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思考とは

思考とは

考えること
経験や知識をもとにあれこれと頭を働かせること

では考えるとは何か
経験や知識などに基づいて
道筋を立てて頭を働かせること

辞書の上では同義ということになる

では実際の思考とはどうか
脳内の呟きであると私は思う

脳内会話と呼ばれるこの行動は
1日5万回~6万回も脳内で発生しているそうだ

脳内でつぶやくのはなぜか
それは外部から
または内部から
取り入れた情報や感情を整理するためである

では整理するのはなぜか
それは人が細胞の塊
意思の塊であるからである

私は元来
脳が思考するという表現に違和感を持っていた

脳という機関がない生命は
思考しないのだろうか?

あたかも思考し意思を持って運動を行う生命もいる
そういった生命は何も考えることもなく行動を行うのだろうか
本当にそうか?

進化論を信じれば
単細胞生物から我々は進化を遂げた
脳を持つ前の段階で思考はしなかったのだろうか

そうだとすれば
それは不自然な話である

脳が持つ機能を私は記憶の貯蔵だと考えている
いわば脳は図書館のようなもので
貯蔵されたものは写真や動画のような視覚情報
そして音楽を含む聴覚情報
手に触れた触覚情報や嗅覚もある
そして感情もある

そういったものを状況に合わせて
貯蔵された本を見つけるように
机の上に選び出す機能だと理解している

ではこの選ばれた本を基に
行動や予測を決定するのは誰か?

それは自分達である
独立した一つの意思というものは本来存在せず
集合体として合議によって決定されていると理解している
人間に限らず多細胞生物は恐らく複合意識を持っている

だからこそ自分の意思というものが葛藤する
独立した一つの意思があるのであれば
迷い生じることも葛藤するという現象も不自然だ

人間は他の生物と違い
大きな脳を持ち大量の情報を蓄積することができる
蓄積された膨大な量の情報から
多くの意思が自身の中で合議を行う

そのディスカッションの中で
相反する感情や状況を持ち出しあって決定されるのだ

だから人間は葛藤し躊躇し悩み苦しむ
この合議の程度が知的レベルの階層を作り出しているのだと
私は推測する

だとするのであれば
単一の細胞が思考をしないと誰が確認出来るだろうか

知的生命体の起源
多細胞生物の起源

38億年前
二つの原生生物がいたとされる
アーキアとバクテリア

今の真核生物の誕生の寄与には
アーキアが自身の細胞内にバクテリアの一種である
ミトコンドリアを取り込んだことから始まっている

つまり一つの細胞レベルからすでに
別々の生き物を受け入れ共生が始まっているのだ

細胞はミトコンドリアの
酸素からエネルギーを生み出すサイクルを
自身のエネルギーにしている

それは藻類系のバクテリアの増殖により
地球の大気中の酸素濃度が高くなったことにも由来する

そうして出会った二つの小さな生き物が
核を持つ生き物となり
その生体データを次の個に引き継ぐというサイクルが始まった

しかもミトコンドリアがエネルギーとなす
酸素は本来生体には毒であって
実際には細胞の死の期限を早めるものだ

なぜそんな毒ともなるものを飲み込んだのか
それは生体データの反映を早めるためではないのか
死という期限があるからこそ
生命は全力でその天命を全うしようとする

38億年分のトライアル&エラーが
今の生命を
人類を作り上げてきたのだ

我々は細胞の塊だ
細胞という小さな生命の集まりなのだ
そのそれぞれが独自の役割を持ち
一つの個を形成して運動を行う

思考とはまさに生命の声
自分という一つの単位は見方を変えれば
集団生命の合意ということになる

合議を行うには多くに意見が必要だ
大量のデータを元にして取捨選択をするのだ
しかし自身の図書館には限界がある

だから他社と対話をするのだ
知らないこと知り
経験したことのないことを経験するのだ

そうして本の数を増やし
合議の精度は増していく

しかし合議体は
時に誤り
時に過ちも犯す

世界に目を向ければわかる
個々人と定義される集団が
誤りと過ちに満ちた結論を出してきた結果が

それをミクロの視点で見たのが
個人の思考なのだ
マクロにして見ても結果が変わらないのは
皮肉というに他ならない

しかし私の中にいる意識達は
私にこう語りかける

思考を止めてはいけない
絶えず考え続けるのだ
考え続ける限り
我々の思考はその深度を深めることが出来る

最近思う
私は自分の身体にも生かされているだと
自分勝手な一つの意思だと勘違いをして
悦に浸るようではまだまだなのだ

だいぶ話が右に左になってしまった
あなたはどう思うだろうか?

自分の中にいる多くの声を聴いたことはないだろうか?
ぜひ聞かせていただきたい

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