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12世紀~14世紀 建武:後醍醐帝の南朝軍 新田義貞の家臣団と軍団

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新田義貞公 肖像

「生品明神 ご照覧あれ。」



<源氏:新田家の系譜>


⇔源ノ義国 (*)足利・式部丞・帯刀長・加賀介。義家の息(3男)。下野国足利荘に配流され、上野国新田荘を開発。冠稲荷神社を建立。息に義重、義康、季邦。

⇔新田義重 (1114*1135~1202)太郎・九条院判官代・上西入道。源ノ義国の息。室は大和源氏・源ノ親弘の娘。足利義康の庶兄。関東北部から越後に及ぶ新田荘を開発。花山院・藤原忠雅に所領を寄進しその下司職。1172年隣接する藤原秀郷流薗田氏と所領の抗争。1180年頼朝挙兵に応じず以降冷遇される。息に義兼、(里見)義俊、(山名)義範、(世良田)義季、額戸経義。<上西門院(統子内親王)に出仕し上西入道?><同世代の足利は義康。>

▽山名義範 (*)義重の息(長男)。上野国多胡郡山名郷の豪族。息に義節。<同世代の足利は義兼。>

▽里見義俊 (*)大新田・(大島)。義重の息(2男)。上野国碓井郡里見郷の豪族。息に義成、(田中)義清。


新田義兼 (1139~1206)小新田・次郎・大炊助・皇嘉門院蔵人。義重の息(3男)。嫡流の小新田二代目。母は源ノ親弘の娘。源平の争乱に父とともに中立。源ノ頼朝に冷遇される。息に義房。娘婿に足利義純。<末子相続の習慣なら、大新田の兄より小新田に価値があるのも理解されます。>
新田義房 (1162~1195)小二郎・太郎・上西門院蔵人。父・義兼に先立ち早世。34歳。息に政義、(荒井)覚義。<同世代の足利は義氏。>

新田政義 (1187~1257)太郎。足利義氏の娘婿。息に政氏、(大館宗貞)家氏、(堀口家貞)家員、(谷嶋)信氏、経光、助義。<わがままを尽くして出家したようです。><惣領権は政義から没収され、世良田義季と岩松時兼が分割継承。><同世代の足利は泰氏。>

新田政氏 (1208~1271)政義の息(長男)。母は足利義氏の娘。室に平ノ秀時の娘。息に基氏、(細谷)国氏、(下細谷)知信、(西谷)重氏、(安養寺)快義、貞氏、(今井)惟氏。娘婿に足利家時。<同世代の足利は頼氏。北条頼時の病気療養全国行脚時代の当主。上野国下佐野郷の伝説・源左衛門常世とは?。「鉢ノ木」といざ鎌倉の伝説に関連ありなのでしょうか。「新田」氏の敗者の歴史として変容したものでしょうか。>

△平ノ秀時 (*)北条(赤橋?)秀時・左近大夫。娘婿に新田政氏。<娘婿・政氏の家門を庇うか。得宗被官・沙弥氏と関連ありか?。>

▽大館家氏 (*)政義の息(2男)。息に宗氏。

▽堀口家貞 (*)政義の息(3男)。息に貞義、(一井)貞政。

新田基氏 (1523~1324)(北条)・沙弥道義。政氏の息。恩田秀俊、岩松朝兼・政兼兄弟と土地を巡り抗争。幕府の裁判で敗北。72歳。息に朝氏、満氏(義政)、義量、義円。娘婿に朝谷義秋。<同世代の足利は家時。沙弥道義は得宗内衆の沙弥氏と関連ありか?、外祖父・平ノ秀時と関連?。>

新田朝氏 (1274~1318)二郎・六郎・太郎・氏光・朝兼・政朝。室に堀口貞義娘、山名伊豆守娘、里見義秀娘。61歳。常陸国南部で悪党となっていた庶流の朝谷義秋、正義兄弟を保護し厚遇する。息に義貞、(脇屋)義助。<同世代の足利は貞氏。>

