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戦国その12 陸奥の覇王 伊達家の家臣団と軍団

伊達稙宗、晴宗、輝宗の家臣団。伊達政宗の家臣団と軍団のページです。

東国の諸大名

「七草(ななくさ)を一葉によせて摘む根芹(ねせり)」 

伊達稙宗の家臣団

<奥州藤原 伊達家当主歴代> 常陸国伊佐庄中村 中村常陸介朝宗が1189年伊達郡を賜る。

藤原鎌足の子孫。伊達朝宗が初代。1189年源ノ頼朝の「奥州征伐」に従い、伊達郡を拝領したことから始まる。のち伊達家の威勢は奥州探題・大崎家を凌ぐ。

伊達政宗 (1353~1405)(結城)・大膳大夫。伊達家9代目。伊達宗遠の息。母は結城宗広の娘。室は足利義満の叔母(善法寺通清娘)。のち16代目に戦国末期の政宗。弟に大條宗行。親京都室町幕府派。関東公方・篠川御所と対立。1397年嫡子・氏宗と上洛。将軍・義満と対面。1398年斯波満詮、大崎詮持とともに京都に鎌倉府の横領を訴訟。1400年詮持が鎌倉の帰りに稲村御所の追っ手に討たれる。鎌倉府に反乱。1402年稲村満直、管領・上杉氏憲の討伐軍に敗北。息に氏宗。赤館城主。

足利幕府の変遷

伊達稙宗 (1488~1565)藤原・伊佐・中村・左京大夫・高宗。伊達氏14世。伊達尚宗の息。母は上杉定実の娘。芦名盛高の娘婿。芦名盛滋・盛舜は義兄弟。1514年家督。1517年10代将軍・義稙から字を賜り改名。1522年初代、陸奥守護職に就任。1528年葛西晴信の死に乗じて葛西領に乱入。「石巻城攻略」。1532年桑折西山城を居城とする。1534年岩城・白河と抗争。1536年「塵介集」作成。1536年大崎義直の要請で大崎領内の反乱を平定。国分・留守・黒川氏が臣従。相馬顕胤、芦名盛氏、二階堂輝行、田村隆顕、懸田俊宗、相馬義胤と入婚。次男は大崎義宣、村田、葛西晴胤、亘理綱宗を養子に出す。1542~1548年「天文の乱」で芦名家が離反し敗北失脚。丸森城で病死。78歳。梁川城主。桑折西山城主。丸森城主。

伊達実元 (1527~1587)時宗丸・栖安斎。伊達稙宗の息(三男)。伊達晴宗の娘婿。伊達成実の父。越後上杉定実の養子に望まれた。1542年上杉家に養子に出されそうになるが破談。「天文の乱」の原因者となる。稙宗方として信夫郡で奮戦。将軍の仲裁により惣領となった兄・晴宗に従う。一門の長老として輝宗、政宗を支えた。65歳。息に伊達成実。

(伊達稙宗派 家臣) (重臣)金沢・牧野・中野・浜田・富塚。 (奉行)飯塚・屋代・内谷・下郡山・遠藤・白石・飯渕・山家。

1541~42年「天文の乱」、三男・時宗丸の越後上杉家養子入りを中野宗時・桑折景長が阻止。

金沢宗朝 (*~1542)伊達家宿老。1542年「天文の乱」に伊達稙宗派。滅亡する。

富塚仲綱 (*~1542)伊達家宿老。1542年「天文の乱」に伊達稙宗派。滅亡する。息・宗綱は懸田俊宗の計らいで晴宗に許される。洲島城主。森山城主。息に宗綱。

小梁川宗朝 (1469~1565)(伊達宗朝)・信濃守。中務大輔・盛宗の息。親朝の弟。上洛し足利義晴に出仕。のち帰郷。1542年「天文の乱」に稙宗派。西山城に幽閉された伊達稙宗を救出。稙宗の丸森城に出仕。息に宗秀。高畠城主。<稙宗派の主力。伊達家の混乱を拡大させてしまった。>

