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日本神話・伝説時代 その5 ~古代豪族・神武天皇の家臣団と軍団(欠史八代)~大和朝廷の成立まで

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登美ノ長脛彦 公肖像のつもり

「隠さはぬ 赤き心を 皇方に 極め尽して 仕え来る
 祖の官と言立てて 授け給へる 子孫の清き名ぞ 
凡かに 心思ひて 虚言も 祖の名 断つな
 大伴の氏の名に負へる 丈夫の伴」
    
(国津神・列島在来神)畿内古代豪族・春日・大伴・葛城家

神話年表4

「五瀬/ituse・神武/jinmu東征」伝説 山陽道(瀬戸内海)を東征 →畿内・天津国玉神系との決着?
<大和・磯城家の台頭により勢力の弱まった大伴の各王家が、九州の天孫を再度担ぐことで、大王の交代を望んだということでしょうか。>

筑紫の岡田宮→ 安芸の多祁理宮(たけりのみや)→吉備の高島宮→

「大山津見 国軍」/ouyamatumi koku

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五瀬 肖像のつもり。古代銅剣の持ち方は忍者の様な持ち方(剣法)なのでは。


⑩彦 五瀬(ヒコ イツセ) /hiko ituse・天ノ彦 五瀬。邇邇藝の子孫。ウカヤフキの息(系譜)。磐余彦の兄。長髄彦軍に討たれる。
<大和川勢力により河内国に上陸失敗。><神武よりも「王」として指導者的立場にあった人物なのでは。戦死しなければ、初代の王だったのでは。>


⇔▽大伴ノ 椎根津 「彦」 /outomo no siinetuhiko・槁根津彦(シイネツ「ヒコ」) ・新葛城・(「倭宿禰」・俵ノ宿禰)・天ノ珍彦・(天ノ御蔭・天ノ御影)。母は(丹波)伊加里媛。(大伴ノ天香語山の息・天村雲の息とも)。異母兄弟に天ノ忍人(大伴ノ日臣)。国津神。「東征」の道案内。計略にて磯城軍を破る軍功。戦後に軍功により倭国造。天津彦根の跡職を継承(婚姻によるか?)。弟に八玉彦。息に笠水彦、意富伊我都。孫に阿多根、彦己曾根。<「椎」の文字の共通性から、スサノオに助けを求めた手名椎、足名椎の子孫でしょうか。>従兄弟に宇豆彦(建位起の息)。もしくは同一人物とも。><大倭国造の祖。九州の速吸之門(豊後水道)の豪族とされますが、津守氏の所領「速吸之門」は、もともと浪速なのでは?。><祖が天香語山ならば高倉下や天忍人と「大伴」一族となります・・。><(綿津見)海神豊玉彦→振魂→武居起(建位起・タケイタテ)→珍彦・槁根津彦とする流れもあり。><椎根津=素直に読めば「キネツ」=紀ノ根津彦 なのでは?。>

▽大伴ノ 宇豆 「彦」(ウツ「ヒコ」) /outomo no utuhiko. 天ノ・宇豆毘古・宇津毘古・渦彦。綿積豊玉彦命の子孫。天ノ建位起(武居起)の息。天ノ村雲の従兄弟。<大伴ノ椎根津彦と同一人物とも。紀国造の天道根が高倉下の妹婿とすれば、宇豆彦と天道根は同世代。><建角身命は大叔父ということになります。><海峡の守り神的な、鳴門や関門海峡など、瀬戸内海の「渦」を意味する王の敬称か。>

⇔↓▽大伴ノ 天忍人(アメオシヒト) /outomo no ameosihito. ・新葛城・「大伴ノ日臣・ヒノオミ・「厳媛・イズヒメ」・築坂ノ道臣」。大伴の日臣。天ノ村雲(天津彦日中咋の息)の息。母は(日向)阿卑良依媛。異母兄弟に椎根津彦。室に葛城出石媛(角屋媛)。「13世神?」。兄弟に天ノ波与、珍彦(椎根津彦)。神武東征に従う。鳥見(紀州名草郡?)の豪族。久米部を率いる。大和にて莵田(宇陀)兄猾を討伐する軍功。のち生駒の登美那賀須泥比古を討つ。戦後に軍功により築坂邑(葛城国)に入植。息に味日命(天忍男?もしくは天戸目?)、天忍男(弟を養子に迎えるか?)、天戸目。<天戸目は尾張連の祖。丹波国造の祖。><忍す=押し=オスは同義の意味なのでしょう。><室が日向の姫なので、婚姻同盟が成立したということでしょう。>

