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自分を傷つける人は存在しない

“傷ついた”に潜む本質

あなたも、過去に誰かから言われたりされたりしたことで
傷ついた経験は生きている中で一つや二つあるでしょう。
(というかいっぱいあって悩んでる人も多いと思う)

みんな、誰しも、傷ついたらあの人がああ言ったから、ああしたから、と思う。

周りに相談しても、
「それはあの人が悪いよ」
「もっといい人がいるよ」
「あなたは間違ってないよ」

相談する本当の目的が、こういった”励まし”や”正当化”が主だったりする。

でも、考えてみてほしい。

誰かのせいにしたら、文句をいったら
あなたはスッキリしただろうか?

恐らく、
相手を打ち負かすことができた
こちらが絶対に正しいと思っていたとしても
心にわだかまりがあるのではないだろうか?


本当は自分が一番気づいている。


その出来事に対して何かのせいにすることへの苦しさに。

何かのせいにしている自分をみているのも
逃げてもまた同じところに戻ってくることもわかっている。

人を変えて環境を変えて同じような出来事がやってくる。

人は大きく傷ついた時、反射的に誰かや何かのせいにしたくなる。
その理由はそうした方が "一時的には楽" だからである。
人間だから瞬間的にそう思ってしまっても、仕方ない。

でも、根本を辿ると、誰かに言われた言葉や言動に対して
”傷ついた”と捉えたのは紛れもなく自分である。

つまり、誰かや何かに対して「傷ついた」というのは、
「起きた出来事に対して勝手に自分を傷つけてきた」
と解釈しているのである。

例えば、「あなたは気分屋ですね」と言われたとする。

ポジティブで上機嫌な時や、なんか嬉しいことがあった時は、そう言われても「まあそうだよね〜」「自分の気持ちに正直ってことかな?」と前向きに捉えられる。

でも、恋人にちょうど「気分にムラがあるから嫌なんだよ」と言われて、大喧嘩して別れるかもしれないという時には、「なんて無神経な言葉をこの人は言ってくるんだろう」と思ったりしそうではないでしょうか?

また、「あなたは笑顔が可愛いね」と言われたら、Aさんは「褒めてもらえて嬉しい」と思うかもしれないし、Bさんは「自分の笑顔が嫌いだから馬鹿にされてる気持ちになる」と感じるかもしれない。

周りの人は本当の意味で自分を傷つけることはできない。
自分を傷つけることができるのは自分である。

つまり、傷ついたに潜む本質は、「自分で要素を集めて自分を傷つけている」ことに他ならない。

自虐癖が止まらないということである。

逆に言えば、「周りの人や環境は一切関係なく、自分がどう思うか」でしかないのである。

深く傷ついた人は残虐に人を傷つける

深く傷つき、その心の傷が癒えきっていない時、
人は周りの人をむごいほど傷つけます。

無自覚に傷つけます。

それはあなたがたくさん傷ついてきたからです。

傷ついたから、もうこれ以上はダメと、
自分を守るために周りを攻撃します。
その時に発する言葉がナイフのように傷つけます。

だからこそ、もし傷ついたという自覚があり、自分の解釈で傷ついたと判断していると言われてもピンとこないのであれば

自分の傷に向き合って、自分にかけてもらいたい言葉を自分に言ってください。

褒めてもらえなくて、褒めてほしいなら自分で褒める。
悲しいなら自分でいたわる。
楽しい、ご機嫌なら一緒に楽しむ。

こういうことを小さくやっていってください。

自分への癒しの先に、あなたの心から望むものはあります。

なら、前向きに生きよう


先ほど、

自分を傷つけるものや人は存在せず、全て自分がどう思うかで決まる

とお話しました。

”過去にあの人からああいわれた、こうされた”

こんなこときっとたくさんありますよね(私もありました)

でも、傷を癒し、自分に向き合った先に、
自分がシンプルに起きた出来事にそう解釈しているだけだと気付きました。

傷ついたと思う時、感情が強く揺さぶられるので
ものすごい大きなこと、と思いがちですが
もう一回言います。

シンプルに起きた出来事にそう解釈しているだけです

つまり、

傷つきを手放して自分を解放してあげられるのも自分だけなんですよ。

そんなものに囚れず、

"だったら前向きになったほうがいいじゃん”

こう思えたら、
自分が何をできるか、何をするかに意識が向くようになり、
より明るい生き方になるでしょう。


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