隔靴掻痒

何歳だったか思い出せない。生活の中で自分の年齢を意識するに至っていなかったか、或いは日常の出来事を暦と紐付けることを知らなかった頃の他のほとんど全ての記憶と同様に前後の計算が出来ない。父親と2人で風呂に入っていた時に、どういった流れだったのか、陰茎の包皮を唐突に剥かれた。現れた亀頭の表面は青色のガーゼのようなものに覆われているように見えた。肌が異常を来して爛れているようにも見えたし、時がくれば脱皮するように剥けてしまう外皮にも見えた。いずれにせよ自分の身体の奥底から突然現れた醜怪さに、言いしれぬ焦燥を覚えたが、何故か風呂から上がると抜け落ちて、自分の陰茎を顧みることはしばらくなかった。思春期にさしかかり、自分の性器と出合い直した時には青いガーゼのことは思い出したけれど、亀頭は薄ピンクから薄紫のぬるりとした表面で、繊維質の何かに見える影もないので、あれはもしかしたら夢だったのかもしれないと思ったり、或いは幼少期の陰茎に特有の形状なのかとも思ったけれど、わざわざ調べる気にもならず、ただ何となく股間にガーゼが挟まってざらりとした感触が芯に触れるようなむず痒い感覚の名残を遠く思い出そうとして失敗した。代わりに不愉快なぬめりが走った。
おそらく同じような頃、こちらも後先は分からないが、父親にフェラチオをされている夢を見たことがあるような気がする。場所は多分風呂場。夢とはいえどあまりにも象徴的すぎるから、これは何か精神分析に関わる文章を読んだ時に見知った表現が記憶のふりをして居座っているだけなのかもしれない。というよりかは父親に不快なことをされている、どうしてもやめて欲しい、と悶え苦しんだ夢の感覚が脳の芯にずっと残っていて、それがしばらく経ってから、ああこれはそういう夢だったのだと何故か急に得心したのか。そうだとしたらいつか。女性との交接を知ってからか。

一方で、自分が八歳の頃の出来事だと確信を持っている記憶がある。父親と、風呂場で。それは一つの死刑宣告であった。とはいえ、言葉の上では非常にありふれた形をとられた。つまり、父は私に「いつか雄人が大きくなったら、一緒にお酒を飲みにいかなあかんな」と半ば自分に向けたように呟いた。大人になったら一緒に酒を飲もう、というような約束は何かの折につけて取り交わされたはずだけれど、その時の、飲みに行くことが義務であるかのような聞きなれない表現に躓いた私は勢い大きく飛躍して、そしていつか父は死ななければならない、次いで私も死ななければならない、という摂理にまで転げ落ちた。そのまま止まることが出来ず、死んだらどうなるのか、自らの意識が永遠に消失して身体も感覚もなく理解のできない虚無に押しつぶされる恐怖に初めて行き当たり、絶句した。それは取り返しのつかない出来事として年齢とともにしっかりと記憶された。

ひょっとしたら私の人生の中で、父親の存在から受けた影響はたったのこれっぽっちかもしれない、と風呂上がりで血流が良くなり一層痒くなった二の腕を掻きむしりながら考えた。そして、自分に息子が出来て風呂に一緒に入っている様を思い浮かべて、父親としての自分への嫌悪に耐えられなくなってやめた。肌の内側から響いてくるような、一掻きで立ち上がる擦過音が深くなったなと思い、爪が伸びたと予測して見遣ると右手の中指の爪の内側が赤く滲んでいる。左腕が全体、肩の付け根から手首まで、表も裏も燃え上がるように火照っていて、痛覚では患部がどこなのか検討を付けられない。左の腕をぐるりとねじりながら隈なく見ると肘の先が小さく赤く潤んでいる。またか、と思う。こういう小さな傷が体のいたるところにある。生まれては消えてを繰り返している。ふと、自分の陰茎は父親のそれと似ているのではないか、と考えた。正確には、幼少期に見た父のそれに、私のものがだんだんと似てきたのではないかと考えた。そうではなくて父親の性器こそ青い繊維状の表皮をしていたのか。だとしたらだんだん遠ざかっている。馬鹿馬鹿しい考えを忘れるためによく拭きもしないで急ぎ下着を履くと、股間に熱気が溜まり痒みが左腕からそちらに急激に移行した。腕を掻きむしるのと同等の勢いで掻いてはいけないような気がするので陰毛のあたりをなるべく指の腹で素早く摩る。

