『領収書』

 世の中は豊かだ。

エコだ、節約だ、と掲げても、都合の良い所でしか導線が見えてこない。

 あの頃、固定電話は全世帯に普及していたのだろうか。皆が平等に、当たり前の生活ができていたとは思えない。貧しい地域もあれば、体調を崩して働き手を失った家庭等もあったかも知れない。水面下で喘ぎ苦しむ人々を尻目に、文明はどんどん進化していった。


 固定電話の普及から暫くして、『ポケベル』なるものが出現。「ナニ、コレ?」と驚かされたものだ。数字や暗号を送ることで気持ちを伝えるという、メールの前身みたいなものだったようだ。[ヨロシク]という気持ちを、[4649]というふうに数字を送る。予め、二人にしか分からない暗号を決めていたのだろう。[アイタイ]とか[デンワシテ]とか。ロマンチックだ。勝手ながら、高校生ターゲットの玩具的な物だと思い込んでしまった為、そして、固定電話で充分に事足りていた為、更に言えば、仲間内で誰も利用していなかった為、という理由で、飛びつくことはなかった。


 そのうちに、屋外で送受信できる電話機の登場。今のケイタイの前身である。かなりデカくて、ポケットに入るサイズではなかった。しかし、当時は画期的なシロモノ。高級品で、贅沢品で、手が届かない。多分、ごく一部の富裕層にしか浸透しなかったように記憶している。


 そこから一足飛びである。小型化が進み、PHSからケイタイ、スマホと呼び名を変え、形を変えて登場。ファッション性と機能性を兼ね備え、パソコンの性質を持つ、便利なプライベートフォンと化していった。このような時代が訪れようとは、半世紀前には誰も想像がつかなかったはずだ。

 テレビCM、街を歩けば大きな看板が目につく。夜の街では、ビルやバス停のモニターに、スマートでキラキラした携帯電話が映し出される。宣伝効果大である。

仕事に就いてない学生も、スネのかじりついでにケイタイをねだる。○○ちゃんも持ってる。負けたくない。新機種が欲しい。ホシイ、ホシイ。


 ケイタイ会社も競争で売り出しにかかる。人々の購買意欲を掻き立てる。

利用料は月に一万円前後ときた。手が届かない額ではない。何かを節約したり、我慢したりすれば、何とかなる!と、人々はケイタイを持つようになった。

趣味やショッピングに当てていたお金をやりくりして、ケイタイショップの戦略に乗る。この時、月に一万円前後の支払いが半永久的に続くことまで把握できてなかった。高級車を買っても、家を買っても、必ずいつか支払いが完了する。しかし、ケイタイは一度手にしたら二度と手放せないシロモノ。終わりのないローンみたいなものだ。


 当初、月々の利用料明細や領収書は、きちんと封書で届いた。一家に複数台の契約があっても、合算ではない。一台一台に対して詳細を明らかに記していた。電話やパケットの使い過ぎを反省したり、次月に向けての意識づけにもなった。なんせ、電波というものは目に見えない。使っていても使っている気がしない。明細を見て初めて「こんなに使ったんだ」と気付くのだ。


 近年は利用者の増加で事務作業が追いつかないのか、紙の節約なのか、これがエコというものなのか……。「明細書、領収書は配信で確認することができます」となった。「お願いします」ではなく、「できます」と、あくまでもサービスをアピールする。そして、紙の明細が必要な人は有料で、ということになる。この方式に習って、光熱費なども明細書の発送を省略する方向になっていく。チェッ!

これは、、、どうやら表向きは、紙を節約することで地球環境を守ることに繋がっているらしい。


 領収書の本来の意味を考えてみようではないか。「当店にて○と△と□をお買い上げくださり、誠に有難うございます」ということで「お代を ¥✕✕✕円、確かに頂戴致しました」という証明書のはずだ。消費者側としては「買い物をした上に、領収書にまで金を取るんかい?」と、腹立たしくなる。

皆が皆、ケイタイやパソコンで詳細を確認できるスキルを持っているとは限らないのに…

領収書、明細書の必要な人に有料で送付するのではなく、不要な人を募れば済むだけのことではないか。


 あちこちに電波が流れていて、その波に乗っからない手はない。仕事の合理化を反対する気もない。

ただ、年老いて、無力で、時代について行けない自分自身に、腹が立つだけだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?