新田義貞の家臣団と軍団


 東海道に足利系、中仙・北陸道に新田系。尾張・三河武士の全国展開。

1333年5月上野国新田荘にて倒幕の挙兵。
 「 1333年挙兵 新田一門軍 」


新田義貞 (1301~1338)源・小太郎・(小四郎)・左馬介・播磨守・越後守・左衛門佐・左兵衛督・正四位下・左近衛中将・貞義。上野国の国人。新田朝氏の息。妻は常陸小田氏。新田氏八世。大館宗氏は妹婿。建武政権樹立に勲功あり。源氏の一方の将として重要な血脈。1331年「元弘の変」に楠木正成征伐軍に従軍(大和道軍)。無断で帰国。後醍醐天皇に呼応し挙兵。1333年上野国で倒幕の挙兵。「小手指原の合戦」に桜田貞国を破る。「分倍河原の合戦」に北条泰家軍を破る。1333年5月「極楽寺坂、巨福呂坂、化粧口坂」から鎌倉攻略。房総、陸奥、出羽、遠江、河内の武士を率いる。足利千寿王を旗頭に鎌倉幕府を滅ぼす。鎌倉支配をめぐり、足利千寿王を擁する細川和氏・顕氏と対立。上京する。1335年6月西園寺公宗謀反。7月北条時行挙兵「中先代の乱」勃発。11月足利尊氏謀反。新田義貞と敵対。1335年足利尊氏追討軍編成。「竹ノ下の合戦」に敗北。1336年1月「京中合戦」勝利。足利軍を京都で兵糧攻め。1336年九州から西上する足利尊氏を迎え撃った「湊川の合戦」に敗北。1336年6月比叡山籠城戦に「雲母坂の合戦」にて足利家執事・高ノ師重を討取る。1336年10月比叡山落城。恒良親王に従い越前下向。1337年1月高ノ師泰軍と対峙。1337年3月越前金ヶ崎落城。1338年3月斯波高経の府中城を奪取。越前70カ城を平定する。1338年5月越前「藤島の合戦」に戦死。息に義顕、義興、義宗、義央。<左眉上に矢傷が特徴。><里見(大新田)義忠の息で、新田朝氏の養子とも。>

<新田家執事>

船田善昌 (*~1337)長門守・入道・義昌。新田一門衆。新田家執事。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。若狭丹後方面軍。1336年足利軍との京都攻防戦にて由良(三郎)左衛門尉とともに戦死。<足利方の高ノ師直や上杉憲房的な存在の人物。一門衆なので新田義昌でも通じるかと。>

▽船田経政 (*)長門守・経昌・政経。新田一門衆。新田家執事。1336年比叡山籠城。1336年恒良親王に従い越前下向。金ヶ崎落城の際、土岐・粟生・矢島とともに洞窟に逃れる。1338年斯波高経との越前抗争に江守城攻略の第二軍。「足羽の合戦」に従軍。<同じ長門守を称する。善昌、経政の関係は親子か?二人の事跡は混同されているようです。><存在は疑われている。>

▽船田時経 (*)長門守。新田一門衆。新田家家臣。<経昌の一門か。子孫は三河に土着。><その存在はもう伝説の域です。>


<新田義貞の上野新田一門衆>
 ☆=(仮称)鎌倉攻め四天王 ※副将


脇屋義助 (*1302~1342)次郎・駿河守。上野新田一門衆。義貞の弟。1333年新田義貞の挙兵に従う。1333年鎌倉侵攻の一手大将①。化粧坂に50万騎。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。1336年「湊川の合戦」に従軍。1336年恒良親王に従い越前下向。1338年越前河合の石丸城主。1339年越前にて挙兵するが敗北、美濃に潜伏。のち四国伊予にて挙兵。四国にて病死。36歳。

▽脇屋長守 (*~1335)藤右衛門。上野新田一門衆。1335年「竹ノ下・佐野原の合戦」の敗北により自害。1337年新田堅秀により供養等建立される。
▽脇屋重成 (*~1335)吉右衛門。上野新田一門衆。1335年「竹ノ下・佐野原の合戦」の敗北により自害。1337年新田堅秀により供養等建立される。

大館宗氏 (*~1333)次郎。上野新田一門衆。上野国新田荘出身。大館二郎・家氏の息。室は新田朝氏の娘。新田義貞の義兄弟。1322年岩松政経と用水争いで抗争。1333年鎌倉侵攻の一手大将②。江田行義とともに極楽寺坂に10万騎。鎌倉極楽寺坂にて戦死。

▽大館幸氏 (*~*1336)孫次郎・氏義。上野新田一門衆。大館宗氏の長男。1333年新田義貞の挙兵に参陣。1335年関東足利尊氏追討軍に別働隊の第二軍の将。<1336年足利軍との京都攻防戦にて大館左近蔵人が船田・由良・高田とともに戦死。>