▽大伴ノ 波與(アメノ ハヨ) /outomo no hayo. ・新葛城・天ノ波与・大伴ノ波与。大伴ノ村雲・天津彦日中咋の息(刺田比古の息とも)。天ノ忍人(大伴ノ日臣)の兄弟。息に天ノ日別。<「天ノ速」=「アメノハヤ」に通じる名では。兄磯城や弟磯城黒速と関連があるような気もします。>

宇佐津 「彦」(ウサツ「ヒコ」) /usatu hiko. ・月読・菟狭津彦。高皇産霊尊の子孫。九州の国津神。「東征」の際、(豊後)宇佐川辺の一柱騰宮を造成し接待。五瀬命の将・天種子を宇佐津姫の婿とする。<宇佐国造の祖。><月読命─伊吹戸主命─宇佐津彦命─「宇佐津姫」・春日ノ種子。><蝦夷千嶋では、山の神の化身である白い兎が山から降りてきて、悪い行いをするものを征伐するという民間伝承もあり、古代人にとって月に映る「兎の影」と、山の神と、いろいろ結びついての「宇佐」なのかもしれません。⇔月辰国と関係ありか?>

⇔↓▽天ノ 「子」(アマノ タネ「コ」) /ameno taneko. ・(古葛城)・春日・中臣・天龍王。五瀬命の臣。布津主・御雷の血を引く天ノ押雲の息。筑紫の豪族。天ノ児屋の子孫。押雲の息。宇佐にて宇佐津彦の女(筑紫ウサコ媛)婿。神武から中臣の姓を賜る。息に宇佐麻呂。<中臣氏の祖。>

御毛沼(ミケヌ) /mikenu. ・天ノ御毛沼・三毛入野。邇邇藝の子孫。ウカヤフキの息(系譜)。五瀬命の弟。磐余彦(神武天皇)の兄弟。紀伊にて名草戸畔(大熊)を討つ。紀伊熊野沖にて暴風雨により水死。<海上の移動ということは紀ノ川沿岸上陸失敗?>

稲飯(イナヒ) /inahi. ・天ノ彦稲氷・彦稲氷。邇邇藝の子孫。ウカヤフキの息(系譜)。五瀬命の弟。磐余彦(神武天皇)の兄弟。紀伊にて名草戸畔(大熊)を討つ。紀伊熊野沖にて暴風雨により水死。

▽摂津ノ土蛛 /sextutu no tuchigumo. 摂津国に土着する民。東征する神武一行と遭遇。神武軍に恭順。<東征のルート上にいるという位置関係的に、椎根津彦の勢力圏でしょうか。>

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 赤線⇒「東征軍」瀬戸内海移動航路


始馭天下之天皇
「大和国入り」 <磐余=橿原宮>


(ワカミケヌ)神武天皇 → 「皇子・手研耳ノ命の反乱」


⑪神倭 伊波礼 「琵古」(イワレ「ヒコ」) /kamuyamato iware hiko. ・神倭ノ磐余彦・若御毛沼・ワカミケヌ・天ノ若御毛沼・狭野尊・佐野ノ命(スメラノミコト?)・彦火ノ火出見・「神武天皇」。邇邇藝の子孫。ウカヤフキの息(系譜)。室は大物主・事代主の娘(どちらかの養女?)・媛蹈鞴五十鈴媛命、大物主(世代的にかけ離れるのでその系譜上にある娘でしょう)の娘・富登多々良伊須々岐 比売命(ホト〈フト〉タタラ イススキヒメ)。息に手研耳、神八井耳、神沼河耳「綏靖天皇」(カムヌナカワミミ)、彦八井耳、岐須耳。<熊野周辺に上陸、南伊勢、宇陀を勢力化に置き、大和盆地入りするか?><倭に入ってからオオモノヌシの娘で、神の巫女と婚姻した。><別名の佐野ノ命(サノノミコト)とはスサノオとかけてるのでしょうか。>

