光はどこから来るか

確か柿落としで組んだゴダール特集がそのまま追悼特集になってしまったはずだから昨年の9月から10月ごろだったと思う。東京は菊川に出来たばかりの映画館、ゴダール特集の次はクローネンバーグ、ドン・シーゲルなんかも予定されていたからミニシアターの中でも比較的シネフィル色の強い映画館で、お気に入りの80年代以降ゴダール、つまりスイスのレマン湖に居を移してから撮った「勝手に逃げろ(人生)」以降の作品の中で数少ない未見作品の一つ「右側に気をつけろ」を観た。わざわざシネフィル色が強いなどという形容をつけたのは、そういった映画館が出来たことは私にとっては通う映画館が増え生活圏が広くなるかどうかの一大事だったからだ。映画館で気にすることといえば上映している作品はもちろんのこと、フィルム上映をしているか、デジタルのみなのか、スクリーンの大きさと地面からの高さ(これは長時間見上げる形になるとかなり首がしんどくなるから)、音響設備、椅子のやわからさ加減等々。少し客層。とは言いつつ、ぎりぎりデジタルネイティブ世代の私はフィルム上映に殊更拘りがあるわけでもないし場内が暗転し映像がスクリーンに写され始めたら、自分の身体に関わること以外は(というのも私は東京にいた時は映画館でみる場合は2本以上観るのが普通だったので身体に負担のかかる観賞は集中力の低下につながるので避けたかった)あまり頓着しなくなる。露骨にお喋りされなければ多少物音を立てる客は気にならない。むしろ可笑しいシーンで全く笑いが起きないと自分の感覚が変なのではないかと心許無くなるので、ある程度のリアクションをしてくれる客層の方が安心できる。しかし、菊川のシネフィル映画館で見始めた「右側に気をつけろ」は何かがおかしい。その違和感の原因は後々分かったのだが、映像が、座った席から数席後ろの真上、私は空いていれば大体客席の前後左右のど真ん中より少し画面寄りに席を取るので場内天井のちょうど真ん中くらいの位置に据え付けられたプロジェクターから、映写されていたのである。つまり客席の後ろの映写室からではなく天井から映像が届けられていたのた。これはおかしい。とは言うものの、私が大阪に住んでいた時によく通ったミニシアターにある2つのスクリーン中1つは同じように天井から吊り下げたプロジェクターを使っていて、そこでは何本も作品を観ていたし(「寝ても覚めても」はそこで当時付き合っていた彼女と観た。ファスビンダーの「ベルリン・アレクサンダー広場」を全話見たのもそこだった)、全く慣れない上映環境ではないはずである。しかしそれが違和感を拭いきれなかったのは「右側に気をつけろ」で語られることの1つが光はどこから来るかと言う話で、もっと端的に言うと映画という光は後方から、つまり映写室からやってくるということを明確に取り上げているからだ。上映が終わってから場内後方の壁を見るとやはり映写室はない。壁に手を当て耳を当てると往来の気配が感じられる。もしやと思って外に出て通りに面した外壁を注意深く見て、映画館の構造を頭に浮かべてみると、やはり劇場後方の壁は外と映画館を区切る壁だったのだ。どうもこれはおかしい。私にとって映画館で映画を観るというと、劇場に入り席について振り返ると映写室の小窓があり、そこから映写機が見えて、映写技師が見える場合もあれば見えない場合もある。しかしそれくらいしか見えないもので、映写室の中というのは観客にとっては未知のブラックボックスである。完全デジタルに移行したシネコンなんかだとフィルム時代の名残で映写室があるだけで無人なのかもしれない。とにかく後ろに映写室がない、壁一枚を隔てて外の世界に繋がっている、私たち観客の後ろにはスクリーンに映し出される光を制御し見届ける人間はおらず、全く関係のない人たちが往来を行き来しているのだ。そして頭の上に貧弱に吊り下げられたプロジェクターから映像が流れる。立ち上がって首を伸ばして見上げればプロジェクターの天井に面していない5面の細部がよく見える。ジャンプしたら手が届き、そのまま落ちてきそうだ。これらはとてもとても心細いことのように思えた。

と、こんな話をつい先日東京でS監督にした。休みの期間に用事で数日間滞在することになったので助監督として一度現場をご一緒したS監督を飲みに誘い西荻のお店で酒を飲んだのだ。こういう話をS監督にしたら大いに共感してもらえるだろうと思ってすると、案の定大変嬉しそうな顔をして「フィルムで上映しないのもね」と言いながら、しかし「時代は変わってしまったんだろうね」と仰った。フィルムにはもう一つ通過する部屋がある、それは撮影されたフィルムが入っていく見えない開けられない部屋なんだ。これはつまりフィルムカメラのマガジンのことである。なるほどと思った。昨年私は初めて16mmフィルムカメラでの撮影を経験して、少人数編成だったため撮影助手の真似事も少しやったので、露光したフィルムがカシャカシャ音をたてながら部屋に滑り込んでいく様は想像できる。客が中を覗くことの出来ない、しかしあると知っている2つの部屋を通って、映画はスクリーンに映し出されていたのだ。その部屋が失われ始めている。