▽大館氏明 (*~1342)弥次郎・左馬助。上野新田一門衆。大館宗氏の次男。1333年新田義貞の挙兵に参陣。1336年「湊川の合戦」に従軍。1336年比叡山籠城。1336年北陸軍に従わず後醍醐天皇に随行。伊予守護。河野党の土居・得能家を率いる。伊予世田城主。1338年越前陥落後は伊予にて脇屋義助を援助。息の義冬は幕府に降服する。

▽大館氏兼 (*)彦二郎。上野新田一門衆。大館宗氏の三男。1333年新田義貞の挙兵に参陣。

▽関岡* (*)新田・大館。上野新田一門衆。大館氏一門。

堀口貞義 (*)美濃守・左馬頭・左馬権頭・<越前守?>。上野新田一門衆。上野国新田荘出身。堀口孫次郎・家貞の息。上野国堀口郷出身。1333年鎌倉侵攻の一手大将④。大島守之とともに巨福呂坂に10万騎。越前守護職。1335年足利尊氏追討軍に参加。「矢矧川の合戦」。越前支配を巡り斯波高経と抗争する。

一井貞政 (*~1337)堀口貞政・孫次郎・民部権大輔・大蔵大輔・<越後守?>。上野新田一門衆。堀口家貞の息。堀口貞義の弟。建武政権に武者所結番。のち越後守護代。村山隆義に信濃攻めを即す。1337年越前金ヶ崎城にて戦死。

▽堀口貞満 (1297~*1338)三郎・美濃守・大炊助・貞光・<美濃守?>。上野新田一門衆。堀口貞義の息。1333年鎌倉侵攻に巨福呂坂。足利方に降服しようとした後醍醐天皇に直訴。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。1336年比叡山籠城。1336年恒良親王に従い越前下向。越前陥落に戦死。息に義満・貞祐。<父・貞義と事績が混同されている様です。>

▽堀口行義 (*)四郎・幸義。上野新田一門衆。堀口貞義の息。堀口貞義の弟。1333年鎌倉侵攻に巨福呂坂。

▽一井政家 (*~1337)堀口政家・兵部大輔。上野新田一門衆。貞政の息。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。1337年越前金ヶ崎城にて戦死。

▽一井氏政 (*)堀口氏政・兵部少輔。上野新田一門衆。1339年脇屋義助の挙兵に呼応する。畑時能とともに越前で幕府軍に抵抗。

▽一井義時 (*)堀口。上野新田一門衆。1336年北陸行に従う。

一条行実 (*)少将・行真。新田義貞の舅。上野新田一門衆。1338年斯波高経との越前抗争に江守城攻略の先陣。「足羽の合戦」に従軍。<義貞の妻・勾当内侍の一門、行房と同一人物?>

金谷* (*)治部少輔。上野新田一門衆。新田荘金谷村の豪族。1335年足利尊氏討伐軍に従軍。

金谷経氏 (*~1351)金屋・兵庫助・治部大輔。上野新田一門衆。播磨守護。1338年播磨東条に挙兵。播磨島津軍と抗争。1351年江田行義とともに攻めた「男山攻略戦」に戦死。丹生城主。


<世良田(得川)新田一門衆> 江田・額田


江田行義 (*)(世良田)・新田・三郎・兵部大輔・光義。新田一門衆。上野国新田荘出身。1333年鎌倉侵攻の一手大将③。大館宗氏とともに極楽寺坂に10万騎。1333年建武新政に上洛。1335年関東足利尊氏追討軍に別働隊の第二軍の将。丹波方面軍。1336年比叡山籠城。1336年北陸軍に従わず後醍醐天皇に随行。1338年足立、本庄とともに丹波高山寺に挙兵。1351年丹波守護・上野頼兼を討つ。1351年男山籠城。1352年丹波守護代・荻野朝忠を追討する。光厳上皇、光明上皇を捕縛する。

世良田貞国 (*)新田・太郎・大膳大夫・兵庫助。新田一門衆。弟に満義、満氏。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。

世良田満義 (*)新田・弥次郎・右京亮・下野守。家時(家持)の息。兄弟に貞国、満氏。上野国新田荘出身。新田一門衆。江田行義の与力として各地に転戦。

▽世良田政義 (*)新田・太郎・大炊介・蔵人亮・左衛門尉・義政。新田一門衆。満義の息。兄弟に義秋。世良田家分家。下野国出身。娘婿に脇屋義治、尹良親王。幕府に降服し、のち上総守護。息に政親、親季。<子孫は尾張の平手政秀。>