[媛蹈鞴 五十鈴 媛「命」](ヒメタタラ イスズ ヒメ) /himetatara isuzu hime (no) mikoto. 事代主の娘。神武天皇の室。<富登多々良伊須々岐比売命が義息・手研耳ノ命の室となり、神渟名川耳・「綏靖天皇」を圧迫するので対抗馬として、作り出された人物だったりして・・。>

[富登多々良 伊須々岐 比売「命」](ホト〈フト〉タタラ イススキ ヒメ) /hototatara isusukihime (no) mikoto. ・比売多多良伊須気余理比売。大物主の長女にして神武天皇の皇后。大物主(世代的にかけ離れるのでその系譜上にある娘でしょう)の娘。のち義息・手研耳の室。<大物主と三島湟咋(八咫ノ烏・建角身)の娘とも。><意富でオオの尊称。登は登美ノ長髄彦に通じるか。タタライでひと区切り。ススキではなく実際はシキ(磯城)と読むのでは?><ホトって、後世の人の単なる読み間違えではないでしょうか・・。>

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手研 ノ「耳」(タギシノ 「ミミ」) /tagisi mimi. 伊波礼琵古「神武天皇」の息。母は吾平津媛。弟に岐須美美。東征に従い熊野にて丹敷ノ戸畔を討つ。神武に九州南部を与えられる。室に神武の后で義母の富登多々良伊須々岐比売命。後継者争いに異母兄弟三人(神八井耳、神沼河耳「綏靖天皇」(カムヌナカワミミ)、彦八井耳)を討たんとした為、逆に討伐された。

岐須 ノ「耳」(キシ〈キス〉ノ 「ミミ」) /kisi mimi. ・岐須美美。伊波礼琵古「神武天皇」の息。母は吾平津媛。兄に手研耳。<兄に従い他の兄弟と敵対するか。>

<(越?)大伴軍>

 彦火明→天忍日(香語山?)→天津彦日中咋(高倉下?)→天津日道臣(日臣)


▽大伴ノ 高倉下タカクラシ) /outomo no takakurasi. ・神倉・椋下・高座結御子・弥彦・手栗彦命(父も同名?)。天(大伴)ノ香語山の息。母は(出雲)大屋津媛。高皇産霊尊の子孫。前降臨・天津国に在地の豪族。兄に天(大伴)ノ村雲命。熊野にて建御雷男命の剣を届ける。援軍の将。<大伴氏の祖とも。石上神宮の神官となる。><建大々杼命と同一人物?><天香語山命=ニギハヤヒの従兄弟。><兄弟に天村雲。甥に天忍人、天忍男。><日下をクサカと読むのに対して、倉下はなぜクラシ・クラジなんでしょうね。クラカとか。>

⇔↑▽大伴ノ 道臣(ミチノオミ) /outomo no michinoomi. ・大伴ノ日臣・ヒノオミ・「厳媛・イズヒメ」・大来目主・(天ノ忍人・天ノ押人)。ニニギの将・天忍日命の曾孫。天津彦日中咋命の息(刺田比古の息とも)。東征に従う。久米部を率いる。莵田兄猾を討伐する軍功。戦後に軍功により築坂邑に入植。息に味日命、孫に稚日命。<大伴氏の祖。高倉下も大伴の祖といわれていますので、一門だったのでしょう。><高倉下との事績混同が激しいです。>

大日ノ 腹富(オオヒ フクトミ) /oohi no fukutomi. 大伴ノ大日腹富。阿遅志貴高日子の曾孫。観松彦伊呂止(もしくは天ノ波与)の息。「16世神」。息に建美奈命。孫に甕男立命。<代々「事代主」と敬称される家柄か。><大国主の子孫に天之日腹大科度美神あり。日臣・ヒトミとも呼ばれる大伴ノ日臣(道臣)との関連が気になります。大日腹富=大伴ノ日臣なのでしょうか。>

