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「痩せてるね」VS「何もしてない」

「鈴香、本当に痩せてるよね。ジムとか行ってるの? ダイエットとかしてる? 」

 昼休み開始から約10分、隣のデスクに座っている同僚の織絵が声をかけてきた。他の社員は珍しく全員が出払っていて、オフィスには私と織絵だけ。
 織絵とはほとんど仕事の話しかしたことないし、こうやって昼休みに2人きりになるのも初めてだ。同い年で同期っていうありきたりな共通項を理由に下の名前で呼び合っている。たったそれだけの関係なのに、いきなり体型の話。

「何もしてないよ」

 つい素っ気なく答えてしまった。ダイエットなんて生まれてから一度もしたことないけど、確かに私は痩せてる。お世辞にもキレイな体型とは言えないが。スタイルが良いというよりは、ガリガリでひょろひょろ。小学生の頃のあだ名は当たり前のようにガリガリちゃんだった。中学生の頃、同級生の意地悪な女子数人が、理科室にある骨格標本と私を交互に指差してクスクス笑っていた残酷な記憶も鮮明に残っている。もし私が理想的なモデル体型だったら、彼女たちもあんな風にクスクス笑いはしなかっただろうし、むしろ憧れてくれたに違いない。
 私にとって「痩せてる」は褒め言葉ではない。でも、世間的には褒め言葉のようだと大人になってから知った。隣で悪意の欠片もなく笑っている織絵も、なんの疑問も持たずに「痩せてる」を褒め言葉として使っているのだろう。

「えー? 何もしてないのにどうしてそんなに痩せてるの? 私も痩せたーい」

 私は本当に何もしていない。ただ、織絵が余計なことをしすぎているだけだと思う。痩せたい痩せたいと言いながら、どうして彼女はお菓子を持ち歩いているのだろう。織絵の鞄の中には、いつも個包装のグミやチョコや飴玉等のお菓子が入っていて、休憩時間や帰り際になると同期の女子社員たちに配っている。
 私は食事前の間食はしない。間食で空腹を少しでも満たしてしまうと朝昼晩の食事の美味しさが半減してしまうし、食べられる量も減る。食事は美味しく食べたいじゃないか。毎日の食事が美味しいとテンションも上がる。
 しかし、残念ながら私の今日の昼ご飯はコンビニの幕の内弁当。いつもはオフィスから歩いて5分程度の場所にあるお気に入りのカフェでランチを取るのだが、SNSの情報によると今日は臨時休業らしい。テンション下がる。カフェの近くには景色の綺麗な公園があるから、ランチ後に回り道して少し散歩すると良い気分転換になって午後からの仕事にも気合いが入るのに。

「鈴香は、夜中にお菓子とか食べたりとかしないでしょ? 」

 懲りずにダイエットの話題を振ってくる織絵は、デスクの上に小さな弁当箱を広げている。織絵の弁当箱に詰まっているご飯は雑穀米だけど、おかずは冷凍食品っぽい唐揚げやコロッケ、ナポリタン。たとえ冷凍食品でも手作り弁当なんて偉い。私は弁当を用意するためだけに早く起きようなんて思わない。食欲より睡眠を優先してしまう。

「いや、私だってそれくらいするよ。確かに夜中まで起きてると何か食べたくなる。カップラーメンとか」

 間食はしないが、夜中のカップラーメンやお菓子は別だ。織絵の気持ちはわかる。何故か夜中の食欲は我慢できなくて、カップ麺やお菓子を食べてしまいお腹の調子が悪くなって後悔する。

「えー、うそー。夜中にカップ麺食べてるのにどうして痩せてるの? 1日4食じゃん」

 やっと共通の話題ができたかと思いきや、織絵の言い分に首を傾げてしまった。私の場合、夜中にカップ麺を食べても1日4食にはなっていない気がしたからだ。
 私は夜9時以降に何か食べると翌朝は胃もたれしてしまうので朝は食欲がない。つまり、夜中にカップ麺を食べると必然的に翌日の朝食は抜きになる。夜9時以降は何も食べないというのが子供の頃からの私の日課だから、その日課を破ると体が驚いてしまうのかもしれない。というか、夜中にカップ麺みたいなこってりしたものを食べても普通に翌日の朝食を食べられるなんて、胃が強くて羨ましい。 
 ……このコンビニ弁当、タルタルソースが美味しくない。コンビニなんて滅多に行かないから、どの弁当が美味しいのかわからなくて適当に幕の内弁当を買ったけど、失敗だったみたいだ。白身魚のフライにかかっているマヨネーズ寄りのタルタルソースが口の中で変な酸味を振りまいている。
 やっぱり、ランチタイムはあのカフェのランチメニューでないと食欲が減退してしまう。