高校生の時だ。下校中、年齢に相応しい馬鹿話、つまりとるに足らない猥談を友人数人としていた時、そのうちの一人が「ほうれん草をたくさん食べると射精が気持ちよくなるらしい」と言い出して、私はその訳知り顔の言い方に非常に苛立った。今風に言うと「エヴィデンスは?」と言うようなことを彼に問うたところ、射精をすると鉄分が減る、ほうれん草を食べると鉄分を沢山摂取できる、だから、という何かで知ったらしい科学的な、しかし、射精の快感とはおよそ無縁に思える話を持ち出した。小馬鹿にした私の顔に向かって彼は「科学を信じひんかったら、何を信じるねん」とねじ伏せるように言った。
つまり鉄分の足りない射精は不完全で気持ちよくなく、充分に足りて初めて完全な快楽を得られると言うことになるのか。確かに射精をすると鉄分は減るのかもしれない。減少したものは摂取したほうが良いのだろう。精子の材料がなくなれば、工場に閑古鳥が鳴き、製造技術が失われていく、なんてこともままありそうだ。だから、子孫を残せという本能に支配されている私たち人間のうち男性にとって精子を蓄える行為は欠くべからざる行為で、故に鉄分を美味く感じるように人間の味覚はデザインされているんだ。そういった話、私の大嫌いな類の話なんだと思うが、彼は次第に、快楽の話など忘れたように、精子は減る、ほうれん草を食べる、精子が元通りになると唱え続けた。私はその時彼の手を見た。手淫の様を想像しようとしたのだった。しかし結局爪を見ていた。私はほうれん草の爪が苦手だった。健康的な薄ピンク色ではなく、ほとんど幽霊的な白い爪。何か血を欲しているような相貌。たったの一掻きで深く癒えない傷を残すような不気味さ。あれは確かにほうれん草を沢山食っているような非動物的な色だった、と今更思いながら私は左手のみを下着から抜いて、右手は陰毛のあたりから足の付け根の方にずらしつつ少しずつ爪を立てて、輪郭の立ってきたリズムを右の耳から聞いてようやく自分の爪を見た。先ほど洗ったばかりなのにもう茶色の塵芥が爪のうちに入り込んでいる。私の肌色が、私を離れて煮詰まった色だ、と思った。死ぬ時の肌の色だ、と削られる肌から返ってくる振動に愈々捉えられ同期し始めた思考は投げやりだ。音楽に体を揺すられる快楽と近いのか、痛みさえなければ、と唐突に呟く。癌で死ぬ直前の祖母の、熱にやられたゴムのようにブヨブヨになった恥丘の黄色、私と父の亀頭表面のガーゼ状の青色、二色が舞台照明のようにパカパカと代わる替わる点灯する。ほうれん草は健康的な褐色の肌をしていて、背は高くなかったが肉付きがよく、運動のセンスもそこそこあって闊達な男だった。もう十年ほどになるだろうか。彼とはしばらく会っていない。数年前地元に帰って別の同級生と会ったとき、偶然彼の近況を聞いた。時折連絡を取り合うらしく、しかしその割には詳細は分からないようだったが、確かなこととしてはお金をたくさん儲けているらしい。東京の有名私立大学でチャラチャラした人たちに混じってキャンパスライフを謳歌した後プチ成金にでもなったようだ。教えてくれた同級生はその時、医大を卒業したばかりの研修医だったのだが、直近では彼女に「俺とどっちが儲けているか勝負しよう」とかそういう話を切り出したらしいのだ。「ほんとしょうもないよな」と彼女は別段軽蔑する風でもなく笑って言った。私は彼の爪のことを考えていた。今はどうなっているのだろう。男の顔は履歴書らしい、性別問わずそうなんだろう、また、手は顔ほどにモノを言うと聞く。手も履歴書ほどには足跡を映し出すならば爪は何なんだ。小学生の時に恐竜が好きだった私は曽祖母が亡くなった時に、恐竜の化石と同じような物々しい堂々たる骨を見れると思ったらしく、火葬場に向かうバスの中で「楽しみ」だと騒いで近縁者に冷や汗をかかせたらしい。炎の中から帰ってきた骨の貧相なことに私はがっかりした。その時には私は人の何を見ていたのだろう。まだ爪には興味を持っていなかったような気がする。そういえば祖母はどんな爪をして死んだのだったか。見なかったはずはないのに、思い出せない。生前のも、死後のも。そう考えて自分の発想のおかしさに気づいた。人の爪は死を境にして何か別のものに変わっていくのだろうか。

