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小学校で顕在化する学力格差の一例

はじめに


 私はふつうの、特に大学の付属だったりしない公立小学校に通っていた。2010年、小学4年から少人数教育の流れがきたためか、算数の演習が1クラス40人足らずの学年を習熟度によらず2等分して行うこととなった。

 1年生4月の時点でさえ公文で中学内容まで一通り終えた者からひらがなの読みさえ習得しきっていない者まで学力に差はあるもので、高学年にもなると塾通い含め相当な差になってくる。5年生のころに挿絵たっぷりの算数の教科書の、章末1~2ページの演習問題を解く回を例にして話したい。

 その授業は、おのおのが教科書の問題を解いて先生に提出し間違いがあれば訂正するものである。全問正解なら残りは自由で、教えて回ったり5つの数字から2桁の数字をつくる『ジャマイカ』というサイコロを埋め込んだ玩具で遊んだりできる。

経過

 この時、最初に解き終わるのは中学受験勢である。より高度な勉強バトルを日夜繰り広げる人間に学校教科書の章末問題は簡単すぎ、提出する式を書くため手を動かす時間がほとんどそのまま必要時間となる。これは塾での偏差値にあまり関係はなくだいたい日能研で45ぐらい、50あれば確実に足りる。

 学年の内自分含めて4人が公言しているそれだったので、半分にした後のもう一人か二人とタイムアタックをするのが常であった。勝ったり負けたりしていた。

 そして次に高校受験に向けて塾通いがうまくいっているような、あるいはそれに類する上位勢が、既に終えた人のもとへ答えの確認にやってくる。
といっても最後の1問2問程度、

『これであってるやんな?』『OK!』『ありがとう!』

これで終わりだ。ほとんどの場合正解で、確認に来た問題以外も全部合っている。

 次に中ぐらいの人がときどき、ニ問程度教えてと言ってくる。といっても勘所を掴みかねているだけで、条件の確認をした所で解決することが多い。教科書を数ページ戻って公式のページを見ればほとんど解決する。それを2,3回やった頃、解き終わった人がだぶつき始める。

 そうして後半にさしかかった頃には、計算問題を除いた残りの問題で伴走を求める人たちが目立ってくる。条件の確認をし、公式の確認をし、勘所を説明し、計算も時々こちらから修正をかければ問題なく解ける。横についていれば授業の終わりよりすこし早めに終わって余裕もできる。

 そして最後なのだが、またこれが残酷である。時間内に解ききれない人たちの机に5人6人と固まってあれやこれやと口を出し手を出しするのである。当時はよく分かっていなかったが、みんなに囲まれて『教える』形であれ落ちこぼれと扱われるのは本意ではなかったろう。

まだ5年の頃は理解が追っつかないなりに、授業時間に間に合わないなりに解こうとするのだが、6年にもなると次第にやる気を失って最初の計算問題をちょろっと解いて「これでいい」と放棄するような人も現れてきた。当時はそれに苛立ちを覚えていたが、今思えば申し訳ないことをした。



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