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安曇野いろ「アイヌ刺繍」

  南房総市から小包みが届いた。中には一冊の写真集。光を含んだ藍色の表紙には『一本の縄から始まる』と手書きの文字がやわらかい。
「藍美さんだ」と、思わず本を抱きしめた。
 アイヌ刺繍家の四辻藍美さんと知り合ったのは、安曇野に越してくる直前のこと。「会って欲しい人がいる」と、わらべ歌伝承者の柚山明子さんに誘われた。「千葉からバスに乗ってフラリで降りると近いのよ」。フラリという言葉に心が揺れた。道の駅「冨楽里」で待ち合わせて、四辻さんのご自宅へ。部屋には刺繡を施したたくさんの着物や古布。藍の古布は生きていた。その一枚一枚に、表情があった。そして、糸の運びは古布の息遣い。密やかな息遣いが、部屋を縫ってさざ波のように広がって行く。
 魔よけのアイヌ文様にはどれも意味がある。藍美さんの指先はその意味を辿りながら、糸を絡めて新たな世界を繋いでいく。
 のどかな海辺の風に翻った布は、帰り際、今度はていねいに畳まれて箱の中へと戻って行った。その時私は、長い物語を読み終えた時と同じ「覚醒」の気分を味わった。
 人との出会いは、人生からの贈り物だ。冨楽里から戻るバスの中、言いようのない幸福感に満たされた。
 好きな道を一途に辿る人は美しい。戴いた写真集の最後の頁の言葉に、息が止まった。
「その人の役目が終わったときに人は逝く。年齢は関係ない。たとえ0歳でも0歳の役目があり、それを終えて逝くのだ」
 人生もまた、天からの贈り物にちがいない。天から贈られた時間の中で、私たちは生きていく。

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