体を掻くと、沢山の小さな粒を破壊している感触がある。指に押しつぶされて弾け飛ぶ音がする。だんだん大きくなる。母の声が遠くから重なるが、爪が皮膚に触れている間だけ私の聴覚は閾値を超えた破裂音にもう死んでしまうので途切れ途切れにしか聞こえない。今度は肩甲骨の溝あたりに溜まっていた痒みが刺激を受けて熱を放射して、その温もりは脳まで届く。少し憤怒に染まったような心持ちになると腸のあたりが細かく振動し始める。自分の体を抱きしめるように腕を胴に巻きつけ、右腕で左の肩甲骨を、左腕でその逆を掻いていた姿勢を解き、両手でボリボリと腹の芯を掻く。「あんまり掻き過ぎると治らなくなるよ。他の場所にもうつる」明瞭に聞こえなくても、そう言っているのは知っている。何故あなたが苦しいのだ、これは私の体だ、放っておいてくれ、とずっと昔に言わなかったことを今更言わなければならないような気がして、しかしどこに向けて言わなければならないのか分からなくなり、掻きすぎて疲れた手の麻痺が私の脳を曖昧にしたが最初に狂ったのは視覚だった。焦点が合わなくなった。次第に何も聞こえなくなってきた。しかし眠気は訪れない、却って遠ざかってしまった。眠れない夜になってしまう。私はそれを恐れて、虚ろな中手探りで見つけたタオルを濡らしてきて患部を冷却させた。感覚が戻ってきたところでようやく掻きむしったところを順々に見た。破砕された皮膚は、古い赤い傷跡と不完全に治癒した茶色いシミの上を横断する形で、新しい白いザラザラの断面を連ねて露呈させている。その上を水滴がひんやり滑っていく。その様が冷めた快楽を伴って機能を取り戻した眼に瑞々しく映った。爪に穂先を刈り取られた痕、この白の先にあった皮膚は爪の中に溜まって仮初にも茶色く保管されている、胴体と頭、元通りにはならなくても何もなくなってはいない、と訳の分からないことが頭に浮かんだ。ある程度毟ったはずのふくらはぎには不思議と掻いた跡があまり見当たらない。今日は二の腕が一番ひどいが出血しているのは左の肘だけで、この分ならば掻きすぎたうちには入らない、と決めつけて背中を見る努力を放棄してはベッドに身を横たえて、両目を閉じて意識を痒みから遠ざけるため考え事に努めた。

小学五年生で中学受験をすることに決めて、勉強するようになった。それまで両目ともAだった視力があっという間に下落した。その落ち方はまるで底がない急速なものに見えた。このまま目が見えなくなってしまうのではと恐怖に駆られた。そしてそれはある意味確実にそうなるのだ、ということをさかしくも理解した。8歳の時に予感した義務としての主体の喪失、その隙のない正しさが肉体を得て遥か彼方から私に言った、「目は見えなくならなければならない」。私の場合、眼球だけが先んじて奈落の底に引かれ始めたけれど、いずれ死に向けて体のあらゆる部分が引きずり込まれて、遂には全体が均衡の取れた落下を始める。検査の結果を知った母は本を読む時の姿勢を正すこと、勉強するときはきちんと明かりをつけることを私に教えて、それからさらにブルーベリーヨーグルトを毎朝出してくれるようになった。アントシアニンは眼を良くしてくれるから、ということだ。私は律儀に毎日食べた。やはり怖かった。ブルーベリーは中学受験が終わる頃まで続いた。その頃にはもうすでに視力の低下は緩やかになっていた。ブルーベリーパワーではなく、姿勢の改善が効いたのだろう。しかし、眼鏡を着用することは避けられなかった。それは常に鼻と耳にのしかかってくる死刑宣告のはずだった。毎日かけるその度に、老化が思い出されても良いはずなのに、そうならない。これが習慣と惰性の力か、と思う一方で、痒みは、もう習慣と呼びたいくらいに続いているけれど、これは生理だ、ならば人が死後の世界という不可知に思いを巡らせる、それも生理なのではないかと埒の明かないことを考え始めたが、しかしいまだに想像することは恐ろしくて仕方がない、これには習慣は太刀打ちのしようがないんだ、と諭しながら、自分の思考を迂回させるとそのまま放心した。痒みから解き放たれて全身の皮膚が平らになったような気がして、先自分はどこを掻いたのだったかと訝しんだ。

ふと目が覚めた。額が、特に生え際が痛痒い。時計を見ると、恐らく一時間ほどしか眠れなった計算になる。もしかしたら、私に残るのは痒みだけかもしれない、と一番痒い部分に爪でばつ印を刻みながら直感した。死ぬ直前まで、皮膚の上に澱む粒子を飽きもせず潰し続ける。あらゆる感覚が溶け落ちて、全身を焼き尽くすような痒みが私の最後の輪郭になる。痒みを除去しながら、またその都度痒みを生み出し続ける。その間だけは死の恐怖を感じない。しかし、もうその時には体も動かなくなっており、自分で掻くことができないのか。痛そうな顔、と言うのはある、しかし痒そうな顔というのはどうも思いつかない。誰も掻いてくれない。そもそも私の臨終に立ち会う人間がいるようにどうしても思えない。だから、なんとか自分で掻く、だが動かした私の手の爪が汚く角張った焦茶色になっているであろうことが無闇に悲しかった。老いて青ざめたか黄ばんだかした皮膚から全く縁遠い場違いな焦茶色。爪は骨なんだから当然だと思い、同時に本当にそうなのか急に心許無くなってきた。誰かにそう言われたことがあってそれ以来ずっと信じてきたのがにわかに不安になったので調べてみると、果たして爪は骨ではなく肌だと書かれていた。裏切られた、と頭に浮かんだ。誰に?爪にか。その馬鹿馬鹿しさに笑いが込み上げて少し陽気な気持ちになった。その爪はまた肌を削ることに一心になっている。私はベッドから起き上がって眠らない決意をした。荒れ果てた机の上に爪切りを探し始めた。

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