▽世良田義秋 (*)新田・二郎・大炊介。新田一門衆。満義の息。兄弟に政義。世良田家分家。下野国出身。

額田為綱 (*)(世良田)・新田・額戸・合戸・掃部助。新田一門衆。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。1336年「湊川の合戦」に従軍。1336年比叡山籠城。1336年恒良親王に従い越前下向。<1336年合戸氏は新田荘の留守居を務め、岩松経家、小俣氏の攻撃を受ける。>


<動向不明の一門衆> 世良田氏分流。


得川頼泰 (*)新田・下野太郎・三郎。得川一門。頼有の息。

▽得川頼尚 (*)新田・下野太郎・彦三郎・頼貞。得川一門。頼泰の息。

▽得川尚氏 (*)新田・小四郎・三郎・直氏。得川一門。頼泰の息。


<上野新田党>


細谷秀国 (*)細屋・右馬助。新田一門衆。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。1336年恒良親王に従い越前下向。1338年斯波高経との越前抗争に勝虎城攻略の先陣。「足羽の合戦」に従軍。加賀方面の旗頭。敗戦により上野国に落ちる。

○山名忠家 (*)新田一門衆。1336年比叡山籠城。1336年恒良親王に従い越前下向。<山名時氏と同族か。>

綿打義昭 (*)入道。新田一門衆。上野国新田荘出身。1333年楠木正成征伐の河内遠征に従軍。<錦折のこと?。>

錦折* (*)刑部少輔。新田一門衆。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。<錦打入道と関連ありか?河内の豪族・錦織氏と混同され錦折となるか。新田一門ならば錦打が正解。>

<上野新田岩松> <源氏一門衆 有力庶家> 独立色強い分家勢力。


岩松政経 (*)新田・得川・下野二郎太郎。新田一門衆。上野国新田荘出身。岩松経兼の息。母は得川頼有の娘。一時、得川頼有の養子。岩松家に復帰し、1322年大館宗氏と用水争いで抗争。新田義貞の裁定に従わず。新田家からの独立色を強める。<岩松経兼室の兄、得川頼泰の養子となっているほうが世代的にはしっくりきます。>

⇔岩松経家 (*~1336)新田・三郎。新田一門衆。政経の息。1333年鎌倉攻略に従軍。後醍醐天皇より遠江蒲御厨、大池荘、大岡荘与えられる。のち新田義貞から離れ足利方。北畠顕家の奥州軍の南下を阻止するために、関東上野にて挑むが戦死。息に直国。

▽岩松* (*)新田・民部大輔。新田一門衆。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。

▽岩松義致 (*)新田。新田一門衆。

後醍醐天皇と南朝の軍団


<新田岩松党> 田部井・由良・粟生・金井・横瀬・後閑

田部井泰経 (*)新田・岩松・四郎太郎。新田岩松一門衆。経氏の息。1333年岩松経家に従い鎌倉攻略に従軍。息に又太郎・仲泰。

▽田部井泰寛 (*~1333)新田・岩松・太郎三郎。新田岩松一門衆。経氏の息。泰経の弟。1333年岩松経家に従い鎌倉攻略に従軍。息に光寛。親子ともに「分部河原の合戦」に戦死。

田井* (*)新田・岩松・蔵人大夫。新田岩松一門衆。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。

由良* (*)入道。新田岩松党。岩松一門衆。1333年鎌倉侵攻に従軍。越後守護代。<新田一門ではなく、御由緒のある家人(内衆)のようです。母系での繋がりがあるのでしょうか。>

由良* (*~1336)三郎左衛門。新田岩松党。岩松一門衆。1335年足利尊氏討伐軍に従軍。1336年京都攻防戦で船田・高田とともに戦死。

由良* (*)美作守。新田岩松党。岩松一門衆。1335年足利尊氏討伐軍に三郎左衛門とともに従軍。<金ヶ崎落城に際し長浜とともに討死する由良氏はこのひとか?>

由良光氏 (*)越前守。新田岩松党。岩松一門衆。新田義顕の補佐役。1336年比叡山籠城。1336年恒良親王に従い越前下向。1338年新田義貞の越前抗争に従軍。脇屋義治を救援する。1339年脇屋義助の挙兵に呼応する。

 
<越後大新田(里見)党>  里見・鳥山・大井田・大島・田中・太田・中沢・上野

※里見義胤 (*)大新田・五郎・刑部少輔・陸奥守。新田一門衆、里見惣領家。里見忠義の息(or 新田義貞の庶兄とも)。弟に時秀。1333年新田義貞の上野での挙兵に参陣。1333年越後守護代。息に義連(基義)。<1336年里見・鳥山一族は京都奪回戦にて足利尊氏本陣に突入し討死。>