▼大々杼ノ 「彦」(オオド ヒコ ヒト) /oudo no hiko hito. (息長?)・剣臣。建御雷男命の孫・建大々杼命の息。神武東征に軍功(神武に剣を献上)。大々杼姓を与えられる。建御雷男命・武甕槌(ミカヅチ)の十握剣と、大国主の国平の鉾を管理。<河内大々杼国造の祖。凡河内国造(オオシカワチ)の彦ノ己蘇根との関係が気になりますし、大伴祖の高倉下との関係も気になります。><剣の管理者ということで高倉下は同一人物とすれば、大伴系。石上神宮とのつながりが気になります。><意外性からいけば葛城ノ剣臣も、生駒山を挟んで「剣」関係。とすれば紀伊から河内にかけて大伴一門が各国国造を勤めたという感じがしてきます。><「彦」が官位とするならば、「仁(ヒト)」が残り、大伴の天ノ忍人の「人(ヒト)」に通じるような気もします。>

<紀州連合軍> 八咫ノ烏・建角身命の娘と磯城/siki(三輪/miwa)当主の間にできた娘が神武の妃となる。


▽八咫ノ(ヤタノ カラス) /yata (no) karasu. 賀茂ノ建角身(カモノタケツノミ/kamono take tunomi)。造化三神・神産巣日神の子孫。玉依彦の息(豊玉彦の息とも)。磯城家と縁戚関係。(在地)援軍の将。熊野にて神武軍に降る。道案内の道中に、贄持之子、井戸ノ井氷鹿、石押分之子を恭順させる。(建角身・八咫ノ烏)の娘・三嶋溝(杭?)姫と事代主(磯城)の娘(養女か)に媛蹈鞴五十鈴媛。<熊野の豪族。葛城氏と同族とも。鴨県主の祖。石上神宮神官とも。高倉下と両人が勤めたのでしょうか、物部のウマシマジとの関係も気になります。それから山城の鴨神社へと派遣されたのでしょうか。><葛城ノ勝手、玉依彦、剣根の家系が「建角身」とよばれるようです。世代的には剣根のことでしょうか。><近江の三島溝杭耳は同一人物ではなく岳父とかでしょうか。><天津彦日中咋が三島溝咋耳で、大物主と三島溝咋耳の娘との間にできた子孫の系統上に建角身命がいるんじゃないのかなと妄想しています。大物主が天ノ穂日の息・天ノ夷鳥の系譜の人なら「鳥系」の人たちもすっきりするのになと思います。><(三島溝咋(杭)耳)=天津彦日中咋(天ノ村雲)。大伴ノ建位起の叔父。振魂命の弟ということになります。>

⇔▽葛城ノ 根(ツルギ ネ) /katuragi no turugi ne ・(古葛城・赤銅)・春日・(大伴ノ剣根)・(「建角身」一族?)。宇陀・宮奥ノ剣主命。高皇産霊尊の子孫。葛城ノ玉依彦の息。葛城ノ勝手の孫。叔父に天津赤星(天津甕星??)。葛城一言主の曾孫。兄弟に五十手美、生玉兄日子。莵田ノ兄猾との対決に神武に与力。宮奥を纏める。戦後に軍功により葛城に入植(与えられるというより所領安堵されるということかも)。葛城国造。息に夜麻都俾。孫に葛城久多美。(娘・賀奈良知姫の婿に大伴ノ天忍男。孫に尾張、葛城ノ建額赤命)。<「八咫ノ烏」と同族。カミムスビ・タカミムスビで祖は違うので、婚姻関係を結んでの一門ならば神武方につくように説得するというのも理解できるかも。><根子=禰宜(神官)の意味があるようです。昔は当て字なので根木が変化して根子なのかもしれませんね。><前降臨・天津国に在地の豪族でしょうか?。><大伴氏と縁戚であったとすれば、葛城氏が台頭し両職のような関係なったのも納得ができます。><尾張に流れた葛城家とは同族の関係で、磯城家の兄弟争いのように、剣根が惣領を継承したということなのでしょうか。><筑紫宇佐家、中臣家とも縁が深い人物のようです。>

天ノ日(アメノ ヒワシ) /ameno hiwasi (天ノ日別・建日別?)・忌部。ニニギの五伴緒・天ノ太玉命の息(天ノ背男の息とも)。天牟久努命(アマノムクヌ)の孫。(在地)援軍の将。神武に協力し、伊勢の領主・天ノ櫛玉を信濃に追う。伊賀・伊勢を領する。兄弟に天比理乃咩、天津羽羽、櫛明玉。「神武東征」に協力。息に大麻比古(津咋見命)、天白羽鳥、天羽雷雄。<猿田彦の出身地。伊勢国造の祖。ニギハヤヒ並に重要な同盟者かも。天牟久努命って何者なのでしょう・・。忌部氏の祖(越前剣神社・織田家に通じる?)。><神皇産霊の子孫か。猿田彦とアメノウズメの系統と、太玉の子孫が結びついて成立する豪族でしょうか。><世代的に厳しいので「天ノ日別(アメノヒワケ)」と名前が似ているので混同がおきて、ややこしいことになってたのでは。>

