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素人の考古学ー神奈川県逗子市長柄桜山古墳他巡り

概要:

 逗子市は海や保養地などで有名であるが、古代遺跡が多くあることは意外と知られていない。2500万年前の逗子・葉山地層や440万年前の古相模湾の海底岩塊、縄文時代から弥生時代~近世までの遺物群、古墳までも見るこができる。

またヤマトタケルの東征説話にある、奈良時代以前の古東海道について、鎌倉から逗子を経て横須賀の走水に至り東京湾を渡海し千葉県木更津までのルートの研究が進められている。

1.池子遺跡群資料館

 旧日本帝国海軍の弾薬庫から戦後はアメリカ軍提供用地として立ち入りが制限されていたところで、先土器時代から近代にいたるまで、この地に暮らした人びとの生活を示す痕跡が多数展示されている。

弥生時代の旧河道からは土器や石器、骨角製品とともに多くの木製品が大量に出土。
シロウリガイ類化石岩塊は440万年前古相模湾の水深約1,000mに群生していたものが、堆積し堆積岩を形成、その後地殻変動により隆起し、地上に現れたもの。 

(シロウリガイ類化石岩塊)

2.長柄桜山古墳群(国指定史跡)

 逗子市と葉山町の境にある約120ⅿの丘陵地に、4世紀後葉に築造された県内最大級の前方後円墳が2基、考古学愛好者により発見され国指定史跡となり現在遺構保存工事中。

この地域は当時太平洋岸における物資流通の重要な拠点であったと考えられ、往来する人々が見上げることができた2基の古墳は、ランドマークとしての役割を果たしていた。周辺には弥生時代から古墳時代前期の遺跡が点在している。

(長柄桜山古墳から相模湾を望む)

海上交通の要衝地であり、古墳の大きさや段築工法、壺形埴輪などヤマト王権との関係や地位の高さが想像される。

●1号墳

 全長91.3ⅿ 後円部径52.4ⅿ 前方部長38.9ⅿ 前方部幅33.0ⅿ、くびれ部幅24.2ⅿ 墳頂部比高差3.4ⅿ。墳丘は後円部三段、前方部二段、後円部と前方部との比高差(高低差)が大きい前期古墳の特徴を持つ。葺石は施されてない。

丘陵は岩盤を削り出した後、その上に最大約1.5ⅿの盛土をしている。後円部墳頂の東側はいびつな形をした左右非対称。

埋葬施設は陥没坑から、木棺と竪穴式粘土槨であることを確認するも、未発掘のまま残してある。

後円部には円筒埴輪と壺形埴輪が巡っていたと考えられる。出土した遺物は、埴輪片、壺、高杯。


(長柄桜山1号墳)
(1号墳の復元)

●第2号墳

 全長88ⅿ 後円部径54ⅿ 前方部長34ⅿ 前方部幅45m くびれ部幅32ⅿ墳頂部比高差1.89m、未調査のため段築や埋葬施設など不明。葺石で装飾されていた。

第1号墳と比べ墳頂部比高はあまりなく、前方部の先は幅広となっている。                (第2号墳)後円部には円筒埴輪と壺形埴輪が巡っていたと考えられる。

(長柄桜山2号墳)

3.鐙摺(あぶずり)不整合(県指定天然記念物)

上下に重なる地層の堆積した時代に隔たりがある時二つの地層は不整合であるという。2500万年前の葉山層の上に1500万年前の逗子層が堆積した。この不整合が露頭している県指定天然記念物。

 ここは三浦半島で一番古い層の上に、これより若い逗子層が傾斜不整合の関係で重なっている露頭で、「鐙摺の不整合」として古くから知られている。

(鐙摺不整合)

右下方から左上方向かってみとめられる凸凹に富んだ不整合面を境として、逗子層は北に緩く傾いているが、葉山層は殆ど垂直に近い傾斜を示していることから、葉山層堆積後、逗子層堆積前に大きな地殻変動があったことがうかがわれ、関東地方の生い立ちを知る上で貴重な資料とされている。

●持田弥生遺跡

 逗子湾からやや奥まった田越川中流域左岸の段丘上に、弥生時代中期後半から後期の集落跡のほか弥生時代から奈良・平安時代にかけての大規模な集落遺跡がある。竪穴住居や土器などが発掘されている。

(持田遺跡 弥生時代集落遺跡)

4.逗子市の横穴暮群探し

 神奈川県逗子市は鎌倉から三浦半島にかけ海岸と小高い山が連なっている古代から繁栄した地域である。
この小山に沿って横穴墓群がたくさんあったが、再開発で数十ケ所のみ現存しているといわれている。
●山の根熊野神社横穴墓群
逗子駅の裏側で10分程の所に3基見つかった。飛鳥時代から奈良時代初め頃の築造。

(山の根熊野神社横穴墓群)

●1号墳。
凝灰岩をくり抜いて、ノミ跡などもよく残っている。
内部は広く高さ2ⅿ以上ある。奥に棺を置く棺座がある。

(1号墳)
(奥に棺を置く棺座)

●2号墳。

(2号墳)

●3号墳。
入り口部は埋まっているが、内部はしっかり残っていた。

(3号墳)

●山の根横穴墓群。
この古墳は装飾古墳として知られている。
迷路のような坂道を登りやっと探し当てたが、私有地内のため立ち入り禁止だった。

(山の根横穴墓群)

神武寺がある山にも横穴墓群があるといわれているが、正確な位置が分からず。スマホの位置情報を頼りに探し回ったが、残念見つからなかった。

(神武寺)

横穴墓の代わりに鎌倉時代の納骨窟である「やぐら」群がたくさん見つかった。

(鎌倉時代のやぐら)

 午前中は生憎の小雨の降る中を池子まで行ったが、午後には晴天になり逗子の海岸からは穏やかな海と江の島や丹沢山系などを眺めることができました。

                 以上

                        小兵衛

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