▽里見義連 (*)大新田・刑部少輔・陸奥守。新田一門衆。里見義胤の息。里見惣領。越後国守護代家。息に基義、左衛門大夫・胤幸、右馬允・氏連。孫に家基(基義の息)。南北朝期には一族分裂。鎌倉公方に出仕した家基が足利義教との「結城合戦」に滅亡。

○↓里見時成 (*~1337)大新田・伊賀守。越後新田。新田一門衆。1333年新田義貞の上野での挙兵に参陣。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。1337年瓜生保、天野、小野寺、斉藤とともに金ヶ崎城を救援に向かい、瓜生保・義鑑房とともに戦死。

里見義益 (*)大新田・大膳亮。新田一門衆。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。1336年比叡山籠城。1336年恒良親王に従い越前下向。

里見義氏 (*~1337)大新田・大炊頭。新田一門衆。1337年越前金ヶ崎城の籠城戦にて新田義顕とともに戦死。

鳥山家成 (*)大新田・左京亮。越後新田。里見一門衆。鳥山経成の息。1333年新田義貞の上野での挙兵に参陣。1338年新田義貞の要請で越前遠征。義貞の戦死により帰越。

鳥山義俊 (*)大新田・修理亮。越後新田。里見一門衆。1333年新田義貞の挙兵に参陣。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。1336年比叡山籠城。1336年恒良親王に従い越前下向。金ヶ崎籠城。

大井田経隆 (*~*1333)大新田・里見・蔵人。里見一門衆。越後新田党。1333年新田義貞の挙兵に参陣。嫡子・経兼ともに以降の消息不明。<惣領・里見義胤に越後の主導権を奪われるか。>

▽大井田経兼 (*~*1333)大新田・里見。里見一門衆。越後新田党。大井田経隆の息(嫡男)。1333年新田義貞の挙兵に参陣。

▽大井田氏経 (*)大新田・弾正少弼。越後新田。里見一門衆。大井田経隆の息(次男)。1333年新田義貞の上野での挙兵に参陣。1336年西国落ちした足利軍追撃の先陣として備中に進攻。1337年金ヶ崎籠城。1338年新田義貞の要請で越後から大井田義政とともに越前遠征。義貞の戦死により帰越。1352年宗良親王に従い挙兵。「小手指原の合戦」に敗北。越後に帰還。<一門の大島氏は足利方に与する。>

▽大井田経世 (*)大新田・里見。越後新田。里見一門衆。新田義宗に従う。大井田氏経の弟。

▽大井田義政 (*)大新田・大江田・式部大輔。越後新田。里見一門衆。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。1336年比叡山籠城。1336年恒良親王に従い越前下向。1338年新田義貞の要請で大井田氏経とともに越後から越前遠征。越中にて普門俊清を撃破。加賀にて富樫軍を破る。加賀今湊を拠点とする。<加賀での略奪行為により新田軍は民政に失敗するという。><大井田系統に名無く、義貞に従わなかった江田氏から分裂して北陸行きに従った者か(妄想です)。>

☆大島守之 (*)大新田・里見・讃岐守。新田・里見一門衆。1333年鎌倉侵攻の一手大将⑤。堀口貞満とともに巨福呂坂に10万騎。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。

⇔大島義政 (*)大新田・里見。新田・里見一門衆。新田郡大島出身。大島義貞の息。のち足利家に出仕。息に大島義高。

田中* (*)大新田・里見・修理亮。越後新田。里見一門衆。1333年新田義貞の上野での挙兵に参陣。1352年宗良親王に従い挙兵。「小手指原の合戦」に敗北。越後に帰還。


<越後新田党>
羽川* (*)備中守。越後新田党。1333年新田義貞の上野での挙兵に参陣。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。

羽川* (*)越中守。越後新田党。1352年宗良親王に従い挙兵。「小手指原の合戦」に敗北。越後に帰還。

籠沢* (*)篭沢・籠澤・入道。越後新田党。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。1336年1月淀川対陣に従軍。

堤 * (*)宮内卿律師。越後新田党。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。


<桃井党> 上野国桃井荘
桃井尚義 (*~1338)次郎。上野国桃井荘の領主。桃井惣領家。桃井満氏の息。桃井直常は従兄弟。1331年新田義貞の挙兵に参陣し「鎌倉攻略」。新田義貞に従い、「藤島の合戦」に戦死。