今年の2月岐阜に引っ越してすぐ、京都でS監督が演出する舞台が1日だけあり私はそれに演出助手として参加した。クレジット上は演出助手なのだが、それは名目のことで、とS監督は大変嬉しそうに「今回は出演して欲しいんだけど」と仰って私に指示したところ、私の身体の出演でなく、影だけを15秒ほど舞台に映し出し、舞台上に設置されたスクリーンに映写されている白鷺の映像に向かって一言「お父さん!」と絶叫しなければならないらしい。S監督はこういう一風変わったことを人にお願いする時、無類の人たらしを発揮する。と、私は思っている。どうも皆がそう思っている訳ではないらしい。とにかく私に"共犯関係になろう"とキラキラした目で囁きかけてくるし、私は深く考える間もなく首を縦に振る。
舞台はトラブルもあったが切り抜けた。
私が舞台に”出演する”ということで以前何度もお世話になっているN監督とRさんが観にきてくれた。終演後感想を聞きにいくとN監督は開口一番「あれは当て書きなの?」と聞かれた。てっきり、Sさんが鳥井くんのために書いたんだと思った。鳥井くんが言うべき言葉はお父さんなんだな。鳥井くんはS 監督が好きなんだろうな。私がN監督の映画に2回出演したことがあることをご存知のRさんはニヤニヤして「自分が言わせれなかったことを先にやられて悔しいの?」とN監督に仰った。
影が少しずつ大きくなって最後「お父さん!」と言わなければならなかったため、私は、影を映し出すため舞台に向けて設置された光源に向かって、少しずつ歩いていきそのまま光に向かって叫んだ。白鷺の映像のあるタイミングと合わせなければならないのに私は光源に向かって進まないといけないからスクリーンを見ることはできず、自分の中できっかけを決めてそこから然るべき秒数を数えて叫んだ。光で何も見えなくなると1秒が1秒でなくなり、一歩一歩が一歩一歩でなくなる長い10秒だった。S監督がコンスタントに作品を撮られていたら私は岐阜には引っ越していなかった。そう言うことだ。

ところで、映画を見ていると、登場人物たちが映画館で映画を見ているというシーンがよくある。カップルのデートシーンもあれば、怪しげな取引をするための秘密の場所として使われている場合もある。トラックに乗ってやってきた映画上映を村の子供たちが見にいく、繁華街ですることのない暇を持て余した若者がふらりと映画館に立ち寄る、囚人たちの数少ない娯楽として映画が上映される、等々。そういうとき、映画を見ている人間の顔にはスクリーンに当たって反射した光が薄ほんのりとのっている。カップルの場合は片方が片方の顔を横から盗み見た場合、その薄明かりにうっすら照らされた横顔は集中した表情も相まって美しく見惚れてしまうものだ。しかし、実際はどうなのだろう。もちろん、スクリーンに近い席だと顔は反射光に照らされているはずだ。離れていくほど暗くなる。実際隣に座って鑑賞している人間の顔を見たことがあるはずだ。私が高校生の時初めて想いを告白しデートに誘った同級生、彼女とは映画を観に行きその時に見たはずだ。美しいと思った記憶がある。しかし漠然として思い出せない。ちなみに彼女には残念ながら振られてしまった。私が告白した時期、現代文の授業では漱石の「こころ」をやっていて、振った後彼女は私に向かって「Kみたい」と言い放ったのである。「精神的に向上心のない人間は、馬鹿だ」に近いような発言を私がしたのだろうけれど、それにしても失恋して最終的には自殺する哀れなKに似ていると宣告するのは、何たる拒絶だろうと絶望的な思いをしたことは鮮明に覚えている。今となっては鮮やかな拒絶だと少し感心しているので、友人と過去の女性との交際の話をする際は、私の名前のはずのKを彼女に押し返してKと呼ぶことにして、その呼び方を気に入っているのだけれど、私はとにかくKとデートがしたかったので、映画よりもKが見ていたかったのだ。今では考えられないことだ。その何年ものちに付き合った、先にあげた「寝ても覚めても」を一緒に見た元彼女には「映画館にしか連れて行ってくれない」と嫌味を言われたことが何度もある。ゴダールの言葉で「映画の趣味が合わない夫婦は離婚する」とかいうのがあって、それに大いに賛同しながらその彼女とは別れ、結局次付き合った彼女と上手くいかなかった多々の点も究極的にはその言葉で全てが説明できると思っている。映画の感性が合わなければ上手くいかないというのはかなり確信的なことだと思っているので、というのもある映画は世界との距離を記録しているものだから、ある映画に映し出される距離が適切かどうかという感覚はそのまま私たちが生きていく時に取りうる世界との距離に直結しているからだ。そのことが仮に的外れだとしても、私はそう信じ込んでしまっているので、映画に対する感覚が違うだけでもうこの人とは密接な関係にはなれないなと諦めてしまう。映画を見ているあなたの横顔が美しい、そういう素朴なことに耽溺できた昔があったことには驚いてしまう。映画を取り巻く時代の変化というのは正直わかりかねる部分も多々ある。S監督は私の母親と同い年で、それに比べて私が若いからというだけだが、そんな若い私でも大きく変わったらしい。

