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「待つ」

『クラバート』
 プロイスラー作
 中村浩三 訳
 偕成社

 お茶農家に嫁いだ静岡の友人から、毎年、新茶が届く。彼女の温和な笑顔を思い出しながら、丹精込められたお茶の香りと味を愉しんでいる。
昨年は、近所の友人にもおすそ分けした。
「あのお茶のね、とってもおいしい飲み方を発見したの」彼女はいたずらっ子のような笑みを浮かべて、教えてくれた。
茶葉をガラスの容器に入れる。水を注ぎ、日光で温まるのを待つ。それを冷蔵庫で冷やす。
じわじわとしみだしたお茶のエキス。とろりとした豊かな味だったそうだ。
「手間をかけて作られたものなら、手間をかけて煎れてみようと思って」
 作った人と採れたものとに礼を尽くす心が、こうして味の発見になるのだろう。
そうか、今年は私も真似をして、お日さまに煎れてもらおう。そして、静岡の友にも報告しよう。
以前、茶畑の写真を送ってもらったことがある。八十八夜の茶摘唄が聞こえそうな、明るく伸びやかな光景だった。天からと地からの恵みの中で、茶畑は黄緑色に輝いていた。
時をかけて作られたものは、何もかもが美しい。その自然からの贈り物が届くのを、昔の人は辛抱強く待った……季節を待ち、雨を待ち、光を待ち、風を待ち、熟すのを待ち、満ちるのを待ち、朽ちてゆくのを待った。
簡単なようでいて、待つことはむずかしい。待つことは受け入れることだ。そして、待つことは信じることだ。そう、信じることができないから、不安になったり焦れたりする。
『クラバート』という、ドイツを舞台にした少年の自立物語がある。魔法使いである水車小屋の親方に心を支配された十二人の少年たち。そこでは毎年、誰かが一人いけにえになって死ぬ。
 楽に生きることを選んでそこに来た少年たちだが、自由を奪われることと、死への恐怖が絶えずつきまとう。そこから抜け出す方法はただひとつ。愛する娘が水車小屋にやってきて、カラスの姿になった少年たちの中から、自分の愛する人を見つけ出すこと。もし見つけられなかったら、娘もその少年も死ぬ。
親方(父性)との生死をかけた闘いは、クラバートの身にもふりかかる。命の危険が迫ったクラバートは、大事なことを伝えるため、愛する娘を呼び出すが、彼女を待っているうちに、うとうとと眠ってしまう。
『クラバートが目をさますと、娘がそばの芝にすわっていた。娘はそこにすわって、しんぼう強く待っていたのだ。/「ねえ、きみはもうずっとまえからここにいたの?」と、クラバートはたずねた。「なぜおれを起こさなかったの?」/「私、べつに急ぐ必要はなかったから」と、娘は言った。「それにあなたがご自分で目をさますほうがいいと思ったし。」』
 この場面を読み返すたび、私は幸福な気持ちになる。
 凛とした愛だ。待つことは強さであり、愛でもある。
息を呑むラストシーン。娘はカラスになったクラバートを見事に言いあてる。親方は死に、クラバートは自由になる。
「どうやってきみはおれをさがしだしたの?」と、問いかけるクラバートに、娘は静かに答える。
「あなたが不安になっているのを、感じとったのよ。わたしのことが心配で不安になっているのを。それであなただとわかったのよ。」
 


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