▽桃井義通 (*~1338)刑部大輔。桃井惣領家。桃井尚義の嫡男。新田義貞に従い、「藤島の合戦」に戦死。<弟・桃井義盛は家名存続のために足利方に従うか?>

⇔▽桃井義盛 (*)桃井惣領家。桃井尚義の息。義通の弟。兄は「藤島の合戦」に戦死。息に貞職。

○桃井義繁 (*)駿河守。桃井一門衆。「堀ノ内衆」。1331年新田義貞の挙兵に参陣し「鎌倉攻略」。1336年比叡山籠城。1336年恒良親王に従い越前下向。

桃井有常 (*)遠江守・有常。桃井一門衆。「堀ノ内衆」。1331年新田義貞の挙兵に参陣し「鎌倉攻略」。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。<桃井直常との関係が気になります。>

桃井助顕 (*)兵庫守。桃井一門衆。「堀ノ内衆」。1331年新田義貞の挙兵に参陣し「鎌倉攻略」。

新田義貞の軍団
「 1333年挙兵 鎌倉攻略軍 」

<鎌倉攻略戦に与力した武将> 上野・下野・上総・常陸・武蔵の20万騎、最終的に60万騎に及ぶ。<武蔵>

⇔河越高重 (*)三河守。武蔵国人。貞重の息。武蔵平一揆の旗頭。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1333年父・貞重は幕軍として近江に戦死。高重は新田義貞軍に参加し「小手指原の合戦」に鎌倉軍を破る。「鎌倉乱入」。のち足利直義の鎌倉府の指揮下に入る。息に直重。

江戸* (*)武蔵衆。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1333年新田義貞の「鎌倉攻め」に参陣。

▽江戸高良 (*~*1358)遠江守。建武政権により稲毛荘が没収され所領が減封される。足利基氏に出仕。畠山国清の命で、竹沢右京亮、江戸下野守とともに新田義興を計略にかけ謀殺。<伝説ではのち落雷に打たれ死亡。>

豊島* (*)武蔵衆。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1333年新田義貞の「鎌倉攻め」に参陣。

葛西* (*)武蔵衆。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1333年新田義貞の「鎌倉攻め」に参陣。

<相模> 6000余騎

太多和義勝 (*)三浦義勝・大田和・平六左衛門。三浦一族。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1333年新田軍に加勢。「分部河原の合戦」に鎌倉軍を破る。

松田盛朝 (*)藤原・波多野・十郎・備前権守。足柄上郡の豪族。相模衆。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1333年三浦義勝に従い「鎌倉攻め」に参陣。新田義貞に従い南朝軍。足利尊氏に従い、1336年備前守護。<源家譜代の郎党の名門。七郎太郎・重経の息、もしくは孫二郎・胤秀の息。>

河村秀国 (*~1353)相模衆。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1333年三浦義勝に従い「鎌倉攻め」に参陣。新田義貞に従い南朝軍。1352年新田義興を擁立し河村城に籠城。1353年畠山国清との「南原の合戦」に敗北し河村城を失う。

河村秀経 (*~1353)相模衆。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1352年新田義興を擁立し河村城に籠城。新田義貞に従い南朝軍。1353年畠山国清との「南原の合戦」に敗北し河村城を失う。

土肥* (*)相模衆(越中衆?)。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1333年三浦義勝に従い「鎌倉攻め」に参陣。1338年土屋・二宮、小早川氏とともに足利尊氏に従う。<越中の土肥氏の二流が室町戦国時代にかけて隆盛。>

土屋宗将 (*)三河守・宗将。相模衆。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1333年三浦義勝に従い「鎌倉攻め」に参陣。1338年土肥・二宮、小早川氏とともに足利尊氏に従う。

▽土屋秀遠 (*)備中守。相模衆。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1333年三浦義勝に従い「鎌倉攻め」に参陣。1338年土肥・二宮、小早川氏とともに足利尊氏に従う。山名時氏の執事となる。<子孫は但馬守護代を継承し、のち垣屋氏。>

土屋宗直 (*)河内守・孫次郎。相模衆。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1336年足利尊氏に従い転戦負傷し感状を受ける。

↓本間重氏 (*~1336)相模衆。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1333年三浦義勝に従い「鎌倉攻め」に参陣。「湊川の合戦」に従軍。遠矢で名を馳せる。<本間山城左衛門は鎌倉方として忠節、大館宗氏を討ち取る。>
渋谷* (*)相模衆。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1333年三浦義勝に従い「鎌倉攻め」に参陣。

