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満月の夜に

今から話すのは3年ほど前の話
私は某県の大きな街に住んでいた
しがない20代のサラリーマンに都心に住む金などなく
通勤時間は電車で40分
徒歩と併せれば1時間強の道のりだ


いつもの仕事帰り
珍しく座れた端の座席で
ゆったりとした左右の動きに身を任せていた


私が降りる駅はここからまだ何駅も先だ
いつものように睡魔が襲う
瞼が重い
目を開けていられない


初夏の風
緑の草原
昔行ったことのある家
古民家といった手合いの質素な家
誰の家だったんだろう
よく覚えていない


なんとなく足が向く
ゆっくりと草原の中を歩く
家はもう目の前だ


誰か立っている
白いワンピースを着た女性
誰だろう


その女性は軽く右手を挙げて
こちらに手を振った


どうやら私を招きいれているようだ
不思議と恐怖心はない
私は以前ここに来たことがあるような気がする


私が玄関口に近づくと女性は先に中に入っていった
そしてこちらを振り返る
私が入ってくるのを待っているようだ


何の疑問もなく私は家に入る
そして気が付く
子供?
ああ自分は子供なのか
随分と小さい靴を眺めながらそんなことを思った
これは夢なのだなと


私は靴を脱ぎ家に上がる
女性の顔を見たとき
ギョっとしてしまった
顔が・・・
顔がない


のっぺらぼうというか
鼻らしきものはあるが鼻の穴がない
目らしきふくらみはあるが瞼の境がない
口も膨らんでいるが唇がない


なぜ疑問を持たなかったのだろう
こんな奇妙な顔をしていれば
近づく前に気がついたろうに


女性はこちらを見たまま(?)
小首をかしげている
どうしたの?とでも言いたそうに


私はたぶん驚いた表情をしたのだろう
それを訝しげに見ているのだ
つまり目は見えている
ただ目がついていないように見えているのか


なんだか気味の悪い夢だな
私はそう思った


女性は私を手招きし家の奥へ来るよう促す
促されるままに家の奥へと歩く
どうせ夢なのだからと思ったのだ


狭い廊下を進む
純和風の木造建築
懐かしい感じのたたずまい
ミシミシと音を立てる廊下に
なんだか望郷の念が込み上げる


前を歩く女性が急に立ち止まった
そこは庭に面した縁側だった


女性はゆっくりを腕を上げ指を刺す
自然と指の先を視線で追う
和風の整理された庭
その真ん中に何か黒い塊
塊?
これは一体なんだろう
そう思った瞬間
誰かに足を叩かれた気がした


気が付くと
そこは電車の中だった
目の前には車掌服を着た男がこちらを訝しげに見ている


「お客さん。終点ですよ」


いけない
眠り込んでしまった
私は居眠りの恥ずかしさを誤魔化すように
下車しホームに下りた


あたりはもう薄暗く
なんともいえない哀愁を漂わせている
先ほど乗っていた電車が行き先を「回送」へ変え
ゆっくりと走り出した


ふと気が付く
ここはどこだ?
駅名は・・・どこにも駅名表示がない
私が乗り降りしている路線の終点というわけでもない
本当に見慣れない名前


ホームから誰もいない改札を抜ける
無人駅なのだろうか?


周りを見渡す
ずいぶんと田舎に来てしまったようだ
駅から田畑が見えている
道は舗装されているものの
どこか古びている


駅前に商店街もバス停すらない
そもそも見える範囲に建物がない
タクシーも見当たらない


あっそうだ
携帯
ポケットを探る
・・・ない
カバンか?・・・ない
携帯がない
どうしよう・・・連絡の取りようがない
公衆電話って言ってもこれだけ何もないと・・・
見渡したところでそれらしきものはない


とりあえず歩くことにした
大きな通りにでも出ればタクシーでも拾えるだろう


道はうねりながらも分かれ道もなく1本道
幸いといえば幸いだが・・・
見えるのは田畑や川くらいなもので
建物らしきものすら見えない


5分10分歩いただろうか
ようやく1軒の建物が見えた
古びた日本家屋的作り
見慣れた町並みから遠く離れた光景
どこまで田舎に来てしまったのだろうか
言い知れぬ不安がこみ上げてくる
それでも不安と同時に足を止めることもできず
ただただ歩を進めるしかなかった


辺りはすっかりと日が暮れ
暗闇に包まれていた
ほのかな街灯の明かりと満月の光で足元は意外と明るい
見えた家に近づいてみる
しかし、見るからに生活の雰囲気はない
人気も相変わらずない
見た目荒廃した様子はなく
ガラスが割れているわけでも木枠が折れているわけでもない
瓦も落ちていない
ただ生活感というか人の気配だけがないのだ
作り物のような、どこか薄ら寒い
それでも何かの手がかりでもと思い家の戸に手をかけた