↑↓天ノ 別(アメノ ワケ ・ベツ) /ameno hiwake 建別・大伴ノ日別・(天ノ日鷲?)。味鋤高日子の子孫、かつ天ノ牟良雲(大伴ノ村雲)の孫。観松彦伊呂止(もしくは天ノ波与)の息。「神武東征」に従い、天ノ櫛玉(の子孫?)を討伐。息に彦国見賀岐建興来。<数世代前の人物、天ノ日鷲(アメノヒワシ)と名が似ているので混同がおきているようです。><天ノ富命と名が通じるような・・・。親子間の抗争?><大日腹富=オオヒフト=「建 日太」などの音合わせの漢字表記ではないでしょうか。後世に続く「別」の尊称は官位名か。><大伴ノ日臣と同一人物か。>

<九州・水軍>


⇔↑天ノ 種「子」(タネコ) /ameno taneko. (古葛城)・春日・中臣ノ種子・天龍王。布津主・御雷の血を引く天ノ押雲の息。筑紫の豪族。天ノ児屋の子孫。「神武東征」に従い筑紫ウサコ媛の婿。神武から中臣の姓を賜る。息に宇佐麻呂。<室は宇佐津姫か?宇佐津彦の事跡と似ています。同一人物か?。>

▽天ノ 大来目(オオクメ) /ameno oukume (大伴?)・久米・黥利目(サケルトメ)。九州氏族。莵田兄猾を討伐する軍功。戦後に軍功により西畝傍山に入植。大物主の娘を見つけ神武と婚姻を結ばせる。<久米氏の祖。顔面に刺青をいれる武将。><大伴氏、阿曇氏との繋がりが気になります。><久米氏の祖、「神武」を導いた大伴ノ日臣(道臣)が「大来目主」とよばれる。>

▽天ノ 道 根(アマノ ミチ ネ) /ameno michi ne. 紀・木。高皇産霊尊の子孫。天ノ御鳥の息。ニギハヤヒの将。葦原中国に護衛として降臨。日前国懸神宮の神官。神武援軍の将。神武の代の紀国造。紀伊の巫女・地道女命を妻に迎え、息に比古麻命。<大伴氏と祖は同じ。紀伊国造、河瀬造の祖。><宇豆彦と同一世代。><高倉下の妹婿ということは、地道女は大伴氏。>

<出雲軍> 天ノ香語山命を通じて大伴氏とも縁がある。

▽天ノ 目一(アマノ メヒトツ) /ameno mehitotu (天津)・一箇神・天之麻比止都禰命・天久斯麻比止都命。出雲の天津日子根(天津彦根)の子孫。製鉄を司る。即位式に月の使者役。孫(婚姻による?)に神武の側近・阿多振命(アタフルネ)。<ツクヨミの系統と縁があるのでしょうか。山背国造の祖。忌部氏の祖(越前剣神社・織田家に通じる?)。><天津国玉の系統は、阿遅鋤高日子根に完全に滅ぼされたわけではないようです。愛友関係だった天ノ稚彦の方の子孫かもしれませんね。><凡河内国造の祖・彦ノ己蘇根は一門ということでしょうか。><元祖『独眼竜』といえる人物かも。>