<下野>
小山秀朝  (*?~1335)大夫判官・下野守・高朝。小山貞朝の息。結城一門。弟に高朝。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1332年隠岐配流の後醍醐天皇警固番。下野国小山城主。1335年「中先代の乱」に武蔵府中にて戦死。

結城宗広 (*~1338)白川結城・上野入道。結城祐広の息。白河結城。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1333年新田義貞に従い鎌倉攻略。1333年後醍醐天皇より富士郡須津荘を安堵される。搦目城主。

<常陸・上総・下総>

⇔千葉貞胤  (1292?~1351)千葉ノ介・下総権介。千葉惣領家、伊賀・下総守護家。千葉胤宗の息。母は金沢顕時の娘。千葉家第11世。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1332年隠岐配流の後醍醐天皇警固番。息に一胤、氏胤。

⇔▽千葉一胤 (*~1336)千葉新介。貞胤の息(長男)。千葉惣領家。新田義貞に従い上洛。1336年丹波志賀郷の戦いで足利尊氏軍に敗北し戦死。家督は弟:氏胤が相続する。

<その他 参戦者>
(坂東八平氏)千葉、上総、三浦、土肥、秩父、大庭、梶原、長尾
(武蔵七党)村山、横山、猪俣、児玉、丹、西、野与

後醍醐天皇と南朝の軍団


<信濃源氏> 詳細不明、仁科・高梨・村上?
↓仁科氏重 (*)信濃源氏。1333年建武新政に上洛。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。<1336年比叡山籠城に仁科重貞あり。1336年比叡山退去に後醍醐入京に従う。>

<その他>
⇔天野経顕 (*)周防・七郎・左衛門尉。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1333年「鎌倉攻略」に息・三郎経政とともに新田軍に参陣。のち足利尊氏に従い、今川氏の与力。<判官?。子孫は今川家と同盟関係から今川の忠実な配下に。>

▽犬居宗茂 (*~1333)左衛門・五郎。天野家家臣。1333年「鎌倉攻略」に稲瀬・前浜鳥居にて戦死。

小河安重 (*~1333)彦七。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1333年「鎌倉攻略」に稲瀬・前浜鳥居にて戦死。

中間* (*~1333)孫五郎。元・幕府軍、離反し後醍醐朝廷軍。1333年「鎌倉攻略」に稲瀬・前浜鳥居にて一門の藤次とともに戦死。


<個人的感想> 1333年の鎌倉攻略には甲斐の武田家一門もきっと北条討伐の為に動いていたでしょうね。甲斐の惣領家・武田政義は滅亡しますから、軍功が残らなかったのでしょうか。小山氏、千葉氏が合流したことが大きかったんじゃないでしょうか。

建武朝廷軍 尊良親王・新田義貞の軍団
<1335年 建武朝廷 足利尊氏討伐軍編成>

 尊良親王を奉じる。


尊良親王 (*1306~1337)一ノ宮・一品・中務卿・将軍宮。北陸探題。後醍醐天皇の皇子。母は二条(冷泉)為世の娘。吉田定房に養育される。1326年元服し中務卿。1331年「元弘の乱」に笠置山に籠城する。1332年捕縛され土佐に流罪。1333年九州に渡り大宰府を攻略。帰京する。1335年足利尊氏討伐の上将軍。新田・脇屋を率いるが「竹ノ下合戦」に敗北。1336年比叡山籠城。1336年足利尊氏から敗走し、恒良皇太子、新田義貞とともに北国に落ちる。1337年越前金ヶ崎落城の際に一条行房とともに自害。

⇔二条為冬 (*~1335)1335年尊良親王に従い新田軍に従軍。「竹ノ下・佐野原の合戦」の敗北により自害。<公卿侍。>
⇔北畠経道 (*~1335)1335年尊良親王に従い新田軍に従軍。「竹ノ下・佐野原の合戦」の敗北により自害。<北畠親房の一門か。軍監として付属?>

「足利尊氏追討軍」 一門からは大島・額田・籠沢・岩松、大将。


(西海道)
○↓菊池武重 (1307~1338)菊池武時の息。菊池第13代当主。1333年父・武時とともに大宰府を攻撃。少弐、大友氏に敗北し父は戦死。1333年建武新政に上洛。肥後守護。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。捕虜となるが赦免される。1336年比叡山退去に後醍醐入京に従う。跡職は弟の菊池武士が継承。