「痩せてて羨ましいなー」

 タルタルソースの味を口の中から追い出そうと必死になっている最中に、織絵が再び呟いた。
 織絵はさっきから「痩せたい」を連呼しているが、彼女はそんなに太っているわけではない。標準より少しふくよかな体型ってだけだ。本人が「痩せたい」と常日頃から口にしているので、ダイエットしてるキャラがすっかり定着しているが、そうでなければ誰も織絵の体型になんて注目しないだろう。
 ここだけの話、織絵の体型は私が理想としている健康的な体型だ。太り過ぎでもガリガリでもない織絵の体型はとても女性らしくて羨ましいけれど、それを私が口にすれば皮肉だと勘違いされる。だから口に出せない。

「痩せてるって言っても、ガリガリの貧相な体型だよ? 羨ましくはないでしょ。肋骨が浮き出てるし」

 「痩せてるね」という言葉に対する適切な返しは難しい。明らかにガリガリ体型の私が「えー、痩せてないよ」と否定するのも微妙な空気になるし、褒め言葉と解釈して「ありがとう」と素直に享受するのも鼻につく。結果、精一杯の自虐ネタを披露するのが最も角が立たない。痩せててもあなたが思ってるほど良いこと無いですよ〜、むしろ悪いこともありますよ〜、といった感じでネガティブキャンペーンを実施していれば、なんとなく相手も納得してくれる。
 しかし、この謎の時間に一番納得いかないのは私だ。面と向かって「痩せてるね」と体型をいじられた挙げ句、自分の体型について自虐ネタを披露しなければならない。何の罰ゲームだ。
 本当は、「痩せてるね」と言われたら、「そっちは標準体型だね」とか「太ってるね」とか返してやりたい。「スタイルいいね」はギリギリ褒め言葉だと思うけど、「痩せてるね」はただの事実でしかないからだ。太っている人に「太ってるね」と言うのは許されないのに、痩せている人に「痩せてるね」と言うのは何故か許される。「痩せてるね」の対義語が「太ってるね」ではないことが納得いかない。

「でも太ってるよりマシでしょ。私も痩せたいなー」

 織絵の口調には少しの悪意も感じられない。あだ名がガリガリちゃんの挙げ句、骨格標本と比較されてクスクス笑われてしまう体型であっても、痩せ体型こそがこの世で一番美しいと信じている織絵。その思考回路はちょっと不気味なほどだ。
 織絵の弁当箱はとっくに空になっていて、手早く弁当箱を片付けている。私はタルタルソースのせいで食欲減退し、コンビニ弁当を平らげるのを半ば諦めつつあった。……と、私のデスクの端に織絵が何かを置いた。個包装のチョコレートだ。

「はい、デザート。食べるでしょ? 」

 ほぼ強制的に押し付けられたチョコレートに唖然とした。織絵は「痩せたいなー」と呟いた直後に、鞄からお菓子を取り出して口に入れている。ここまでくると、彼女は「痩せたい」という言葉を「何か食べなきゃ」の意味で口にしているのではないかと疑いたくなる。それに、私がチョコレートを食べると決めつけていることにも驚きだ。自分が好きなものは世の中の全員が好きだと信じているのだろうか。

「ごめん。甘いもの苦手だから」

「えー? なんだ、甘いもの苦手なの? だから痩せてるんだね」

 織絵は、私が痩せてることに対してどうしても明確な理由をつけたいようだ。甘いものが苦手だから痩せてる。そうかもしれない。だけど、それは理由のひとつに過ぎない。
 私がガリガリに痩せてる理由は私自身もよくわからないけど、織絵が痩せない理由は、お菓子をずっと食べてるからだし、夜中にカップラーメンも食べるからだろう。だからといって、「痩せたいならお菓子とカップラーメン食べるのやめたらいいよ」なんて面と向かってアドバイスしたら空気が凍りつく。だから言えない。
 結局、「何もしてないよ」と言うしかない。
 本当はそのままの体型の方が一番魅力的だと思うけど、本人が痩せたいと言っているのだから否定もできない。

 どうして体型の話題なんて振ってきたの? 得るものなんて何も無いのに。

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「鈴香、本当に痩せててスタイルいいよね。ジムとか行ってるの? ダイエットとかしてる?」

「何もしてないよ」

 この話題を振ったのは、他に話題が無かったからだ。最も無難な話題だと思ったし、ぶっちゃけ深く考えたわけでもない。私が普段一緒にいる友人たちは、聞いてもいないのにダイエットの成果を報告する子ばかりで、「痩せた? 」とちょっとでも聞けば飛び上がらんばかりに喜ぶ。だから、「痩せたんじゃない?」っていうのは共通の挨拶みたいなものだ。
 私と鈴香の共通点は仕事だけ。だからといって、昼休憩中にまで仕事の話はしたくないし、ずっと無言でいるのも嫌だから、何か話題を提供しようと思ったのに、素っ気ない返事がきたのでちょっと動揺した。
 鈴香は誰がどう見ても痩せている。疑いようがない。私の中ではめちゃくちゃ無難な褒め言葉だったのに、鈴香はあまり嬉しくなさそう。
「痩せてるね」なんて褒め言葉は聞き飽きてるから嬉しくも何ともないのだろうか。

