水野筑後守は今何処に

 水野築後守をご存じだろうか?幕末の外国奉行でアメリカ公使のハリスと交渉を行った人物である。黒船の武力をかさに着て無理難題を押し付けてくるハリスに対し多くの幕府役人はハリスの言いなりになったが、水野筑後守は主張するべきは主張し正々堂々とハリスと亘り合った数少ない幕府の役人である。
 日本人にもこのような人物いたということは嬉しくなるのだが、彼が世に出るまでの話は非常にユニークである。
 彼の家は無役の小普請組で貧乏の極みであった。当時は出世するには賄賂を使うかあるいは権門に取り入ってひたすらゴマをするかの2択しかなかった。そこで彼はひたすら傘張りの内職に精を出し食べるものも食べずに金をためて賄賂を使いある低い役職につくことができた。そして出仕するけれど5日くらいで病気と称して出仕せずまた家で傘張りに精を出す。当時は100日連続して休むと役職をやめなければならないが、95日目くらいで出仕を再開する。そしてまた5日ほど出仕し病気と称して家にこもり傘張りに精を出すことになる。これを何度も繰り返すので親戚からは義絶されたりするが、本人は全く気にせず傘張りに精を出していた。それを繰り返して貯めた金で思い切り賄賂を使い重い役目につくと辣腕を振るいどんどん出世し外国奉行まで上り詰めた。
 昨今のパーティー券の話は水野筑後守の世に出るまでの話とあながち似ていないとも言えないけれど、今の政治家の中には彼のような人物がいるかは甚だ疑問である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?