島津* (*)筑後前司。1333年建武新政に上洛。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。<どこの島津家の人物なのか。越前島津の間違えでしょうか。有力な人物として→島津忠氏 (1279~1352)島津忠宗の息。越前田辺郷地頭。元・越前守護代家。足利尊氏に従い転戦。1348年足利直義派。直義の下で門注所所司。一門の島津貞久と抗争。 直義に従い惣領を巡り貞久と争った事で歴史から抹殺されたのでしょうか。播磨島津の島津忠兼(周防守)とは別の動きをする様子なので、宗家はいったい越前・播磨・薩摩のどの家だったことか・・。>

⇔島津貞久 (*~1363)(惟宗)・上総介・上総入道。近衛基通の所領・島津荘より起る。島津忠宗の息。島津第5世。五代・貞久が足利尊氏に従い、北朝方。1318年薩摩守護。1333年北条英時に応じて鎌倉幕府軍。のち転じて少弐・大友氏とともに大宰府を襲撃。1333年建武新政に上洛。建武政権に薩摩・大隈・日向守護とされる〈1336-1363〉。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。1335年新田義貞軍の別働隊として出陣。「竹ノ下の合戦」に離反。1336年九州落ちした足利尊氏に従う。薩摩に上陸した懐良親王と抗争。のち南朝方。谷山・肝付氏が叛乱し、川上頼久を薩摩に下向す。1342年懐良親王の薩摩入り、1350年「観応の擾乱」に畠山直顕が直義方となり、一時南朝に降服する。大隈・日向両国の守護職。のち日向は失う。出水郡、木牟礼城主。弟に新納時久、樺山資久、北郷資忠。息に氏久、師久、宗久、川上頼久。

⇔○大友貞載 (*~1336)左近将監。大友貞宗の息。1333年建武新政に上洛。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。「竹ノ下の合戦」に足利尊氏に通じ離反。新田軍を敗走させる。京都の陣中にて足利尊氏を庇い結城親光と相討ち。

(山陰・山陽道)
⇔○大内弘直 (*~1336)新介。1333年建武新政に上洛。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。石見の小笠原長光とともに南朝方。1336年石見「大山の合戦」に上野頼兼に敗北し戦死。

⇔○厚東武村 (*~1351)駿河守。長門の豪族。1333年建武新政に上洛。1334年父・武実は長門守護を拝領。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。1348年家督継承。1351年大内弘世に敗北し戦死。息に武直。

⇔○塩治高貞 (*)1333年建武新政に上洛。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。「竹ノ下の合戦」に足利尊氏に通じ離反。新田軍を敗走させる。

▽塩治* (*)源太左衛門。1333年建武新政に上洛。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。

杉原* (*)下総守。1333年建武新政に上洛。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。「新田16騎党」の一軍。

児玉* (*)庄左衛門。1333年建武新政に上洛。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。

(東海道)
↓○熱田昌能 (*)藤原・千秋・摂津大宮司。尾張の豪族。北条時行は娘婿。1333年建武新政に上洛。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。

波多野* (*)三郎。1333年建武新政に上洛。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。

瀬名忠本 (*)娘婿に脇屋義助。脇屋一門衆。準新田一門。<戦国時代今川家臣に瀬名氏あり。>

堤 * (*)卿律師。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。<戦国時代の丹羽長秀の婚姻関係に堤氏あり。>

伊木* (*)1333年建武新政に上洛。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。
中村* (*)1333年建武新政に上洛。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。
<室町時代の斯波義達軍に中村氏あり。>
岩崎時光 (*)麻機・修理介。岩崎国隆の息。1335年新田義貞の東征に、五百騎を率い脇屋義助軍に参陣。

(中山道)
↓○武田盛正 (*)甲斐守。甲斐前司・盛信の跡職。一門に安芸・武田信武。1333年建武新政に上洛。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。

小笠原貞宗 (1294~1347)治部大輔・信濃守。1333年建武新政に上洛。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。のち武家方として足利尊氏に忠節。

高梨* (*)信濃源氏。1333年建武新政に上洛。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。

↑↓仁科氏重 (*)信濃源氏。1333年建武新政に上洛。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。<1336年比叡山籠城に仁科重貞あり。1336年比叡山退去に後醍醐入京に従う。>

↑↓村上* (*)1333年建武新政に上洛。1335年関東足利尊氏追討軍に従軍。

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