「えー? 何もしてないのにどうしてそんなに痩せてるの? 私も痩せたーい」

 こんなに褒めてるんだから少しくらい喜んでほしい。だけど、鈴香は曖昧に笑うだけで何も言ってくれない。まったく話が弾まなかったのでちょっと焦った。

「鈴香は、夜中にお菓子とか食べたりとかしないでしょ? 」

「いや、私だってそれくらいするよ。確かに夜中まで起きてると何か食べたくなる。カップラーメンとか」

「えー、うそー。夜中にカップ麺食べてるのにどうして痩せてるの? 1日4食じゃん」

 やっと共通の話題ができたので安心したが、鈴香がデスクにコンビニの幕の内弁当を広げているのを見て、一気に気持ちが萎えた。私は毎朝寝不足になりながらも早起きして小さな弁当箱に雑穀米とおかずを詰めているのに、鈴香は深夜にカップ麺も食べて昼はコンビニの幕の内弁当なのに痩せてる。雑穀米は痩せるって聞いたのに、ちっとも効果は出ない。

「痩せてて羨ましいなー」

 話題作りとかではなく、心の底から本音が漏れた。生まれつき痩せ体質の人がいるっていうのはよく聞くけど、そんなチート能力ってアリなの? チートで無双できるのは転生した時だけじゃないの?

「痩せてるって言っても、ガリガリの貧相な体型だよ? 羨ましくはないでしょ。肋骨が浮き出てるし」

 そこまで必死に謙遜する必要ある? 私のことを痩せ体質を乗っ取ろうとしてる妖怪だとでも思ってるんだろうか。痩せのネガキャンしないと私が鈴香の身体を乗っ取るって? そんな馬鹿な。

「でも太ってるよりマシでしょ。私も痩せたいなー」

 わざわざ言われなくても鈴香みたいにガリガリに痩せたいわけじゃない。というか、痩せていることが羨ましいんじゃない。痩せてる自覚がある人が羨ましいんだ。「ダイエットしなくてもそのままの体型で大丈夫だよ! 」って他人からお墨付きをもらわなくても自分を保っていられる。
 とても残念なことに、ほとんどすべてのメディアで「痩せ=美」として情報が提供されている。アホらしいと思いつつも、痩せてない自分は「美」から弾かれているんだと洗脳される。でも、厳しい食事制限とか激しい運動とかはしたくない。モデルじゃないんだから、そこまでストイックにならなくていい。
 それに、私は太りすぎてはいない。標準よりちょっと太めってだけだ。健康を害するほどじゃない。だから、この体型でも大丈夫だよって誰かに認めてほしい。それなのに、メディアに溢れている美人の代表たちは、私よりずっと痩せていて、それが当たり前って顔をしている。ちょっとでも二の腕の肉を摘めてしまうとデブ認定。痩せてなきゃ最新の服を着る資格もないし、メイクしても可愛くない。
 つまり、私が口にする「痩せたい」は、「もっと痩せられたら理想的だし嬉しいけど、本当は痩せてないそのままの自分を認めてほしい」という意味だ。いつも一緒にいる友人たちは、すべてを読み取った上で「わかるー、痩せたい」と共感してくれたり、「痩せなくてもそのままでいいよ」とフォローしてくれたりする。だけど、誰が見ても痩せている鈴香は、メディアからの「痩せこそかわいい! 痩せは正義! 」っていう理不尽攻撃に振り回されたことも無いんだろう。羨ましい。
 食べ終わった弁当をさっさと片付けて、食後のちょっとしたデザートタイムに入る。今日は高カカオのチョコレート。ちょっと苦いけどチョコレート食べてる! って感じがして好き。それに、脂肪の吸収を抑えるとか聞いたことあるし。このデザートタイムがあれば午後からの仕事も頑張れる。
 自分だけが堂々とチョコレートを食べるのも申し訳ない気がしたので、鈴香のデスクにもチョコレートを差し出した。

「はい、デザート。食べるでしょ? 」

「ごめん。甘いもの苦手だから」

 嘘でしょ、衝撃。甘いもの苦手ってなに。それって生まれながらのダイエッターじゃん。私とはスタート地点から違ったんだね。なんか恥ずかしい。同じ土俵に立ってるつもりで得意気に喋ってごめんなさい。私は土俵どころか観客席でした。

「えー? なんだ、甘いもの苦手なの? だから痩せてるんだね」
 
 精一杯の笑顔でチョコレートを引っ込める。お菓子を持ち歩いてるくせに「痩せたい」を連発する私を馬鹿みたいって思ってるんだろうな。食べなきゃ痩せるっていうのはわかってる。でも、私の好きなものは鈴香とは違う。私だって甘いものが苦手だったらお菓子なんて持ち歩かない。たぶん。
 ……ていうか、鈴香、何もしてないって言ってたのに、弁当は半分くらい残してる。ガリガリに痩せて肋骨浮き出てるから貧相で〜ってアピールしてくるのにちっとも食べてない。痩せてるのが嫌なら食べればいいのに。やっぱりダイエットしてるのかな。ダイエットを公言しないタイプなのかもしれない。

 どうして彼女を相手に体型の話題を振っちゃったんだろう。虚しくなっただけだ。

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――……この話題ってほんと不毛。

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