書くことば

書くことで、
頭のなかにある、考え、思い、もやもやとしたものを
形にして見つめ直させていただこうとしておりますの。
ことばを出しながら、それを自身の目でも見て考えながら
ことばを使う稽古をさせていただきたいと存じます。

お書きになることばと、お話になることばには違いがございますの。
こちらでも、もっとお堅いことばで、お読みになるのによろしい書き方をするべきですわ。
恐れながら、なるべくやさしいことばを用いて、かんたんに表そうとすることで、
ことばをよく考えたり、表し方の幅を広げてみようと試みておりましてよ。

昔は、もっと明らかに書きことばと話しことばに違いがあったと存じております。
戦前はおろか、それよりも昔となりますと、
今風のことばに慣れてしまった身としましては、海外のものを読むのと同じくらい難しく存じますわ。
話しことばも今のものとは違っていたようでございますが、
今ほど、書くのと話すのがお近くにはないように存じます。
昔の方々の頭の中はどのようになっていらっしゃったのかしら。

さらにもっともっと昔となると、
書きことばがない時代もございました。
おそらく小林秀雄さまかどなたさまかがおっしゃられていたかと存じますが、
書きことばができた時、
「そんなものに頼っていては、頭が悪くなる」といったやりとりがあったそうな。
今でも、新しい道具や仕組みに対して、あまりよろしくない反応を示す方も存じますが、ことばも同じような扱いでございましたのでしょうね。

インドやその西側の方でしたでしょうか、
あまり本を使われない文化があったと存じます。
全て口でお伝えになり、ほとんど違わずに頭の中にお入れになっているご様子で。
「覚えるのが大変ではございませんか?」とご質問に、
「いちいち探したりお調べになるのは大変でございませんか?」とお返しになったようでございます。

書きことばがおつくりになられる前までは、
みな様がそれが当たり前でございましたし、
現に、詩や聖典や経典といったものも、伝わっていらっしゃいます。
本当に昔の方々の頭の中はどのようになっていらっしゃったのかしら。

さらに、さらに、もっと、もっと昔となると、
話しことばさえできていなかった時代。
考えるということがどういうことか考えるのも難しそうですわ。
ちなみにネアンデルタール人の方々は、
話しことばをお持ちにならず、歌のようなもので、
お互いの思いをお伝えになっていらしたようです。

本日も書くことで、
わたくし自身が何を考えていたか見つめ直させていただきました。
書く場を用意してくださったnoteさまに感謝申し上げます。

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