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安曇野いろ「葡萄」

 子どもの頃、庭に葡萄棚があった。裏庭に涼しい木陰を作り、蜂たちが金色の羽ばたきを繰り返していた。透き通るような黄緑色の葉っぱの中に赤紫の実がいくつもぶら下がった。種ありの小粒のデラウェアで、当時は人気の品種だったが、実家を立て直したとき、畑の隅に追いやられた。しかも棚さえ作ってもらえず、地面を這って日陰でいじけていた。

 七年前に畑を引き継いだとき、日の当たる場所に葡萄を植え直してやり、棚を作った。甲斐あって、復活した葡萄の実は、小粒ながら甘くておいしい。ムクドリに食べられてしまった年もあるし、黄金虫の大発生で葉っぱが穴だらけになった年もある。昨年は、紫色に熟す前に、干しブドウになってしまった。暑すぎたのだろうか。

 消毒もせず施肥もしないほったらかしの葡萄。それでも、今年も頑張って小さな実を付けた。ジャムにできないかと摘んでいると、通りかかった人が声をかけて来た。「葡萄ですね。何という種類ですか?」
「デラウェアです。案外甘いんですよ」
ひと房差し出すと、すぐに口に入れ「ほんとう!」とつぶやいた。
「よかったら、もっといかがですか」
「うれしいけど、避暑に来ていて…」
日傘をさしたその人は、少し先の保養施設に泊っているという。七十代くらいの知的な感じの女性で、足湯の場所を探していると言った。
「見つからないのでもう帰ろうかと思って」というその人に、足湯経由で保養施設に帰る道を教えてあげた。「ちょっとだけ遠回りになるけど」というと、「健脚ですから」と打てば響くように答えた。
一期一会の出会いだけれど、また会いたいと思えるような人だった。
教えてあげた道に、ゆらゆらと日傘が揺れる。「健脚ですから」の言葉がいつまでも、頭の中に残った。
「健脚ですから」。自信をもってどこまでも歩いて行けるような生き方をしたいと、思わされるような一言だった。

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