィル・コリンズは何の忖度もせずに自分の色を出しまくるのですね。「白いアルバム」どころか、フリーダのときと同じく「自分のソロアルバムにフィリップ・ベイリーが歌で参加した」みたいな作品を作ってしまい、これがまた大ヒットするわけです。特に、シングルカットされたEasy Loverは、アルバム唯一のフィル・コリンズとフィリップ・ベイリーの共作曲で、男女関係なくデュエットしてしまう相変わらずのフィル・コリンズだったのでした。
Easy Lover / Philip Bailey, Phil Collins
こうして、84年は、サントラに提供したバラードで自身初の全米No.1(全英2位)を獲得、人の作品をプロデュースすれば、デュエットした曲が全米2位、全英1位の大ヒットになってしまうという、フィル・コリンズにとっては、まあノリノリな1年だったわけなのです。ただ、この年のフィル・コリンズの活躍は、続く85年、86年の前触れでしかなかったのですが…(^^)
ちなみに、フィル・コリンズは、この勢いで、次にエリック・クラプトンのアルバムのプロデュースを行い、ここでもかなり自分色をやってしまい、一部が作り直しになるわけなんですね。Behind The Sun というアルバムです。
Behind The Sun / Eric Clapton 1985
さらに、ちなみになのですが、83年にデビューしたプログレバンド、マリリオンは、この年2ndアルバムをリリースします。これが全英アルバムチャートで最高5位、20週連続チャートインというヒットを記録するんですね。まだわたしは、まったくマリリオンの存在を知らなかった時期でしたが、旧プログレ勢が軒並みポップ化して、ポップ化しなかったプログレの元祖キング・クリムゾンが消えていくなかで、イギリスを中心としたヨーロッパではポンプロックと呼ばれるネオプログレムーブメントが拡大し始めていたわけなんです。
Fugazi(邦題:破滅の形容詞) / Marillion
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