小簗川宗秀 (1510~1570)宗朝の息。1570年中野宗時の反乱を鎮圧。新田景綱とともに先陣を勤め戦死する。

石母田* (*)安房守。代々、伊達家家老職の家柄。1542年「天文の乱」に稙宗派。陸奥石母田城主。

石母田* (*)宮内少輔。代々、伊達家家老職の家柄。1542年「天文の乱」に稙宗派。

堀越興行 (*)能登守。1542年「天文の乱」に稙宗派。八丁目城主。

(稙宗派 国人衆)

懸田俊宗 (*~1553)(伊達俊宗)。伊達稙宗の娘婿。懸田義宗の父。相馬家と婚姻関係で強く結ばれる。1542年「天文の乱」に稙宗派。岩城重隆、晴宗の攻撃を受けるが凌ぐ。乱の収束に懸田城を廃城にする講和条件があり不満を持つ。1552年晴宗に対して、息・義宗とともに謀反。中島宗忠は離反。娘は相馬義胤室。のち伊達輝宗に粛清される。伊達郡懸田城主。<稙宗派の主力。政宗の頃には滅亡している。>

中島宗忠 (*)掛田俊宗の家老。1542年「天文の乱」に晴宗派。保原城主。

亘理宗隆 (1493~1556)彦五郎・右近将監・兵庫頭。亘理郡の国人領主。亘理宗元の息。1536年大崎義直の要請で大崎領の反乱鎮圧。1542年「天文の乱」に稙宗派。1543年息・綱宗が戦死。娘婿に伊達稙宗、小平(泉田)重隆。養子に綱宗、元宗(稙宗の息)。小堤城主。伊達稙宗派。のち小平城主。

菱沼時久 (*)亘理の豪族。1542年「天文の乱」に稙宗派。

泉田景時 (*)(小平)・(伊達景時)。伊達一家衆。1542年「天文の乱」に稙宗派。のち晴宗派に転じる。息に小平(泉田)重隆、泉田重光。

鮎貝* (*)1542年「天文の乱」に最後まで稙宗派。<最上家に通じる子孫も現れる、独立的な領主。>

北条* (*)1542年「天文の乱」に最後まで稙宗派。

(稙宗派 同盟大名) 相馬顕胤・田村隆顕・二階堂輝行・芦名盛氏・最上義守・大崎義宣・葛西晴清・石川晴光。

畠山義氏 (*)二本松。国人衆。1542年「天文の乱」に稙宗派。二本松城主。

石橋尚義 (*)塩松。1542年「天文の乱」に稙宗派。のち晴宗派に転じる。<家老の大内氏の下克上にあう。>

黒川景氏 (1484~1552)(飯坂景氏)・彦五郎・下総守。伊達家一門衆・飯坂清宗の息。大崎家家臣・黒川氏矩の養子。1529年家督相続。1542年「天文の乱」に稙宗派。息に稙国。鶴楯城主。<1542年晴宗方の黒川藤八郎と家督を争うか?>

国分宗綱 (*)1542年「天文の乱」に稙宗派。

伊達晴宗の家臣団

▽伊達晴宗 (1519~1577)伊達氏15世。伊達稙宗の息(嫡男)。母は芦名(葦名)盛高の娘。岩城重隆の娘婿。弟・実元の上杉家養子問題で家中内紛。中野宗時に擁立される。越後上杉定実の養子に弟・実元が望まれたため阻止。父・植宗を幽閉する1542~1548年「天文の乱」で父との抗争に勝利し、出羽国米沢城を本拠とする。1548年将軍・足利義輝の後援で家督相続。1555年奥州探題就任。懸田氏を滅ぼす。岩城、二階堂、留守、石川、芦名、佐竹、国分家と婚姻政策。中野宗時はじめ七人の家老に特権を与えたため守護権が弱体。1564年次男・輝宗に家督を譲り隠居。

