携わるということ

知り合いの女性とアニメの話でなんだかんだと盛り上がり、映画「呪術廻戦0」の話になった。
その時はちょうど公開前日。公開当日に見る意味はあるなとすでに朝一で予約は取っていて(本当は夜みたかったけど、夜は幕張だったので、叶わず朝一)、いいですね~私も見に行きたいなんて話をしてて、入場者特典の0.5巻の話題になった時に、500万人の特典なんだけど、それは確保しておきたいんだよね、まぁ急がなくてもいいとは思うけど、初日だし問題ないね、なんて話をしていたら、彼女が「あ。私その本に携わってるんですよ」という話になった。

え?どの部分作ってるんだろう、いや、でも編集とかじゃないよなぁなんて色々と瞬時に思ったのだけど、話を聞いてみると

「その本かなりたくさんつくるらしくて、本のカバーをするのが時間的に厳しいらしく、何社かが手分けしてその本にカバーをかけていくっていう仕事をしました」

あぁ、そうだよね。それも立派な仕事。その人達がいなければ、各映画館での配布は遅れたかもしれません。数が数だし、納入云々考えても時間的には結構前から準備しなければいけないものだと思います。

正直、ハッとしました。

もちろん、作り手が一番目立つし、主体です。発信側なのでリスペクトされてしかるべき存在でもあります(そして同時に批判を受ける可能性を持った人達でもあります)。でも、一つの作品を世の中に出していくには直接的、間接的に関わらず工程が本当にたくさんあり、誰も知らない多くの人の手で成り立っています。

制作側の視点で考えてしまうと見落としがちな事です。本当に当たり前の事。当たり前すぎて、つい見落とされたり、忘れてしまいがちな大切な事。

何を作ったのかと思った自分がちょっと恥ずかしかったというか、そういう視点をすっかり忘れていた事に再度気づかせてもらいました。それはまた自分の身をグッと引き締める事にも繋がりました。

携わり方にはそれぞれあるけど、間違いなくその人は携わっているのです。それにね。携わっているんですよってスッと言える作品っていうのもまた何だか誇らしくていいですよね。そういう作品がたくさんあると考えたらそれはまた幸せな気持ちにもなります。感謝を忘れないといけないですよね。

携わるということ。携わってもらっているという事。

改めて、もう一回考えてみてもいいんじゃないかな。

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