▽素賀ノ 美志印(ソガノ ミシイヌ・ウマシイ) /sogano umasii. 蘇我ノ・清ノ・美志印沼。出雲軍。神武の将。素賀国造。<スサノオの息・八島士奴美(大国主1世)の直系かもしれませんね。><天津彦根の子孫?(在地)援軍の将?。蘇我氏の祖?天智・天武に経歴抹消されるか。葛城ノ剣根か、その前の支配者の系譜・葛木(春日)ノ種子に通じる人物でしょうか。><のちの凡河内国造の祖・彦ノ己蘇根は一門でしょうか。><いきなり遠江に領地という変な話ではなく、素賀は遠江じゃなくて、もともと畿内(蘇我の本拠地、河内石川か大和葛城・飛鳥)の地名なのでは?><大和国高市郡に宗我坐宗我都比古神社あり。この辺りに蘇我国造の原点があるのでは。><蘇我氏の祖といわれる武内宿禰はこの人物の系譜の子孫なのでは。><素賀国を素直に読めば「飛鳥(アスカ)」の後半「スカ」。天ノ素賀が変じて「飛鳥」なのでは。><物部氏の敵、蘇我氏に対して「国造本紀」では蘇我氏不利な訂正が多く加えられ、蘇我氏の祖が貶められているのでは。><大伴・藤原氏にとっても政敵、蘇我氏に関しては「記紀」では意図的に改ざんされているかもしれませんね。>

↓天津ノ 阿多 根(アマツノ アタネ) /amatu no atane. ・山背ノ・賀茂ノ・阿多振。出雲軍。神武の将。出雲の天津日子根(天津彦根)の子孫。天ノ御影(椎根津彦)の息・意富伊我都の息。弟に彦己曾根。出雲国造家の親戚。息に知久流美。孫に苫麻杵。<三上氏の祖。><天ノ目一の曾孫とも。世代的に無理があります。>
<崇神の代に、出雲の阿多振根が反乱。>

▽天津ノ 彦己蘇 根(ヒココソネ) /amatu no hikosone. ・凡河内ノ・賀茂ノ・彦己曾保理・彦蘇根。出雲軍。神武の将。出雲の天津日子根(天津彦根)の子孫。天ノ御影(椎根津彦)の息・意富伊我都の息。兄に阿多根。出雲国造家の親戚。神武に従う。<凡河内国造の祖。河内にも出雲のような国魂を祭る神殿が造営されたかもしれませんね。><出雲国造といえば、天ノ夷鳥。「崇神」の代での出雲家の分裂で、それぞれが正当を主張したりで、正しい系譜は判らなくなってしまったのではないでしょうか。><「彦」が代官職の官位を表すとすれば、己曾根が正式な名か。>

≪個人的感想≫ 蘇我氏が仏教を保護したため、現代では渡来人説が普及しはじめていますが・・・、
本来は素賀氏に通じ、神武天皇を支えた古代氏族だったのではないでしょうか。
 「大化の改新」の為に先祖の繋がりを削除され、現在に至っていると考えます。「欠史」にあたる部分も、蘇我氏の系譜だから欠けているのでは。
なんでもかんでも「渡来氏族」と結びつける最近の研究の傾向は、おかしいと思います。
日本の歴史を浅いほうへ、浅いほうへと持っていく「力」が働いているような気がします。
 縄文時代1万年前から国土に育まれた文化があり、
 その上で、村の代表者の縁が結ばれ、王家となり、全国に広がるネットワークが構成されていたと考えます。
縄文からの「王家」と、「記紀」にみえる古代氏族の関係(土地的結びつき)を研究していくべきではないのでしょうか。

<畿内圏外の勢力> 支配下にあったのか・・


▽建 弥己呂(タケ ミコロ) /takemikoro. 九州の氏族。高皇産霊尊の子孫。<津嶋縣造の祖。>

↑▽宇佐都 「彦」(ウサツ「ヒコ」) /usatu hiko. 九州の氏族。筑後宇佐の豪族。高皇産霊尊の子孫。

安曇ノ 多久置(アズミノ タクチ) /azumi no takuchi. 阿曇・海人津見・「綿津見」。九州の氏族。筑前の豪族。<瀬戸内水軍の田口氏とか。>

▽安曇ノ 穂己都久(アズミノ ホイツク) azumi no hoituku. 阿曇・海人津見・「綿津見」。九州の氏族。筑前の豪族。神武の叔父・(穂高見)宇都志日金ノ柝命・ウツシヒガネノ サク(綿積神命の息・穂高見命)の子孫。多久置の息。淡路島に入植。従兄弟に椎根津彦。<膳手、倭、津守、尾張氏は同族。><久米氏と海人の同業者。大伴氏に近い。名前が中央に残らないということは在地で手研耳皇子の補佐などの役割だったのでしょうか。>

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