表現するのを控えてしまう理由

ここでは書く稽古、
自分の頭の中にあるものをことばにして出す練習を試みております。
わたくしは、書くことや話すことが得意ではございません。
そのため今まであまり書いたり話したりすることはして参りませんでした。
そのことがまた、得意ではない方向へと一層進むことになっております。
そういった負の連鎖から逃れるための足掛かりになったらと存じます。

なぜ表現することを控えるようになってしまったのでしょうか。
一概に環境のせいにすることもできませんが、
日本の教育制度にも強く影響があるように存じます。
決まった答えというものがございまして、
それを求められるというような問題ばかりでございます。
それ以外を発言したりすると、罰せられるような雰囲気でございます。
教えられたものを覚えてその通りにおやりになるように訓練されます。

自身で考えて行動したり、他の方と違うことをするということを
非常に嫌われるような集団の中で生活を強いられます。
「自由に考えて」というようなことを教師の方はおっしゃいますが、
その教師の方の想像以外のことは自由ではございません。

教師に限らず、先輩後輩の上下関係でも、
下のものは上のものに従うべきであるという価値観のため、
長い期間に渡って思考放棄を求められているように存じます。

個人としては、そういった組織に違和感を感じ続けておりました。
思想宗教哲学といった系統の本に出会って感動して、
そういった組織に染まり切らずにいられましたが、
頭がよろしくないので、読んで少しだけわかった気になってるだけが精一杯で、
自身でことばを扱うまでには及ばず、
頭の中でもやもやを楽しむだけでございました。

もっと個人的な根本的に思い当たることもございます。
言ってもわかってもらえないという状況が
ずっと続いていたからではないかというものでございます。
これもまた周りのせいにしてしまうことになりますが、
幼い頃からの家庭環境がそうだったように思えるのです。

感情的になられたり、思考を放棄して聴く耳持たなかったりで、
何を言っても通じないということが普通でございまして、
ある程度成長してから、昔はそうだったのだなと気がついたのでございます。

もちろん、社会に出てからもそういった方々と
お会いすることも少なくございません。
あまりよろしくない懐かしい感じを覚えます。
もどかしく、悔しく、腹立たしく、
あぁ、またかといったような諦めのような感情が湧いて参ります。

一人になって、
頭の中でことばで探して、
気持ちを落ち着け、
どう表現したら伝わるかと考えますが、
整理したそのことばを伝えることはほぼございませんこと。

結局は伝えることはなく、
少しずつ距離を離していく、
その繰り返しをしてきたように存じます。
無駄に労力を使うこともございませんので。

わかってもらえるということは、
共感していただけるということは、
とても貴重なことでございますこと。


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