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「希望」

 「テレジンの小さな画家たち」
       野村路子・偕成社

 遊びに来た三歳の孫が、抽斗からコピー用紙を取り出しては、何か描いていた。文字に興味を持ち始めたばかりなので、それは字なのだが、個性的なバランスのせいで絵のようにも見える。飼い猫の「しろ」と「くろ」の名前が書いてあり、文字の上には大きな目玉がぐるぐると四個光っている。二匹の猫が体を丸めてこちらを覗っているような、存在感のある絵文字である。
 心と手と紙が一体になって、言葉を発しながら絵を描く幼児の姿。見ているこちらの気分も踊る。うまく描こうとか、形に忠実であろうとか考えない分、実に楽しそうだ。
 習志野に住んでいた頃、自宅で三年ほど、子どもの絵の教室を開いていた。通わせる親御さんの思いは二通りに分かれた。「絵が下手なのでうまく描けるようにして欲しい」「絵が好きなので上達させて欲しい」。下手と言われた子は、下手なのではなく自信がないだけだった。幼児の絵には、上手下手の区別はない。子供の心がそこに映し出されているだけ。自信のない子には、粘土やフィンガーペインティングで思い切り心を解放させてから画用紙を渡すと、見違えるように大胆な線を描いた。
 絵は心を映す。そしてまた、心を癒す。好きな画材を使って、自由に絵を描けるのは幸せなことだ。紙がなくても、土の上にも、空気にも、心の中にだって絵は描ける。
 表現することを禁じられた場所で、密かに描かれた子供たちの絵がある。描かれているのは、生きることへのまっすぐな希望。その希望が果たされなかったことを知っているだけに、どの絵も心に食い込んで痛い。
『テレジンの小さな画家たち』には、第二次世界大戦の最中、チェコスロバキアのテレジン収容所に捕えられていた子供たちの絵が紹介されている。テレジンには、一万五千人ものユダヤ人の子供たちが、空腹、厳しい労働、死への恐怖と闘いながら暮らしていた。
 四十四歳の女流画家、フリードル・ディッカー・ブランディス。彼女は、亡命のパスポートを断って、テレジン収容所に行く。そして、見つかれば死刑になるのを覚悟で、子供たちに絵を教えた。ナチスがユダヤ人の子供たちから奪おうとしたものは「人間としての誇り」「周りの人を思いやる優しさ」「小さな花にも目をとめる感受性」。人間以下の存在に落とされそうになった子供たちに、人間として大切なものを蘇らせようと、フリードル先生は必死だった。「今日は辛くても、明日はきっと良い日が来るわ。希望を捨ててはダメ。さあ楽しかった思い出を絵に描いてみよう」。子供たちは、夢中で絵を描いた。遊園地、サーカス、そり遊び、家族そろっての食事……でも、目の前の現実は、棍棒を持ったドイツ兵、公開処刑、硬いパンに薄いスープ。楽しい場面を描きたい筈なのに、収容所の三段ベッドや寂しい食卓風景も描かずにはいられなかった。首吊りの場面やガス室のドア、ドイツ兵の姿も……。
 戦争が終わり、テレジン収容所は閉鎖された。子供たちが描いた四千枚の絵は、奇跡的にプラハのユダヤ人協会に保管されていた。現在は、ユダヤ博物館に展示されている。
「今は番号で呼ばれようとも、あなたたちには親からもらった大事な名前があるのよ」と指導したフリードル先生。大半の絵に、描いた子のサインが入っていた。それをもとに、生年月日とアウシュビッツへ送られた年月日を調べ記載されている。いつかプラハの本物の絵を見たいと思う。

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