「あの・・・誰かいませんか?」
返事はない
玄関口は薄暗く、その先は見えない
とても先に入っていく勇気は出ず
仕方なく戸を閉めた


ため息が出る
ここは一体どこで
これからどうしたらいいのか
大きな通りも見えず
また商店の一つもない


私はとぼとぼと道なりに歩き出した
建物はまばらでやはり人気はない
不安な気持ちはむくむくと生き物のように心の中を埋める
いつの間にか走り出していた


道をただ
何もない
誰もいない
怖い
怖い
こわい
コワイ


どこまで走ったのだろうか
息を切らして立ち止まる
アスファルトに汗が落ちる


ここはどこなんだろう
私はどうなってしまうんだろう
途方に暮れていた


ふと見上げる
古い家が見える
古民家のような外観の家


ああ
あれはあの家だ


自然と足が動いた
見たことのある景色に少し気持ちが復調したのか
夢で見た景色が目の前にある
奇妙なことではあるが
今までの未知の景色よりは幾分 確かなものではあると
その時は思った


夢よりも丈の伸びた草原をかき分けて歩く
もはや道などはない
小高い丘の上にあるのか緩い傾斜を登っていく


明るい夜空にその家だけがぽつんと浮かんで見えた
私はどんどんとその家に近づいていく


もう少し
もう少しだ
もう少しで知っている場所に着く


家の前にたどり着く
夢の通りだ
玄関には子供のものだろうか
夢で私が履いていた靴が
脱ぎ捨てたように転がっている


家の中は真っ暗だ
明かりは点いていない
私は靴を脱ぎ家に上がった


床板がミシミシと音を立てる
狭い廊下を歩く
夢のままの景色
ただ時間帯だけが違うだけの奇妙な光景


廊下の途中で庭に面した縁側がある


ここだ
そうだ
何かが
あののっぺらぼうの女が指さした
あの黒い塊
あれは…


私は縁側にある戸を開けた
そこは夢の通り庭になっている
綺麗な庭だ
植えられた植物は綺麗に剪定され
池は満月を映し輝いている


あれは?
黒い塊は?


私は庭を隅々見回した


何かある
なんだろう?
黒い塊
いや
黒い布?
黒い布がかかっているもの


私は靴下のまま庭に出ていた
庭のほど中に黒い布におおわれた何かがある
私は布に手をかけた


濡れている
私は思わず手を離した
満月に光る庭
暗闇を歩いてきたことで眼も慣れ始めていた


手を見る
私の手を濡らした何か
手は黒く見える
黒い何かが私の手を染めている


なんだろう
ぬるぬるとする
これはなんだろう


黒い布を見る
私が手を離した拍子にめくれ上がってしまったようだ


何かが見える
耳?
人の耳
子供
だろうか


私は布を掴んだ


ああ
そうか
そうだったのか
黒い布の下にはこれがあったのか
見覚えがある
この顔


でもなんで
ここにある?
あれはちゃんと埋めておいたのに
なんでここにある?


埋めた?
私が?
いや…違う
私じゃない


私じゃない


私じゃない


だってこれは私の顔だから
私が子供の時の顔だから


なぜここに
血まみれで
顔だけが
ある


誰かが肩をたたいた
思わず振り向く


ああ
そうか
あなたか
それで顔がなくなったのか


なぜそんな顔で私を見る?
眼のない目で
穴のない鼻で
開いていない口で


満月の夜に


満月の夜に


満月の夜に


誰かが足を叩いた気がした


気が付くと
そこは電車の中だった
目の前には車掌服を着た男がこちらを訝しげに見ている


「お客さん。終点ですよ」
「その様子じゃ寝過ごしましたか?」
「まだ終電がありますから向いのホームへどうぞ」


車掌服の男は呆れたように首を振りそのまま奥の車輌へ歩いて行った
私はフラフラとホームに出た
あたりを見回す
いつもの路線の終着駅
ここには来たことがある


向いのホームに一輌の電車が停車している


帰らないと


私はおぼつかない足に力を込めて歩き出した
酔っているはずはない
それでも頭は朦朧としているし
膝は笑っている


階段をゆっくりと上る
まだ発車のアナウンスはない
連絡通路を手すりに掴まりながら
ゆっくりと進む
先は見えているのに全然たどり着かない


ようやく下りの階段まできた


-まもなく最終電車が発車いたします


まずい
早く行かなくては
こんなところに取り残されたら
私はどうにかなってしまう


半ば転げ落ちるようにホームにたどり着く
目の前に明るい車輌が見えている


乗らないと
この電車に乗らないと
乗らないと


ふらふらと電車の乗車口へと近づく
明るい車内に誰かが立っている


子供?
こんな時間に
最終電車に


そう思ったその時
強く手を引かれ
私はホームの床に倒れ込んでしまった


「あんた 何やってんだ!」


見上げると車掌服を着た男がこちらを見下ろしている


「死にたいのか?」


突然、車輌がすごい速さで通り過ぎていく


「回送列車です」
「最終電車はこの後ですよ」
「お客さん 酔っぱらってます?」


私はあたりを見回した
回送列車が通り抜けたホームはがらんとしている
ホームには数人 最終電車を待っている
何の騒ぎかとこちらを見ている人もいる


しばらく後、最終電車がホームに到着し
無事に乗車することができた
車輪の振動に揺られながら考える


あれはなんだったんだろう
私は何を見たんだろう
あれは夢だったんだろうか
いったいどこまでが


車窓から見える満月を見ながら
そんなことを考えていた


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