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素人の考古学ー埼玉県秩父地方の古墳群探訪
古墳時代の武蔵において、北武蔵地域と南武蔵地域および秩父地域に政治権力が台頭し大和との密接な関係を結んでいた。
埼玉県秩父市には、いくつかの古墳群が存在し、その中でも特に有名なのが
飯塚・招木古墳群である。
飯塚・招木古墳群は、埼玉県秩父市寺尾にある群集墳で、飯塚地区に73基、招木地区に53基の古墳が展開する秩父地方最大の群集墳。主に径5〜27メートル、高さ1〜4メートルの円墳で構成されている。
他にも秩父地方には、大野原古墳群や金崎古墳群など、さまざまな古墳群がある。
●稲穂山古墳
40x7mの円墳 5c中から6c 秩父最大で最古の古墳である。
盛り土ではなく削り出し造成されている。
崇神天皇(564~631年)の時代に知知夫彦命が初代知知夫国造に任命されたが、それより先行する古墳と考えられる。
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墳頂部には埋葬施設の片岩が露出している。
竪穴石槨と横穴式石室の両説があり、竪穴から横穴式への移行期のもののようである。
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標高265mで宝登山・武甲山・城峰山・奥秩父山塊など秩父地方が一望できる地に古墳が築かれている。
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●大塚古墳
埼玉県秩父郡皆野町にある大塚古墳は、荒川右岸に形成された低位段丘に立地している。基壇をもち、周濠をめぐらせた大円墳で、墳丘の高さは6m、径は30m。
6c後半築造
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秩父地方最大の切石古墳である。
![](https://assets.st-note.com/img/1716197119658-7nrGMsgVMb.png)
●大渕古墳
埼玉県秩父郡皆野町大字大渕に位置する大渕古墳は、直径約25mの円墳とされている。
この古墳には「八百比丘尼の墓」という伝承が残っている。
全国各地には「人魚の肉を食べて800歳まで生きた」という八百比丘尼の伝説があるが、この秩父郡皆野町には「人魚の肉」ではなく、「人肉」を食べたという伝承があり、全国で唯一の例だとされている。
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巨石を用いた横穴式石室が露出している。
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●飯塚古墳群
埼玉県秩父市寺尾にある飯塚・招木古墳群は、秩父地方最大の群集墳で、飯塚地区に73基の古墳が展開している。これらの古墳は、径5〜27メートル、高さ1〜4メートルの円墳で構成されており、方墳が存在する可能性もある。
飯塚・招木古墳群は、県下でも貴重な古墳群であり、その範囲は南北1300m、東西400mに及ぶ。大きい古墳を中心として、その周囲に大小の円墳がつくられ、石室の入口はみな武甲山の方向に向かっている。
埴輪が出土せず、副葬品も乏しいことから7世紀後半から8世紀前半にかけて、郷戸主層が築造した古墳群であるとみられている。
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![](https://assets.st-note.com/img/1716197376402-vLzkLhuoz9.png)
石室は玄室の控え積みを強固にし、周列石を2、3列巡らす児玉地方でよく見られる築造方法がとられている。
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石室の構造から秩父地方は児玉部族と関係があったことが伺える。
以上
小兵衛
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