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「徘徊」 松平


自宅から最寄り駅まで、徒歩40分ほどかかる。

これを東京で言うと大体驚かれるが、私はこの長さに高2まで気づかなかった。

それが当たり前の環境だったから、というより、電車を使わない人生だったため文字通り気がつかなかったのだ。


普段の遊ぶ場所といえば自転車で15分の友達の家がたくさんある住宅街、同じく15分ほどのいつも潰れかけている小さな商業施設。

高校には、コロナ禍の影響で大学がリモートになりいつも暇そうにしていた兄や、職場が近い母に送迎を頼んでいた。
ちいさな世界で生きていた。

流石に、流石に頼りすぎだと思い、
高2になってから帰りだけ電車を使って帰ることにした。


高校から自宅の最寄駅までの距離はそう遠くない。友達と横並びで電車に座って、欲しいゲームの話をすればちょうど着く距離。観たい映画の話まではできない距離。


最寄駅に着いてからがいつも憂鬱だった。
徒歩40分。部活も何もやっていない運動嫌いの私にとっては結構な課題。
何より、その課題を成し遂げたあとに待っているものがただの帰宅であることがつまらなかった。


何となく目に入ったコンビニでホットスナックを買い、初めて寄る公園のベンチに座って食べてみた。帰宅に対する抵抗である。

ふと周りを見渡すと知らないラーメン屋が数軒、居酒屋、美容院、喫茶店、タコス屋。そういえば地元なのにこっちの方全然知らないなあ、と思った。

次の日は最寄り駅についてから、1番近いラーメン屋に寄ってみた。学校で昼ご飯を食べない主義だったのでちょうどよく胃に収まってくれた。

次の日はタコス屋、その次の日は別のラーメン屋と開拓して行った。気分は新たなマップが追加されたオープンワールドゲームをプレイしてる感じで、すごく新鮮で。

そこから放課後、最寄り駅近くのどこかの店や帰り道の公園に寄るのが日課になった。
ある日は友達を誘い、ある日は小銭しか持ってなくてコンビニで買い食いをする。夏はクーリッシュ、冬はホットスナックを買ってラジオを聴きながら歩いた。

もう徒歩40分は憂鬱などではなく、学校や家庭とも違う第三の居場所のようなものになっていた。
それを成し遂げたあと待っているものは変わらずただの帰宅だったが、ゴールが決まっていた方が気ままに徘徊できて、自由だった。


高校を卒業してから、今はもう徒歩40分はない。
行きから電車を使うようになり、朝自宅から自転車で駅に向かうため帰りも自転車で帰っている。

この前ふと、1番通い詰めていたラーメン屋の前を通ると、潰れていた。
色んな思い出が頭をよぎった。

色んな行事終わりに行ったラーメン屋、
人生で初めてつけ麺を食べたラーメン屋、
友達の失恋をなぐさめたラーメン屋、
地元のあったかいラーメン屋にしては見た目がサブカルすぎる店主……

1ヶ月くらいしてまた通ると、潰れたそこに新しいラーメン屋ができていた。
好奇心で入ってみる。
見知ったカウンターに知らない店主が立っているのが違和感であり切ない。

地元のあったかいラーメン屋にしては見た目がサブカルすぎる店主……と思いながらつけ麺を頼む。


何より、前の店より遥かに美味しかったのが切なかった。


 松平

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