よい

良いこと
善いこと
好いことと
文字にいたしますと、よいことにも色々と違いがございますが、
今回書いてみようと存じますのは、
善いことについてが一番近くなりそうでございます。
とはいっても、
結局はこれもよくわからないのでございます。

わたくし自身もそうでございますが、
よくありたいと存じております。
何かにつけ、少しでも、ましになるようにと意識しておりますが、
結局は何がよいこととなるかは分からなかったりするのでございます。
塞翁が馬ということがございますが、
一見よろしくないということも
長い目で見るとよくなることもございます。

人のために
世の中のためにとか、
よいことをしたいと存じますが、
ある一面だけのよろしいことでございましても、
そういったところだけを声を高くおっしゃられますと、
気持ち的にはたかまって、
本当はよろしくないことでも、
よいことをいたすつもりで、
そうではないことをしていることも少なくございません。

どういったお立場になるかによっても
よいということも変わってしまいます。
三方よしという言葉はございますが、
全員にとってよいことは難しいかもしれません。

よいこととお考えになって
よろしくない人を責めることもよくございます。
大概そういった場合は、過剰に責めることになるようでございます。

なぜ、よいということ求めるのでしょうか。
こども時代の母親に認められたいというところから生じるという
お話を伺ったことがございます。

産まれてから成長していくにつれて、
自分の思いが発生し、思い通りにならないということが生じます。
母親であることが多いのでしょうが、
親密な養育者によって様々なことが解決されていきます。

産まれたばかりではご自身が絶対的でございますが、
だんだんとその養育者が絶対的な存在となられます。
その方にほめらたり、認められなければ、生きていけないのでございます。

そういった環境でございましたり、
動物としての本能でございましたり、
ご自身でいろいろなことができるようになりましても、
全てが思い通りになるわけでもございませんし、
どうしても他に絶対的なもの、
そしてよいというものを求めてしまうようでございます。

宗教心もそういったものかもしれません。
絶対的な何かがあるものとして
それに従うという、
それがよいことであるという
非常に心の深くから促されるものでございます。

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