(伊達晴宗派 家臣) 1570年「元亀の乱(中野宗時の反乱)」

中野宗時 (*)常陸介。子息・久仲は伊達家宿老・牧野家養子。1542年「天文の乱」に晴宗派。1542年桑折景長とともに伊達実元の上杉定実養子入りを阻止。伊達晴宗の側近として勢力を持つ。親子で伊達家の中枢を担う。1570年伊達輝宗に専横を断罪され反乱する。相馬家に逃れる。小松城主。

浜田宗景 (*)1536年「大崎出陣」の第二陣大将。1542年「天文の乱」に晴宗派。「天文の乱」に中野と結び晴宗家老。

牧野宗興 (*~1542)安芸守。1536年「大崎出陣」の第一陣大将。1542年「天文の乱」に晴宗派。「天文の乱」に中野と結ぶが戦死。息に景仲。

桑折景長 (*)(伊達景長)。伊達一門衆。伊達稙宗の家老。1542年「天文の乱」に晴宗派。中野宗時とともに伊達晴宗を擁立。

▽桑折貞長 (*)(伊達貞長)。伊達一門衆。伊達晴宗の宿老。1542年「天文の乱」に晴宗派。1555年伊達晴宗の奥州探題職就任により、奥州守護代に任じられた両職のひとり。

牧野久仲 (*)弾正忠・宗仲。伊達晴宗の宿老。中野宗時の次男。牧野宗興、景仲が死去し牧野家を相続する。1542年「天文の乱」に晴宗派。1555年伊達晴宗の奥州探題職就任により、奥州守護代に任じられた両職のひとり。1570年伊達輝宗に専横を断罪され反乱する。相馬家に逃れる。

小梁川親宗 (*)(伊達親宗)・尾張守。伊達氏庶流。親朝流。出羽置賜郡高畠城主。伊達一門衆。1542年伊達晴宗派。1570年当初、親中野・牧野派。息に盛宗。

▽小梁川盛宗 (1523~1595)(伊達盛宗)・中務大輔・泥播斎。伊達氏庶流。親朝流。出羽置賜郡高畠城主。伊達一門衆。親宗の息。晴宗の娘婿。最上家との国境を守備。1542年「天文の乱」に晴宗派。1570年当初、親中野・牧野派。息に宗重。

田手宗光 (*)(伊達宗光)。1542年「天文の乱」に晴宗派。当初、親中野・牧野派。伊達氏庶流。1558年謀反。

(晴宗派 国人衆)

留守景宗 (*)(伊達景宗)。稙宗の弟。藤王丸の跡職を継承。1542年「天文の乱」に晴宗派。息に顕宗。岩切城主。

長江盛景 (*)1542年「天文の乱」に晴宗派。

新田景綱 (*)1542年「天文の乱」に晴宗派。館山城主。

白石宗綱 (*)(伊達宗綱)・実綱。1542年「天文の乱」に晴宗派。当初、親中野・牧野派。伊達氏庶流。息に宗利。白石城主。

▽本宮宗頼 (*~1542)畠山(二本松)家臣。畠山庶流。1542年「天文の乱」に晴宗派。畠山惣領により討伐される。本宮城主。息に直頼。

黒川* (*)藤八郎。1542年「天文の乱」に晴宗派。

大枝稙景 (*)1542年「天文の乱」に晴宗派。

村田近景 (*)1542年「天文の乱」に晴宗派。

宮内宗忠 (*)1542年「天文の乱」に晴宗派。内親城主。

鬼庭元実 (*)1542年「天文の乱」に晴宗派。

石母田光頼 (*)1542年「天文の乱」に晴宗派。

(晴宗派 同盟大名) 岩城重隆・大崎義直

岩城重隆 (*)伊達晴宗は娘(久保姫)婿。孫は養子に迎えた岩城親隆と、伊達輝宗。大館城主。1542年「天文の乱」に晴宗派。

大崎義直 (*)1542年「天文の乱」に晴宗派。1555年伊達晴宗が奥州探題となり大崎家の地位は転落。名生城主。


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