考える。キリがない・・・

お馬鹿なお考えはお休みでいらっしゃるのと同じと申します。
今回はお休みをいただきとう存じます。

お考えになるってどうお考えになられまして。
「人間は考える葦」というおことばがございます。
お考えになることは、ヒト様の特徴なのでございましょうか。
地球がお産まれになって、ヒト様がご誕生されて、どちらの時にお考えとおっしゃるものになられたのでしょう。

有名なおことばで「我思う。故に我あり」がございますが、
こちらは、疑っているご本人様のことだけは疑うことが難しゅうございますということでございまして、
お思いになることによってご自身があると受け取られているのは、そうでございますの?としか申し上げることができませんの。

お考えはどちらからいらっしゃるのでしょう。
お思いになったり、お感じになったりされるのとご一緒で、
ひとときだけのもの。
お時間が過ぎると、お変わりになることもよくございまして。

畑村洋太郎さまがお書きになられていたと存じますが、
直観が先で、論理は後にご説明申し上げるためお付けられるらしいですわ。

行動経済学でらしたかしら、心理学でらしたかしら。
たまたまでも、ある物がそちらの方の物になられたら、
そちらをお持ちになられた方はそちらのものをお選びになった理由もお持ちになるようで。
お好きかそうではないかがお先にございまして、
その理由も後からお探しになられるようでございます。
一度お決めになられれば、そのお決めになられたことによろしいことばかりがお見えになられるの。

脳神経学でしたでしょうか。
右と左のつながりがお無くなりになった方で、
片側からお水をお飲みになるようにご指示をされて、
もう片側から、どうしてお水を飲まれるのかお聞きになったら、
もう片側の方は「喉が渇いておりまして」とおっしゃったらしいですわ。

たくさんの方がご参加されるところで、何かしらお決めになる時、
時間目一杯まで、みな様はお考えになられるということがございます。
お時間が少なければ少ないなりに、お決めになるのですが、
お時間があればあるほど、お使いになって。

わたくし自身、あることを考えて、そのことを申し上げるという機会をいただいたことがございました。
何回も何回もやり直しをいただくことになりましたが、
存じあげることがなくなっても、ご無理はございましても何かしら申し上げることは生まれるものでございました。

お考えになるのはキリがないことと考えられますが、
何のためにお考えになられるのでしょうね。
考えても存じませんのに。
お考えになるのをお避けになる方も大勢いらっしゃいますが、
どうしてお避けになられるのでしょうね。

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