私は岐阜に引っ越してからストリップ劇場で投光をしている。投光室は映写室のように客席の後ろ2階にあり、本舞台を正面から照らす照明はちょうど映写室から突き出た映写機のように、投光室の大きく開いた出窓のすぐ前にある。つまり投光室からは正面用ライトの背中が目の前にある。その灯体から舞台まで、それは投光室から舞台までとほぼイコールなのだが、15メートルほどあると思う。その距離から見ているだけだと自分の仕事が的を得た照明になっているのかよく分からなくなることが時折ある。舞台上の踊り子さんは少しずつ服を脱いでいく。それに従って照明の色を少しずつ白からピンク色に変えていく。脱げば脱ぐほど濃くしていく。白は赤、緑、青の光の三原色を同じだけ混ぜ合わせて作っており、そこから緑色を抜いていくとピンク色になる。ドレスの背中のジッパーに手を伸ばせば少しずつ緑を抜く。着物の帯の結び目に手をかけたら緑を抜く。下着のホックに指を当てたら緑を抜く。パンツに親指を引っ掛けたら緑を抜く。かつて全国に400あったというストリップ劇場は少しずつ姿を消している。

東京滞在が終わり夜の新幹線に乗って数日ぶりに岐阜のアパートに帰ってきた。ちょうど滞在期間中気温が下がっただけなのかもしれないが、5月なのにもう暑い盆地の岐阜とは違い東京は非常に寒く頭の奥底までが冷え切ってまだズキズキしている。5階南向きの私の部屋は太陽光を遮る建物も周りにないので、昼過ぎからどんどん暑くなる。ロフトが付いていてそこにベッドを置いているのだが、半円形で青い波模様のフィルターを張った大きな窓があり、そこから薄青くなった太陽光が容赦なく入ってきて熱は夜になっても少し残っている。夏真っ盛りは暑すぎて寝られないかもしれない。岐阜に来たばかりの頃、無事引越しを完了した旨を後輩の女性Sさんに伝えるため部屋の全景を写真に撮って送ったのだが、彼女はその青いフィルターをファンシーだと形容した。「映画館にしか連れて行ってくれないよね」の次の元カノ(名前はまだない)は増村保造の映画「赤い天使」の、その中で若尾文子と芦田伸介が情事に耽る、それは従軍医療の過酷さにモルヒネ中毒になり性的に不能になった軍医芦田を看護師若生が無理やり男にするという倒錯的スポ根セックスだが、照明を浴びてぼんやり幻想的に光る蚊帳のことをファンシーだと形容して、「なんであんなにファンシーなの?」。そのこととSさんの表現を思い合わせて私はようやくファンシーという言葉の使い方が分かってきた。
東京で冷え切った脳味噌が部屋の残熱に当てられてうっすら光ってファンシーになって来た。
私の部屋は夜になると南向きのベランダの窓から岐阜駅あたりの2,3ビルのと近くのアパートから光がほんの少し入ってくるだけだが、もう電灯のスイッチの場所は暗くてもどこにあるか分かる。右手を伸ばしてスイッチを押す。少しの間。点く。もう一度押すとすぐ消える。少し考えて、自分でも説明し難い理由から、今度はスイッチを押したフリをする。スイッチの少し横の何もないところを大きな動作で押す動きをする。部屋の明かりがつく。私は気分がよくなってきた。そうか、実は私の部屋の電灯は、このスイッチで点いているのではないのだ!私の動きを見ているこの部屋にいない誰かがスイッチを押す動作に合わせてつけたり消したりしているのだ!なぜかは分からないが、スイッチはただの飾りで灯りとは連動しておらず、灯りをつけたり消したりしている人間が別にいるということだ。ありがたい気持ちにもなってきた。この部屋にはどこかに覗き窓があって、そこから真っ暗な中、ベランダからの薄明かりだけを頼りに私の動きを注視している人間がいる。今日はもう風呂には入らずさっさと着替えて横になる。そのまま足から滑り込むように眠っていく。枕元の電灯のリモコンに手を伸ばそうと思ったが間に合わず手は動かない、しかし灯りはきちんと消えてくれる。ありがとう。ぼんやりとした頭で考える、フィルムにはもう一つ入る部屋がある、暗室があった、とS監督に思念を送る。そうだ、いつかフィルムじゃなくても何でもいいから現像しよう、現像しよう、何でもいい。
脳の光が消えた。

目が覚めると部屋は真っ暗だった。

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