『価 値』
生活しながら、子育てしながら、パート勤めをしながら、、百万円貯めるのに、どれくらい年月が掛かるだろう。
生活するためには、最低限の必要経費が伴う。家賃、光熱費、食費、交際費、交通費、通信費、、書き出すとゾッとする。
切り詰め、節約しながら、僅かでも蓄えを残そうとガンバル。百万円が達成できたら、次の百万円に向かって、またガンバル。そんな底辺の生活をしている人がいるということを、頂点の人たちは知っているのだろうか。
百万円の束が十個で一千万円。
一千万円が十個で一億円。
私が貯めようとするなら、果てしない挑戦となるだろう。
現段階では、あくまでも仮の予算ということらしいが、およそ16億円もの税金を投じて行う『お葬式』とは、これ如何に⁉
人の命にも重さがあるということか。
敬意を示すには、頭を垂れて合掌するだけでは足りないということだろうか。
事件を知って、驚いたし、同情したし、悲しい気持ちにもなった。
しかし、のちのち、明るみになった事実を知ることで、加害者は、加害者でありながら、被害者でもあることに気付かされた。
誰も助けてくれない。
誰も分かってくれない。
解決の糸口が見えない。
「それならば!」と、自分の人生を賭けて、行動を起こしたのではないだろうか。
最悪の手段を選んでしまったことに対して、今、どのような気持ちでいるのか、、、
もともと、自分の命が尽きることなど恐れてはいなかったのだろう。世間が自分の望むところに目を向けてくれることだけを願っていたに違いない。
最初は、内輪もめか、被害妄想か、世の中の矛盾に反発する人間のわがままか、と思っていたが、おなじ事例で困っている人はゴマンといた。
被害者の会があり、弁護団が窓口となって、何年も戦ってきたはずだ。しかし、解決の兆しは見えてこない。そんな矢先の、覚悟の行動だったのではないだろうか。
私ごときが、無責任に語るべきではないことは重々承知している。決して賛同できることではない。
只、子どもが親を改心させたくて、通常の生活を取り戻したくて、たった一人で必死に戦ってきたことに、心が動かされてしまうのだ。
真相はわからない。
事実が真実とも限らない。
世界中の人々が考えさせられる事件だった。考えなければならない事件だった。
だからといって、、、
莫大なお金を掛けて行うのは、少し行き過ぎのように思える。
最後の最後まで忠誠を尽くしたい人たちがタッグを組んで、16億円の費用を割り勘にするのなら、誰も文句を言う人はいない。皆から集めた皆のお金だから、その使いみちに物申したくなるのは当然である。
国民は貧しいのだ。
経済が、順調に回ってない。
物価上昇。金利低下。コロナ禍での就職難。そして年金問題。
皆で考えてほしい。
右に倣う必要はない。
国民の気持ちを、生活を、守ってほしい。
只、それだけのことだ。
みんなで、頭を垂れて、目を閉じて、心を込めて合掌することに意味があるのではないだろうか。
合掌
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