朝青龍と自称金髪の女の子

すごく申し訳ないことを書いていく…。
本当に申し訳ないが、赤裸々に書く。

物心つく前からずっと次女里芋に「ぶす!でぶ!」と容姿を毎日罵られてきた。
なので、私は自分が立っているだけでも「醜い私が立ってて恥ずかしい」と思っている。
母メロンパンも「あの人は何も可愛くない!ぶす!」など、人様の容姿を悪く言うので、私自身生きてる価値はないと思っていた。
“生きてるだけで醜い”と、今も思っている…。

申し訳ないが、以前の私は「醜い人は生きてる価値がない、底辺の人達」と思い込んでいた。
(今は違います!)
なので、人様を見る時は“可愛いかどうか”だった。しかも、次女里芋好みの可愛さでないといけなかった。滅多なことで女の子を“可愛い”と言わなかった。たとえそれが芸能人だとしても。

学生時代に、太っているAちゃんという女の子がいた。ぽっちゃりではなく、完全に太っている。
Aちゃんは顔立ちもお世辞には可愛いとは言えない…。ただ、それを隠すためにメイクは濃くギャルっぽかった。性格は明るく、女の子らしく振る舞うのが苦手なため、少しボーイッシュな感じだった。そのため、男の子達からは親しみを込めて馴れ馴れしく接せられていた。
ただ、男の子は調子に乗る。
最初は男同士の付き合いのように壁がなくAちゃんと肩をくんだりと親しげだったが、次第に悪ノリ。
Aちゃんが普通の量の学食を食べていても「そんなに食うなよ〜」と言ったり、わざと体当たりするような仕草を見せたり…。
その当時、携帯のアプリで“写真を撮るだけで芸能人の誰に似てるか判断する”というものが流行った。
Aちゃんは何の気なしに「うちって誰に似てると思う?」と聞いた。
男の子は「朝青龍」と笑って答えた。
これにはAちゃんは大ショック。
他の女の子が「Aは繊細だから、そういうこと言わないで」と男の子を注意していた。
私は内心…「Aちゃんは自分が可愛くないって自覚してないの?私なら怖くて“誰に似てる?”なんて聞けない。絶対可愛くない芸能人って言われるから」と不思議だった。
「……もしかして、私が異常に自分の容姿と存在をひどく醜いものと思っているだけで、他の人はさほど自分を責めたりしないものなの?」と気づいた。
自分の自己肯定感の低さに気づくきっかけだった。その頃は“自己肯定感”という言葉は浸透されてなかったが。

その頃、Bちゃんという女の子の友達もいた。
Bちゃんは田舎から出てきた肌も黒く、服も暗めのものばかりで「田舎くさい地味な子だな」という第一印象。
けれど、グループ内の男の子から人気はあった。
「気遣いができて内面がいい」「お母さんみたいで家庭的」と。
女の子からは「男の子の前で態度変わる」「ぶりっ子で苦手」と言われていた。
事実、Bちゃんは気の利くしっかり者だったが、偉そうだった。
男の子からモテるという自慢を私にしていた。
私は人様の自慢話は聞けるタイプだった。(毒家族の会話を聞かされ続けたせいか、人様の自慢話など不快にもならずに聞ける…)
Bちゃんは他のグループの女の子のとこへ行くこともあったが、その他のグループの女の子も「ぶりっ子!偉そう!なのに、なんでBちゃんは自分に自信があるの?そんなにすごく可愛いってわけでもないのに、自身家!」と言っていた。
私も全く同じことを思っていた。
昔の狩野英孝さんのように“人からお世辞でも褒められたことを鵜呑みにして自信へと吸収していくスポンジ女子”だと思った。
Bちゃんは完全にどう見ても黒髪なのに「私は金髪に見える時がある!」と言ったり、「中学時代は20人に告白された!全員フッたけどね!」と言ったり。
本人いわく、「男の子にチヤホヤされるから、女の子に嫉妬されていじめられた。女の子の嫉妬は怖い」と言っていた。
私は内心「男の子にモテすぎるから女の子に嫌われたのでらなく、性格がきつくて女の子に厳しいからでは?やっかみではないと思う」と思っていた。
ただ、逆にここまで全てを自信に変えていくBちゃんが羨ましかった。
私がBちゃんの容姿なら、自信は持てない。
Bちゃんは普通の容姿だが、決して女の子ウケする容姿ではない。ただ、我がドクタミ家では並の容姿ではダメなのだ。ドクダミ家は“可愛くないといけない”ので、ハードルが高かった。
Bちゃんの異常な自信をわけてほしいと思っていた。

ちなみに、AちゃんとBちゃんは仲が悪かった(笑)


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